誰でも生き直せる社会への思いを描くドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』


オウム真理教事件が起きた時に30代、40代だった頃の大人達(今の60代から70代の方)は皆、この事件に対して心に蓋をしている。話題を一つでも振ろうとすると、まるであの事件が無かったかのように、口を濁そうとする。それは、同時代に起きた和歌山毒物カレー事件や神戸連続児童殺傷事件と同様に、90年代のあの時代の社会全体に大きな影響を与えたと言わざるを得ない。私自身、90年代は小学生の頃で幼少として過ごした時期だからこそ、なぜあのような恐ろしい事件が起きてしまったのか、深い関心を持っている。その「なぜ」に対する疑問は尽きる事はなく、もし事件が起きなかった日本社会の世界線を想像してしまう。でも、現実はそんなに甘くはなく、起きてしまった事実を変える事はできない。日本国内のみならず、世界中に激震を与えた重大事件は、常に加害者本人と加害者家族に社会はナイフのような鋭い批判を振りかざす。まるで、自身の言葉が正論であると間違った正義を振り撒きながら、物言えぬ加害者家族を追い詰め傷付ける。でも、社会に与えた重大事件の根本の悪と過ちが、社会全体にあるとすれば?このような恐ろしいモンスターを産み出したその背景に、社会の間違った発言や言動があるとすれば、それは私達日本人全員に罪があるのではないだろうか?ドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』は、オウム真理教教祖・麻原彰晃の娘が、加害者家族として社会で批判の目にさらされながらも生きる姿を捉えたドキュメンタリー。罪とは、何だろうか?償いとは、何だろうか?その答えはきっと、見つからない。けれど、彼女の必死に生きようとするその姿にこそ、罪と償いに対する答えは見つかるのだろうか?

1995年3月20日。日本の大都市、政治・経済の中心地、東京のど真ん中の霞ヶ関を標的に無差別テロ事件が起きた。日本国内で大規模な無差別テロが起きたのは、後にも先にも、この事件だけだ。当時のマスコミは、一斉に事件の報道を行い、日本中にいる国民がテレビの前で固唾を飲んで事件の顛末を見守った。なぜ、日本人の宗教集団が日本の国家の転覆を企てたのか?それには、1980年代後半から教祖の松本智津夫が立ち上げたオウム真理教の前身「オウム神仙の会」の国への宗教登録を巡る動きやオウム真理教幹部が関わった「坂本堤弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」など、一連の動きと事件が教団と社会との間に大きな歪みと溝を産み出したその結果、「地下鉄サリン事件」という世界的な重大事件を起こさせた。研究論文「悪者づくり―オウム真理教事件の物語化を巡って」の冒頭の一部を抜粋。「ではオウム真理教事件は解決したのか、というと決してそうとは言えない。地下鉄サリン事件については、実行犯のうち2名は未だ逃亡中である。また教団幹部だった村井秀夫刺殺事件は真相究明に至っておらず、国松警察庁長官銃撃事件は元信者の警察官が自白したものの、不起訴処分となり未解決である。また、逮捕・起訴された実行犯たちの多くが、犯行は麻原の命令であると証言しているのに対し、麻原自身は弟子が勝手にやったことと関与を否定した。また死刑が確定した麻原であるが、公判で意味不明な言動が多くなり、事件について肝心なことを何も語らずに結審したため、真相はやぶの中なのである。裁判が長引いたこともあり、また核心部分がこのように不透明なままであることから、一連のオウム真理教事件はすっきりしない感じを残したまま風化しようとしている。だが、それでよいのだろうか。いったいオウム真理教事件とは何だったのか。一体なぜあのような凶悪な事件が連続して起き、なぜ将来有望な若者たちが犯罪に手を染めたのか。本当は何が起こったのか。これらの問いは、答えるすべのない問いではあれども問い続けられねばならない。なぜなら、それはオウム事件が単なる 「カルト」 が起こした異常な事件で済まされないからである。」(※1)なぜ、オウム事件が起きたのか?私達は、「なぜ」に対して、これからの未来、ずっと追求しなければならない。なぜ、事件は起きたのか?なぜ、若者が陶酔したのか?なぜ、日本が狙われたのか?まだ見えぬ事件の真相に対して、日本人一人一人が向き合わないといけない。寄る辺のない世間の冷たい視線に耐えながら、一人戦い生きている事を忘れてはいけない。

そして、地下鉄サリン事件から23年後の平成30年(2018年)7月6日と26日に死刑囚13人の刑(※2)が執行された。教団に対する強制捜査から23年余りが経って、死刑囚全員に刑が執行された。平成の事件は、平成のうちに終わらせたいと言う国の方針の元、事件の真相が解決されないまま、13人の死刑が執行されたのは、事件の真実を知りたい者にとっては、誠に残念で遺憾な事であった。この死刑執行を前後に何が変わったかと問われれば、社会は何も変わっていない。変わらないまま、7年の時が経過した。23年、社会が追い求めた事件の真相は闇の中に葬り去られ、カルト集団の恐ろしさだけが一人歩きしている状態だ。なぜ、死刑執行されたのか?日本は、政府は、司法は事件が一つも解決しないまま、臭いものには蓋をする精神でさっさと事件の捜査を強制的に終了させた。今回の執行(※3)は、本当に正しかったのか?その疑問は、末代にまで続く課題として残り続けるだろう。研究論文の「國學院大學学術情報リポジトリ 研究論文 ポスト・サリン事件の学生の宗教意識とオウム真理教観 : 20 年間に生じた宗教意識の変化を中心に」では、「2010年には事件後15年経過していて、基本的知識が乏しくなっている学生もいることを想定し、オウム真理教についてどのようなことを知っているのかを問う形に変えた。麻原彰晃が教祖であることは、20年経っても8割強が認識していることが分かる。また、教祖や幹部の死刑判決についても8割以上が知っている。注目されるのは、2015年の回答結果である。超能力に関しても、サティアンに関しても、またAleph (アレフ) やひかりの輪についても、2010年・2012年に比べて明らかに高い数値になっている。」(※4)という研究結果が出ている。若年層におけるオウム真理教に対する認識度が高いとまとめられているが、果たして、そうだろうか?近年、オウム真理教事件も麻原彰晃の存在もすべて、知らなすぎる10代、20代の若年層がオウム真理教とは知らずに入信している。今、多くの若者が、オウムの食い物にされている。ただ信仰そのものは自由だが、信仰を強要するのは自由でもなんでもない。ましてや、武装化した信仰集団は、ただのテロリストだ。信仰という仮面を被った犯罪者集団に成り下がった当時のオウム真理教が、どんな組織だったのか、今もこれからも問い続けなければならない。ドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』を制作した長塚洋監督は、あるインタビューにて本作の被写体となっている松本智津夫の娘・松本麗華さんについて、こう話す。

長塚監督:「観る前はものすごく緊張していて、思い詰めたような表情で「これを世に出してもいいんでしょうか……」と言っていました。で、観た後の感想がとても面白くて「つまらなかった」と言うんです。「自分が知っている自分の姿が出ているにすぎない、と感じたのだろう」と後日に自己分析していたので、それはもしかしたらドキュメンタリーにとって褒め言葉なのかもしれませんね。この作品は私(長塚)のものだけど、全力で応援したい、と言ってくれています。いくつか理由があるんですが、ひとつは保険金殺人(半田保険金殺人事件:1979年)で弟を殺された犯罪被害者の原田正治さんが2018年に「麗華さんに会ってみたい」と私に声をかけてきたんです。 私は以前に『望むのは死刑ですか 考え悩む”世論”』というドキュメンタリー作品を撮った関係で、原田さんとはコンタクトを持っていたんですが、あるときその上映会に麗華さんが来てくれたことがあったので、彼女とも面識がありました。原田さんは自分でも本を出していて(『弟を殺した彼と、僕.』ポプラ社)、弟さんを殺された当初は「極刑しかない」と言っていた感情が、やがて犯人と面会して対話を重ねるにつれ、「なぜそんなことになったんだ」ということを知りたい気持ちが強くなって、執行に反対するようになっていきました。にもかかわらず、犯人は処刑された。そんな彼が、我々の同時代で最も憎まれている死刑囚の家族であり、加害者家族という〈忘れられた被害者〉でもある麗華さんと会うことになったので、対談を撮るという了承をふたりからもらい、その後も麗華さんを撮り続けました。撮り続けているうちに麻原彰晃(松本智津夫)の死刑がどんどん迫ってきて、結局、2018年7月に刑が執行されました。その時期までは、彼女を追いかけようとしていた監督やジャーナリストは何人かいたんです。でも、ほとんどの人が、父親が死刑になったところで離れていった。つまり、彼らは父親の死刑と闘う彼女を撮ろうとしていたんです。でも、たとえ父親が死刑になって世の中にとってはカタがついたとしても、その先も彼女の人生はずっと続いていて、裡うちなる苦しみもあるし、外から差別される苦しみもある。〈究極の加害者家族〉である彼女の姿を伝えたいと考えたことが、この映画を作ることに繋がっていきました。」(※5)と話す。必死に、有り触れた日常を生きようとするも、生きられない彼女の姿に、今の日本社会と日本国民の在り方が見えて来そうだ。国が望む正義と国民が望む正義は、果たして、これで正しかったのだろうか?あなたが望む極刑とは、何だろうか?あなたが望む償いとは、何だろうか?あなたが望む正義とは、何だろうか?たとえ、事件の首謀者達が死刑になったとしても、松本麗華さんの人生が続いているのであれば、彼女の人生の戦いはまだ始まったばかりだ。

最後に、ドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』は、オウム真理教教祖・麻原彰晃の娘が、加害者家族として社会で批判の目にさらされながらも生きる姿を捉えたドキュメンタリーだが、過激な思想の作品でも事件を肯定する物語でもない。スクリーンに映るには、今を必死に生きようとするごく普通の女性の姿が長方形のスクリーンの窓枠に収められているだけだ。あの地下鉄サリン事件から30年が経った。あの日から教団の体勢は、何一つ変わっていない。反省の色も示さず、教団独自で宗教活動を再開している。30年が経ち、今年私達日本人の目に飛び込んで来た2つニュースは、驚愕の出来事だ。オウム真理教の後継団体主流派「Aleph(アレフ)」が、7億円の資産隠し(※6)をしており、被害者への賠償がまったく進んでいない現状だ。また、資産を隠していた同団体の施設では、松本智津夫元死刑囚の現31歳の次男を教団の代表者(麻原彰晃の後継人)(※)として認定する動きを随分前からしていたと発覚した。これは、国家的に見ても由々しき問題だ。早く国が、適正な処置を取らないと、更なる犠牲者を産む可能性がある。事件は風化しつつある中、まだ問題は解決していない。本作の被写体となっている松本麗華さんは、作中で「自分の経験を活かして、誰かの役に立ってたら嬉しい」と話しているが、あなたのその想いは必ず世間に届いているはず。私一人には、必ず届いている。世間は、社会は、世論は、彼女に罪を償わせようとする。彼女には、生きる意味がないと批判する。でも、それを決めるのは第三者の社会ではなく、彼女自身が決める事だ。ただもし、もし一つだけ彼女にも償いがあるとすれば、事件の節目節目の年に、メディアに顔を出して、世間に声を訴える事だ。あなたのその勇気が、必ず社会を動かし、人々を振り向かせる事になるだろう。事件を風化させない為にも、最後まで彼女なりの活動をして欲しい。私は、陰ながら応援したい。同時代に生きた者として、同時代に事件を目撃した者として、そっと応援し続けたい。

ドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)悪者づくり―オウム真理教事件の物語化を巡って― 生駒夏美 アジア文化研究別冊, 241-264, 2009https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AF%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F&lr=&oq=#d=gs_qabs&t=1754537311029&u=%23p%3DigGLY5ZhfQoJ(2025年8月7日)
(※2)オウム真理教事件死刑執行 | NHK NEWS WEBhttps://www3.nhk.or.jp/news/special/aum_shinrikyo/(2025年8月7日)
(※3)なぜこの時期に執行…?なぜ7人? 慶事・五輪控え年内決着 幹部を先行https://www.sankei.com/article/20180706-CEMHREILGZNUVP5ZWZXRM6754U/(2025年8月7日)
(※4)國學院大學学術情報リポジトリ
研究論文 ポスト・サリン事件の学生の宗教意識とオウム真理教観 : 20 年間に生じた宗教意識の変化を中心にhttps://drive.google.com/file/d/1qADkUcxvt1hC8FM_LmYfO7W3NEnIoqru/view?usp=drivesdk(2025年8月7日)
(※5)プラスインタビュー 加害者家族という〝被害者〟、そして被害者遺族をも苦しめる、日本を覆う第三者という〝正義〟https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/nagatsuka_interview/30745(2025年8月7日)
(※6)地下鉄サリン事件、アレフの被害賠償進まず…関連法人名義の多額の資産は差し押さえできずhttps://www.yomiuri.co.jp/national/20250320-OYT1T50102/(2025年8月7日)
(※7)松本智津夫元死刑囚の次男、オウム後継「アレフ」代表者と認定 公安庁https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD049GB0U5A800C2000000/(2025年8月7日)