切っても切れない関係にある二作品。映画『アニエス V. によるジェーン B. デジタルレストア版』
“L’essence même de la famille serait-elle à rechercher dans la « nature » pour les uns et dans la seule organisation sociale pour les autres ? Le fondement du lien que partagent ses membres, lequel serait à situer, relève-t-il de la communauté ou de la société – c’est-à-dire d’une solidarité nécessaire à la survie ou bien d’un lien contractuel fondé sur une négociation autour d’intérêts distincts?”(※1)
「家族の本質そのものが、ある人にとっては「自然」の中に見出され、またある人にとっては社会組織のみに見出される可能性があるだろうか?家族が共有する絆の基礎は、どこにあるのか、コミュニティや社会から来るものなのでしょうか、つまり、生存に必要な連帯感でしょうか、それとも、異なる利害をめぐる交渉に基づく契約上の絆でしょうか?」
フランスのリール大学に席を置く女性哲学者ガブリエル・ラディカが、2013年に上梓した哲学書『家族の哲学』に対して、社会学者および言語学者として教育を受けたフランスのピエール・グレリーが、「家族」とは何かを説いたのが、上記の引用文だ。ラディカ氏は言う。「家族のこととなると、家族を定義しようとする努力は必然的に規範的な反映に結びつく。なぜなら、家族とは何かということに満足する人は誰もおらず、誰もが家族がどうあるべきかを知っていると信じているからである。」(※2)家族とは、何か?それは、永遠の問いであり、私達が生きている間に探究し、追求しなければならない事柄だ。運命共同体の中で人生を共にし、共に老いを追い掛ける。時に衝突を繰り返し、時に喜びを共有し分かち合う関係性を持つものが、家族という存在。映画『アニエス V. によるジェーン B. デジタルレストア版』は、40歳の誕生日を迎えたバーキンが自身の30歳の誕生日について回想する間、ヴァルダ監督による彼女への尽きることのないイメージがビビッドに展開するポートレート風実験的ドキュメンタリー。この作品には、2組の家族が制作に携わり、ある種、ファミリー映画の様相を待ち合わせつつも、被写体であるジェーン・バーキンが持つ「美」への追求も同時に内在する。
“Ma réponse à la question de savoir pourquoi il y a de la beauté – la question de la finalité de la beauté – est qu’elle nous conduit vers Dieu. Cette réponse perdit son attrait depuis quand l’esthétique devint une discipline philosophique spécialisée dans la réflexion sur la beauté – en gros le début du XVIIIe siècle. Les philosophes modernes ont une autre idée de la beauté depuis que le sujet, la conscience, le moi, ont pris la place de Dieu dans leur préoccupation principale ; plutôt que demander ce que sont les choses et comment elles sont, ils se sont interrogés sur les idées, représentations, phénomènes. Dès lors, leur réponse à la question de la nature de la beauté fait appel à une expérience du « sujet », plutôt qu’aux propriétés des belles choses. Car la beauté ne serait pas une caractéristique réelle des choses. Affirmant le contraire, le réalisme esthétique est devenu une curiosité historique : ce que l’on disait, à tort, avant l’esthétique, comme discipline philosophique, qui nous aurait détrompés. Car nous savons maintenant, raconte-t-on, que la beauté est dans le regard porté sur les choses.”(※3)
「なぜ美があるのかという質問、つまり美の目的という質問に対する私の答えは、美は私たちを神に導くというものです。この答えは、美学が美について考えることに特化した哲学的学問になってから、およそ18世紀の初めにその魅力を失いました。現代の哲学者は、主な関心事において神に代わって意識、自己という主体が登場して以来、美について別の考えを持っています。彼らは、物事が何であるか、どのようにであるかを問うのではなく、アイデア、表現、現象に疑問を持ちました。したがって、美の性質の問題に対する彼らの応答は、美しいものの性質ではなく、「主題」の経験に訴えます。なぜなら、美しさは物事の本当の特徴ではないからです。その反対を肯定することで、美的リアリズムは歴史的な好奇心となった。美学以前に、哲学的学問として誤って言われてきたことは、私たちを欺くことはできなかったであろう。なぜなら、美しさは物事の見方にあると言われるようになったからです。」
今年2024年にポーランド哲学、特に「クラクフ・サークル」に特別な関心を持つ現代フランスの哲学者ロジェ・プイヴェが、ResearchGateに掲載し、発表した論文「Pourquoi la beauté?」の中で、「美」とは何かと、私達に問い掛ける。人によって、「美」に対する見え方、捉え方、向き合い方は時代の移り変わりや時間の経過と共に価値観が大きく様変わりしたと説く。本作『アニエス V. によるジェーン B.』に登場するジェーン・バーキンは、1988年当時に撮影された彼女自身と、2023年に逝去した彼女自身では、彼女に対する人々の見え方は違って来たのではないだろうか?そして、その「美」をより象徴的にも、より強調的にも、その実像を浮かび上がらせているのが、『アニエス V. によるジェーン B.』の作中に登場する「鏡」だ。鏡には、そのままの自身を映す力があるだけでなく、もう一人の自分、虚像の自分、虚栄の自分、若かりし頃の自分、老いた自分自身など、様々な人の顔を生きて来た時代の半生を区切るように鏡映させる不思議なパワーを持つ。鏡に関するフランス語のことわざに“Le visage est le miroir du coeur.”「顔は心の鏡です。」という言葉がある。このことわざには、「私たちが見せる顔は、私たちが心の中に抱えている感情を裏切る」という意味が内包している。鏡には、様々な様相を反映させる存在でもある。
“Le miroir est l’outil de la vertu : le reflet qu’il présente est destiné à éclairer la voie menant à la sagesse. ”(※4)
「鏡は美徳の道具であり、鏡が示す反射は知恵に至る道を照らすことを目的としています。」一部抜粋ではあるが、フランスのナント大学で准教授として哲学を研究するフレデリック・ル・ブレイ氏が、「鏡」の持つ性質について論じている。人の美徳を表す最も有効的な道具は鏡であり、それと同時に、鏡が放つ光が導くのは知恵を得る道という事。でも、一歩間違えば、鏡は人の醜悪な一面をも映し、同時に愚かさまでをも露呈させる一面もあると認識しなければならない。この作品において、鏡とジェーン・バーキンの立ち位置は、非常に均衡の取れた位置関係に聳立している訳だが、その鏡が映し出す「美」とは何かを、再度作品が表現しているようでもある。
大人の女性と少年の恋。映画『カンフーマスター! デジタルレストア版』
フランスにおける柔道人気(※5)は今、最高潮に達している。それと同じぐらいに、カンフーも非常に人気(※6)を帯びている。人口3000人が住むモーゼル県ブッスという町の人々のうち250人が、カンフー教室に通っている。フランスでは現在、カンフー人気も高まりつつあり、フランス全土でカンフーをするフランス人が2万人いるそうだ。今、空前のカンフーブームがフランスに来ているその一方で、1980年代のフランスにおけるカンフーの立場(※7)は、どうだっただろうか?フランスに初めてカンフーやカンフー映画が、紹介されたのは1970年代初頭だ。その当時のカンフーへの扱いは、惨憺たるものであったと言われている。カンフー映画は、ゲットーでしか上映されず、フィルムのプリントもズタボロ。当時のカンフー映画は、フランスの映画文化から不当な扱いを受け、虐待されていたとも話されている。ここに興味深い現象がある事を同時に紹介するが、カンフー映画ファンのフランス人が、当時フランスに輸入されていたカンフー映画のタイトルが、作品の内容とまったく合わない意味の通じない題名ばかりが付けられていると悲嘆する。この「タイトルおかしくない?」問題は、ここ日本でも近年、頻繁に声が上がっている。ただ、フランス映画界がカンフー映画に付けた題名は、日本の問題をも上回るちんぷんかんぷんなタイトルばかりだ。たとえば、1972年のカンフー映画『Ça branle dans les bambous(竹の中で揺れている)』1974年のカンフー映画『Un coup de boule dans les valseuses(ワルツァーでの頭突き)』1972年のカンフー映画『Il faut battre le Chinois pendant qu’il est chaud(熱いうちに中国人を倒せ)』同じく1972年のカンフー映画『Le Roi du Kung-Fu attaque(キング・オブ・カンフー・アタックズ)』(※8)など、作品の内容とマッチしないタイトルばかりが冠されていた点、当時のカンフー映画に対する扱いが非常に劣悪だったと伺える。それが、1980年代に入ってから、ある2人のフランス人ジャーナリストがカンフー映画をフランス社会に紹介したと言われており、この時期を契機として、カンフー映画は市民権を得、ゲットーを卒業したと言われている。この社会的背景の中、本作『カンフーマスター!』が制作されているとしたら、非常に興味深いだろう。映画の中の少年が、カンフーに魅了されたように、現実社会にもカンフーの魅力にハマった青年(※9)も存在するほど、フランス社会にカンフーが浸透していると伺い知れる。1973年頃に紹介されてから半世紀以上が過ぎた現代においてカンフーはフランスにとって必要不可欠な存在なのかもしれない。
では、思春期の少年特有の心の揺れに対する80年代以降の哲学的思想は、どう受け入れられ、研究されて来たのだろうか?ここに非常に関心が高まる証言がある。心理学、認知、コミュニケーション研究センター、欧州ブルターニュ大学レンヌ校、学長のフランソワーズ・バリオ氏が2012年3月に上梓した書物「Introduction : L’essor de la psychologie de l’adolescence(はじめに: 青少年心理学の台頭)」の中の一部を抜粋する。
“La psychologie scientifique de l’adolescence a été fondée par Stanley Hall au début du siècle dernier (1904), comme une « extension naturelle » de ses travaux sur l’enfant (Child Studies). Mais elle est restée très longtemps d’un rang mineur, car tous les projecteurs étaient braqués sur l’enfance. Et c’est seulement depuis la fin des années 1970 qu’elle s’est épanouie sur la scène internationale (Amérique du nord et Europe) avec de nombreux travaux empiriques, des théorisations stimulantes, des études marquantes, et qu’elle s’est imposée comme un champ de recherche à part entière.”(※10)
「思春期の科学的心理学は、前世紀の初め (1904 年) にスタンレー・ホールによって、子供に関する彼の研究 (児童研究) の「自然な延長」として設立されました。しかし、子供時代にスポットライトが当てられていたため、長い間マイナーな地位に留まりました。そして、それが数多くの実証的研究、刺激的な理論化、重要な研究によって国際舞台(北アメリカとヨーロッパ)で栄え、それ自体が研究分野として確立されたのは 1970 年代の終わり以降のことです。」と最後に語られているように、思春期の科学的心理学が研究され確立され出したのは、1970年代終わりの頃だと言われている。映画『カンフーマスター!』が制作されたのは1980年代後半と考えると、子ども達の思春期に対する研究が哲学的に研究され始めた時期とちょうど時期が凡そ10年の間が空いていたとしても、ほぼ同じである。思春期真っ盛りの少年期に対する哲学的研究が確立され始めた70年代後半以降、初めて少年が持つ心の揺れや移り変わりに対する心理学的観点からこの40年の歴史における青少年心理学の分野の貢献や、その急速な成長がいかに重要であるかを示す書物となっている。青年期は、個体発生の独特の段階として、現代の発達システムのモデルで理論化された人間の発達の複雑なプロセスを理解できるという点で、二重に興味深いものがある。幼児期から青年期にかけて、哲学的実践を行う事によって(幼い頃から哲学に触れさせ、哲学を通して、自己自身、自身のアイデンティティ、思春期の期間をどう捉えるのかという教育学的実践)、子ども達の中に芽生えるアイデンティティについて哲学の観点から触れて行く実験を行った教育科学博士課程の学生Agathe DELANOË氏が、研究結果を報告した一文を引用する。
“La pratique de la philosophie avec les enfants réfère à un ensemble de dispositifs pédagogiques visant à pratiquer la philosophie dès le plus jeune âge. Si ces méthodes se distinguent quant à leurs objectifs et aux protocoles d’animation qu’elles mettent en oeuvre, toutes s’attachent à utiliser la discussion philosophique comme moyen éducatif. Pratique innovante, toujours en construction, la philosophie avec les enfants rassemble un grand nombre de professionnels et se présente comme discipline hybride, à la rencontre de la philosophie et des sciences de l’éducation. Au fil de son déploiement, elle ne cesse de surprendre, d’interroger et d’ouvrir de nouvelles perspectives. La création en 2016 d’une chaire Unesco dédiée aux pratiques de la philosophie avec les enfants illustre la pleine expansion de ces pratiques, et la constitution d’un champ de recherche à part entière. De nombreuses recherches ont ainsi vu le jour et mis en lumière les différentes contributions de cette pratique (par exemple, en termes de pédagogie, de prévention de la violence, d’ouverture d’esprit ou de vivre-ensemble). Parmi ces multiples travaux, seul un petit nombre s’intéresse spécifiquement à la pratique de la philosophie avec les adolescents. Pourtant, l’adolescence se distingue de l’enfance qui la précède et de l’âge adulte qui la suit : c’est une période à part entière, qui semble comporter des caractéristiques qui lui sont propres, notamment le déploiement d’un processus de construction identitaire. Le travail de recherche dont il est ici question souhaite explorer les relations entre pratique philosophique, adolescence et identité. Cet article exposera la démarche ayant guidé ce début de recherche et les différents repères établis jusqu’ici au sein de cette démarche.”(※11)
「子どもたちとの哲学の実践とは、非常に幼い頃から哲学を実践することを目的とした一連の教育装置を指します。これらの方法は、目的や実装するアニメーション プロトコルの点で異なりますが、いずれも教育手段として哲学的議論を使用することに重点を置いています。革新的な実践であり、まだ構築中の子供たちとの哲学は、哲学と教育科学の会合において多数の専門家を結集させ、ハイブリッドな学問としての地位を確立しています。それが展開するにつれて、驚きと疑問が絶えず、新しい視点が開かれます。 2016 年に子供たちとの哲学の実践に特化したユネスコの椅子が創設されたことは、これらの実践の完全な拡大とそれ自体の研究分野の創設を示しています。したがって、数多くの研究が発表され、この実践のさまざまな貢献が強調されています(たとえば、教育学、暴力防止、寛容さまたは共同生活など)。これらの複数の著作のうち、青少年に対する哲学の実践に特に興味を持っているものはほんの少数です。しかし、青年期は、それに先立つ小児期とそれに続く成人期とは区別されます。青年期はそれ自体が独立した期間であり、それ自体の特徴、特にアイデンティティ構築のプロセスの展開を持っているように見えます。ここで問題となっている研究活動は、哲学的実践、思春期、アイデンティティの関係を探ることを目的としています。」と、哲学を通して思春期の少年少女といった子ども達が、自身のアイデンティティにどう向き合うのか、非常に大切な事だ。教育学的にも、心理学的にも、哲学的にも、幼児期におけるこれらの実践が確立された70年代を踏まえて、本作に登場する主人公の少年ジュリアンのように80年代に生きたフランスの青少年達の精神的成長が、生身で体験する経験こそ、当時の哲学的実践だったのかもしれない。
最後に、映画『アニエス V. によるジェーン B. デジタルレストア版』『カンフーマスター! デジタルレストア版』は、80年代後半に制作された2作品を、ジェーン・バーキン没後1年を記念して、デジタルレストアを施された2本の作品だ。これらの作品には、関連性や連続性は感じられず、どちらも独立した作品ではあるが、もしこの2作品に共通的テーマがあるとするなら、それは家族や親子といった題材が内包されている。作品の制作においても、制作者同士の家族、夫婦や親子が集まって制作されている点、また後者の映画『カンフーマスター!』は、思春期の少年の恋の話が中心ではあるが、その根底にあるのは家族や親子の物語が横たわる。親子とは、何か?親子の関係性とは、何を示しているのか?准教授で哲学博士、教授であり作家でもあるソフィー・ガラブルー氏が近年上梓した著書『家族をつくる』が注目を浴びる中、あるインタビューに答えている。その中の言葉を少し抜粋して、今回は終わりにしたい。
“Une famille en difficulté socioéconomique peut être extrêmement aimante et soutenante pour son enfant. L’amour, le respect, l’attention qu’elle lui porte, peut lui donner goût de vivre, confiance en soi et vitalité. Si ce n’est pas le cas, l’enfant doit, plus vite que les autres, être sa propre raison d’être. Il peut se faire aider par des “témoins lucides” comme les appelle la psychanalyste Alice Miller : un proche parent, un ami, un professeur, un éducateur qui entend sa souffrance. Un “témoin lucide” auquel l’enfant ose dire – quitte à fondre en larmes – combien il souffre. Il est alors prêt pour une vraie révolte positive. La famille ne va pas disparaître.”(※13)
「社会経済的困難を経験している家族は、子供に対して非常に愛情深く協力的な場合があります。親が子どもに与える愛、尊敬、そして配慮は、子どもに人生の味、自信、そして活力を与えることができます。 そうでない場合、子どもは他の子どもたちよりも早く、自分自身の存在理由について気づくでしょう。親は、精神分析家のアリス・ミラーが言うところの「明晰な証人」、つまり子どもの苦しみを聞いてくれる親、友人、教師、教育者から助けを得ることができる。たとえそれが泣き出すことを意味したとしても、子どもがどれほど苦しんでいるかをあえて伝える「明晰な証人」。その後、子は真の積極的な反乱の準備(思春期の期間)が整います。 最後に、家族という関係性は、一生消えるわけではない。」と、親は子の味方であるべきだと諭す。近年、日本では子どもに対する虐待事案が多く報道されている。それは、日本だけでなく、世界各地で昔から起きている事であり、表に出る事柄は氷山の一角だろう。近頃、大阪では1歳児の男児が亡くなる事件(※12)が起きたばかりだ。また、北海道では中学生の子どもが実の母親の首を絞めて殺害する悲惨な事件(※13)も起きている。今、親子間の関係が歪な形で放出され、それが良くない方向に流れているような気がしてならない。親は子を守るものであり、子はその恩恵を受けながら大きく成長し、親への敬愛を抱く関係性が最も理想的ではあるが、それが今、ガラス細工のように壊れかけている。ソフィー・ガラブルー博士の「家族という関係性は、一生消えるわけではない」という言葉に耳を傾ける必要があるのかもしれない。
映画『アニエス V. によるジェーン B. デジタルレストア版』映画『カンフーマスター! デジタルレストア版』は現在、上映中。
(※1)Contrepoint – La famille sous le regard du philosophehttps://shs.cairn.info/revue-informations-sociales-2016-2-page-73?lang=fr&tab=texte-integral(2024年10月10日)
(※2)Philosophie de la famillehttps://www.lgdj.fr/philosophie-de-la-famille-9782711624829.html(2024年10月10日)
(※3)Pourquoi la beauté?https://books.openedition.org/cdf/15707(2024年10月10日)
(※4)Miroirs philosophiques : vertus et perversions du reflet de soihttps://books.openedition.org/pur/38078(2024年10月10日)
(※5)フランスが柔道王国なワケ 溝口紀子氏が解説 競技人口は日本の4倍「騎士道精神と武士道精神が調和」https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/30/kiji/20240730s00041000290000c.html(2024年10月10日)
(※6)250 adhérents pour 3000 habitants : pourquoi le kung-fu remporte un succès fou dans cette petite communehttps://france3-regions.francetvinfo.fr/grand-est/moselle/thionville/250-adherents-pour-3000-habitants-pourquoi-le-kung-fu-remporte-un-succes-fou-dans-cette-petite-commune-2924340.html(2024年10月10日)
(※7)1973-2023 :Cinquante bougies pour Libé : 1983, le kung-fu entre dans le journal et sort du ghettohttps://www.liberation.fr/plus/numeros-speciaux/cinquante-bougies-pour-libe-1983-le-kung-fu-entre-dans-le-journal-et-sort-du-ghetto-20230417_WYUWU7XRRFGS7NFMFNPYOXF6FY/(2024年10月11日)
(※8)Les pires titres français de films de Kung Fuhttps://www.senscritique.com/liste/les_pires_titres_francais_de_films_de_kung_fu/310313(2024年10月11日)
(※9)仏山の白眉拳の伝承人 フランス人青年のカンフーへの情熱http://japanese.china.org.cn/life/2017-04/13/content_40612480.htm(2024年10月11日)
(※10)Introduction : L’essor de la psychologie de l’adolescence https://shs.cairn.info/revue-enfance2-2012-3-page-251?lang=fr(2024年10月11日)
(※11)Revue internationale sur les pratiques et la didactique de la philosophie Pratique de la philosophie avec les adolescents : comment la discussion philosophique peut-elle contribuer au processus de construction identitaire ?https://diotime.lafabriquephilosophique.be/numeros/077/007/(2024年10月11日)
(※12)死亡した1歳男児 8月にミルクで『やけど』児相は対応も“虐待”と判断せず 近隣住民「夜中にドンと物が落ちる音、赤ちゃんの泣き声」大阪・平野区https://www.mbs.jp/news/kansainews/20241009/GE00061004.shtml(2024年10月11日)
(※13)札幌 母親殺害容疑で逮捕の15歳男子中学生「ひもで首絞めた」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241008/k10014604481000.html(2024年10月11日)