冷酷な時代を懸命に生きた姉弟を真摯に描いた映画『娼生』


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歌手を夢みて、田舎から飛び出した一人の女性が行き着いた場所は夢のステージではなく、女衒に騙され日本の売春宿。昼夜問わず訪れる日本の野獣たちに春を売り、性を咲かせる。田舎者が故の無知が、人生を狂わせ、破滅の道を歩ませる。眠りから醒めたその場所は、性に飢えた野獣達の巣窟。周りの人間は全員グルで、騙された少女はその地獄からは抜け出せない。まるで蟻地獄にはまったか弱き蟻のように、必死に歪められた運命に抗い続ける。田舎少女の清らかな夢の続きは、穢れた野獣の舌(ぜつ)によって、再起不能なまでに吸い尽くされる。一方、田舎から都会に出て行った姉を見送った年の離れた少年は、素直に姉の帰りを待ち侘びる。彼女が、都会で強制的に春を売っている事も知らずに、弟は健気に姉の帰りを心待ちにする。帰郷の先にあるのが、秘められた姉の秘密の暴露であったとしても、弟思う姉と姉思う弟の残酷な運命が姉弟二人を襲う。宿命と運命が二人を引き裂くその一方で、再度、数十年越しに宿命と運命が二人の縁と絆を取り戻す。映画『娼生』は、台湾で児童売春や人身売買が横行していた時代を背景に、娼館で働く人々の現実を描いた人間ドラマ。時代設定も時代背景も明言されていない物語だが、人身売買や児童売春は今の時代も裏組織の人身ビジネスとして商売が成り立っている。これは、一昔の物語ではなく、その時代から現代へと続く負の連鎖なのかもしれない。

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台湾における売春問題は、非常に根強く残っている。この作品が背景にしているのは、戦前から戦中、戦後の台湾と日本の関係が描かれているが、その実態は17世紀末から1895年までの清朝統治時代に遡る事ができる。また、1895年から1945年までの日本統治時代でも、台湾での売春は継続されていた。清朝統治時代では、様々な理由で売春を行う女性達がいた。また日本統治時代には、日本軍や警察の存在、それに伴う男性の需要増加によって、売春問題が深刻化した。軍隊の駐屯による性的な需要増が、台湾における売春の拡大に繋がったと考えられている。これは、日本にとっての負の産物だ。この点に関しては、日本側がしっかりと反省の弁を述べ、許しを乞う事を願いたい。また、戦時中における「慰安婦」問題(※1)は今も解決しておらず、双方の国で大きな溝が産まれ、解決の糸口さえ見いだせていない。時代が変わり、1990年代以降の台湾では、売春問題に対する認識や取り組みが深まったと言われている。特に、2001年には台北市で売春の廃止が実施されている。そして、近年の台湾では、売春問題を巡る議論は、児童売春や性産業の現状、女性の権利擁護など、様々な角度から論議が行われており、台湾はアジア屈指のジェンダー平等を大切にしている国と言われている。清朝統治時代から20世紀中期に存在した台湾の女性達が、現代の世の台湾に生を受けていたら、もっと違った人生があったのだろうと思えば、非常に残念に思うばかりだ。近頃、台湾における売春法はまた違った局面を見せている。近年、売春の合法化や売春を行う女性の保護など、様々な政策が検討されており、売春そのものが是(※3)であると言う見方と見解を示している。確かに、女性の性が軽視された時代があったが、今はその売春までをも法で保護しようとする動きがここ10年ほど見られ、社会の仕組みや見方なとが、近年の時の流れと共に変わりつつあるのだろう。

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人身売買や売春問題において台湾と密接関係にある日本における売春の歴史は、どうだろうか?日本における売春の歴史は非常に古く、一番古い物で言い伝えられているのは、10世紀頃の事だ。この時既に、売春業が独自の営業として成立し始めたと言われる。10世紀頃は、賎業としての認識は薄かったが、12世紀に入った頃には、白拍子や傀儡女などの女性芸能関係者も売春(※4)を行うようになり、より一般化されたと推察できる。江戸時代には既に公娼制度(※5)が確立されていたと言われる(公娼制度とは、ある定められた範囲内であるなら、公に売春行為をしても良いという法律)。また明治以降、外国人による売春の需要、そして女性の人権意識の高まりから、廃娼運動が活発化した時代だ。戦後、占領軍の売春施設が設置され、その後、赤線地区が形成された。現在、売春は違法として認識されているが、売春問題はまだ根強く残るものとして危険視されている。それでも、日本での売春問題や売春事件は後を絶たないのも事実た。先日、顔面全域にタトゥーを掘っている裏社会の男(※6)が、女子中学生を売春の道具として扱ったとして逮捕された。また、大阪のグリ下に集まる高校生を騙して、東北地方に連れて行き、1日10人以上を相手にさせる売春斡旋行為が事件化となり、世間の注目を集めた。映画『娼生』を制作したブルース・チウ監督は、あるインタビューにて本作は実在のモデルから着想を得た事について、こう話している。

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チウ監督:「フォンの物語は、多くの周縁化された人々を思い起こさせます。人は往々にして自分の世界を当たり前だと感じ、異なる生き方をする人々への想像力や共感を欠いています。理解なしには、本当の意味での共感は生まれません。この映画は、台湾において数少ない「性労働者の視点から語られる物語」の一つです。ただ彼女たちの経験を共有するだけでなく、その現実を照らし出したかった。真に理解することを通してのみ、私たちは偏見やレッテル貼りを越えることができます。性労働はひとつの側面に過ぎません。この物語は、性的指向、肌の色、民族、年齢、職業、社会階級、などが自分とは異なる、すべての人に通じる話です。」(※7)と話す。実在の人物から着想を得て、売春問題に焦点を当てた作品ではなく、売春だけに関わらず、誰もが経験しうる出来事に共感性を得て欲しいと、チウ監督は願う。確かに、表面上は一人の女性が経験する裏社会の売春にレイプ、性的蹂躙と言った性に纏わる社会的問題に注視しているようだが、実際はその問題の中にある誰もが経験する弱者的差別の坩堝を売春問題として描いているだけだ。私達は、表面だけの目に見える事象だけで判断するのではなく、その奥にある、その根底にある人の気持ちや感情に寄り添える人にならればならない。

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最後に、映画『娼生』は、台湾で児童売春や人身売買が横行していた時代を背景に、娼館で働く人々の現実を描いた人間ドラマだが、ただのエロティックなピンク映画ではない。陥穽にはまって売り飛ばされた女性の数奇な運命の人生を通して、凌辱される痛みを私達は肌で感じなくてはいけない。人権蹂躙の浮き目に遭うのは、女性達だけに限らず、子どもや老人、マイノリティに、移民達だ。言われの無い暴力に晒されて、それでも前を向いて生きようとするその気高さに今を生きる君達は何を思うだろうか?ただ、せめてもの救いは、生き別れた姉弟が数十年越しの人生を経て、交わる姿に誰もが心救われるだろう。売春問題は、その時代の問題ではあるが、遠い国の遠い時代の話ではなく、確かに今、21世紀の令和の時代、今ここで起きている事を覚えておきたい。

映画『娼生』は現在、関西では6月21日(土)より大阪府のシアターセブン、兵庫県の元町映画館にて、上映予定。
(※1)台湾最後の「慰安婦」が死去、92歳 支援団体が発表https://www.bbc.com/japanese/65692638(2025年6月12日)
(※3)台湾「売春合法化」とアジアの性産業https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/12/post-1841_1.php#google_vignette(2025年6月12日)
(※4)日本における買売春の歴史(三成美保)https://ch-gender.jp/wp/?page_id=189#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E5%A3%B2%E6%98%A5%E3%81%8C%E7%8B%AC%E8%87%AA,%E3%81%8C%E3%80%81%E5%A3%B2%E6%98%A5%E5%B0%82%E6%A5%AD%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82(2025年6月12日)
(※5)論文題目:近代日本社会と公娼制度―民衆史と国際関係の視点から― 著者:小野沢あかね (ONOZAWA, Akane)
博士号取得年月日:2011年3月9日https://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=summary&thesisID=268#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%9B%B8%E3%81%A7%E3%81%AF%E5%A8%BC%E5%A6%93%E7%A8%BC%E6%A5%AD,%E6%80%A7%E7%97%85%E4%BA%88%E9%98%B2%E3%82%92%E6%84%8F%E5%9B%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2025年6月12日)
(※6)《顔面タトゥーの男が中学生売春》「地元の警察でも有名だと…」自称暴力団・三ノ輪勝容疑者(33)の“意外な素顔”と近隣住民が耳にしていた「若い女性の声」https://www.news-postseven.com/archives/20250612_2046134.html?IMAGE=1&PAGE=1-9(2025年6月12日)
(※7)ただ彼女たちの経験を共有するだけでなく、その現実を照らし出したかった。ー ブルース・チウ(邱新達)http://www.asiancrossing.jp/intv/2025/0520/index.html(2025年6月12日)