空前の推し活ブームにノッて映画『りりかの星』塩田時敏監督インタビュー
—–ストリッパーとサイレント。非常に斬新な組み合わせだと私は感じましたが、この作品の制作経緯など、何かお話し頂けますか?
塩田監督:小室りりかという実在するストリッパーのステージが、素晴らしいです。これを記録映像として残しておきたいなと思ったのが、始まりです。最初は、ちゃんとした映画を作ろうとは、考えていなかったんです。そこに太田プロデューサーから、映画にしてみないかとお話を頂きました。制作の条件として、デジタルではなくフィルム撮影や短編、サイレントなど、様々な撮影技法の条件が重なって、制作しました。これは、単なる記録映像だけではなく、ちゃんとした映画にした方が面白いだろうと提案を受け、その上、後々劇場で上映できるものになるだろうと、覚悟を決めて挑戦しました。
—–恐らく、最初に監督が構想していた記録映像から、まさかサイレントまで話が及ぶとなると、制作のハードル的に大変ではなかったでしょうか?
塩田監督:もちろん、仕事で普段から多くの映画は観ています。元々、この業界に入る前は、むしろ監督になりたかった気持ちもありますので、色々な構想も持っていました。そんなに大変な作業ではありませんでしたが、映画評論家としてゆうばり国際ファンタスティック映画祭のプログラマーも務めていますので、非常に多くの数の作品を観ています。若手の作品で刺激を受ける映画もあります。その一方で、どんな作品を人様に観せたら良いのか、また観せない方がいいのかを理解した上で、自分でも作れるのではないかという思いは、多少ありました。
—–今まで蓄積して来たデータや経験値が、この作品に反映されたのですね。
塩田監督:それは、単に映画を作るという大きな意味だけではなく、自主制作の映画は、自分の周りの友達をスタッフやキャストに引っ張って来て、作っている事が多いと思うんですが、僕の場合、たまたま周りの友達が、この業界が長かっただけに集まってくれた。廣木隆一監督や三池崇史監督が、友達でもあったので声を掛けました。スタッフに関しても、知人で集めました。映画業界とは、まったく関わりのない人たち集めて作るのとは、少なからず、出発点が違っていたのかなという気はしています。それは、この業界で映画評論家として活動して来た者のデビュー作という点は、有利な点だったと思います。
—–少し余談かもしれませんが、私自身はシネマ・ライターさせて頂いていますが、この業界を最初に目指した10代の夢は、映画監督だったんです。ただ、一度目指したものは、最後までやり遂げたいなと考えています。お話をお聞きしながら、そう感じています。
塩田監督:そもそも僕の中では、批評と映画制作が、全く別物とは考えていないんです。人によっては、ごく一般的に見られる感じは、監督と評論家は全く違うと見られますが、両者は車の両輪であって、どっちか欠けても上手く走れないんだろうと思います。評論家は、映画が無ければ、映画監督が居なければ、成り立ちませんし、何について喋ることもできず、何について書く事もできませんが、監督もまた適正な批評を無視すると思わぬ脱輪をしかねません。批評がなければ、楽しい方向には進めないと思っています。だから、その両方が上手く回転する事によって、ちゃんとした芸術が生まれるんです。それを一人の人間がやる事も決して、悪い事ではないと思っています。実際、たとえば、黒沢清にしても、評論家としても素晴らしいですよね。素晴らしい人は当然いますので、変わった事でもないと思っています。
—–では、本作のタイトルは「りりかの星」ですが、改めて、この「星」にはどんな意味を持たせていますか?
塩田監督:元々のネタになっているのは、「巨人の星」です。最近の若い方は「巨人の星」を知りませんか?
—–存じ上げておりますが、映画とアニメで連想する事はできておりませんでした。
塩田監督:確かに、あのアニメは父と息子の物語ですが、この映画には「巨人の星」の要素も入れています。私達の世代だったら、当然、「巨人の星」から来ていると、誰もが思いますが、言葉に直結しない世代も増えているんだなと、考えて説明する必要があると、改めて思います。要するに、憧れという意味もあります。また、ステージの上に立つスターの意味もあります。様々な意味を捉えてもらっていいと思います。
—–作品はサイレントで構成されており、非常に挑戦的にも私は感じる事ができましたが、サイレントにした事によって、作品が題材として扱っている親子間の問題をどう表現できたと思いますか?
塩田監督:いわゆる、サイレントにした事によって、言葉という言語によるドラマではなく、映画言語によって表現する事を目指しました。ネットで2倍速、3倍速で観ようとしたら、ほとんど何も観られず、何も発見する事はできないと思います。最近、そんな観方で映画を観てしまう方も多い中、実際に、それで十分と満足し、それ以上でも、それ以下でもないという映画も実際増えていると思うんです。でも、そうではなく、サイレントは映画の原点でもあり、映画本来の面白さ、強み、映像そのもので全てを語るという事を目指して、画作り的には非常に凝っています。そこを注視して観ていただければ、観る人の頭の中で色々と物語はより広がって行きます。また、深まって行くはずです。その点が、映画評論家としても良い映画だと思っています。
—–2倍速、3倍速で観ると、伝わるものも伝わらないと思います。何も入って来ないと思います。ある種、世の中に対する、アンチテーゼ的なものも入っていると考えてもいいですね。
塩田監督:結果的に、アンチテーゼ的な作品になっているかもしれません。
—–同感ではありますが、今の時代、ストリッパーやストリップを取り上げる事自体、正直、世の中の流れ的に背いているようにも感じるんですが、作品に取り上げた事によって、世の中のストリップに対する世間の視線に対して何か変化はあるとは思いますか?
塩田監督:確かに、ストリップに限らずですが、本来、映画が持っているはずの官能的なものを、最近はもう、避けて撮っている作品があまりにも多すぎるという印象はあります。だから、つまんない映画ばっかりが制作されている点は、映画評論家的な意見ですが、だったら作ってみようと思ったのが、この作品です。実際、昔撮られていた映画に描かれるストリップの数々には名作がありますが、当然その頃のストリップと今の実際のストリップは、実体がもう全然違うものになって来ているんです。その点に関して、いや違うんだ、今はこうなんだと知って頂きたい思いはあります。現実の実際問題として、いわゆるスト女(※1)と言われる女性客が今、非常に増えています。彼女達は彼女達で、男性の観客とは見る視点とはまた違うところを見ていると思いますが、新しい見方や流れを世間に示して行きたいとあります。もちろん、映画を観た後にストリップ劇場に足を運んでもらえるような作品も作りたかった思いもあります。概念的に昔からストリップと映画は、非常に親和性があって、映画を上映しながら実演もやっていた歴史もあります。時代と共にどんどん減って行き、あるいは映画館も興行が立ち行かなくなると、成人映画館に姿を変えるも、その成人映画館もピンク映画館もどんどん減っている現象が、非常に似た部分もあります。その状況は例えるなら、現在のミニシアターの減少も同じだと思います。いつまでも、あると思うなミニシアターとストリップ劇場という感じで、それぞれに関心を持って頂きたいと思います。
—–正直、今の世の中、特に若い世代はエロスと暴力のある映画を観なくなったという現象がありますね。だから、主に昭和の映画を観ない現象が起きていると思うんです。でも、暴力もエロスも一つの表現であり、芸術ではないのかなと思っています。
塩田監督:映画とは、何かと問われれば、それはセックス&バイオレンスです。言い換えれば、生と死、エロスとタナトス、哲学です。そこを避けて通っている事は、映画から哲学的なものを抜いてしまって、単に面白い要素だけに留まっているんです。昔は、どんなB級映画にも暴力シーンやセックスシーンがありましたが、どんな面白くない映画にも、ある種、哲学はちゃんとあったんです。今、生と死という根本的な人間における本質が描かれなくなっていますので、映画史に残るような作品は、限られて来ていると思います。
—–暴力もセックスも人間の生身の部分です。人間のリアルな部分が、排除されている背景があると考えています。
塩田監督:でもこれはもう、映画だけの問題ではなく、社会そのものがその方向に向かっています。
—–でも、昭和の日本映画もたくさん良い映画はあります。観たら価値観が変わる時もあるでしょう。まだ私自身も追い切れていませんが、少し視野を広げるだけで考え方は変わります。2000年以降の綺麗な映画だけでなく、少し泥臭い昭和の作品には哲学がありますよね。
—–本作に登場する親子のように、苦悩や葛藤は親子の間では必要不可欠だと私は思いますが、世間にはこの作品に登場する親子のように苦悩をし、葛藤する親子が実際にいると思います。そんな親子に対してエールを送るとすれば、何かございますか?
塩田監督:まず、相手の立場になって考えてみる。父親が劇場に行くんですが、僕の中で大きく言えば、そこは劇場ではなく、母親の胎内、女の人の子宮の中にもう一度、入って行くイメージです。娘の立場を思うだけじゃなく、娘の中に入り込んでしまうんです。そうした時に何が見えて来るのか、どんな思いになるのか、父と娘の関係、性や人種が違ってもいいんです。親子が対立しないで済むものが体で感じて、理解できるのではないのか。お互いを分かり合える異空間がストリップ劇場です。少し想像の翼を広げて頂けると、それぞれ観る人が様々な思いで心が動かされる気はします。
—–お話をお聞きして、自身と交わる部分もありました。今まで自身の活動に対して、親は肯定的ではない印象を受けていましたが、最近、少しずつ文章に目を通してもらえるようになって。すると互いの理解を通して、自分の中に入って来るような錯覚を感じています。文章がストリップ劇場の役割を果たし、感想を言い合う事で互いの価値観を再認識するいいきっかけになっています。
塩田監督:僕自身も大学を出て、社会に出た時に母親から言われたのは、どんな仕事でもいいけど、映画評論家と映画監督にだけはなってくれるなよと言われました。1980年前後の話でしたが、その頃は映画関係者なんて本当に良くないイメージがあって、親の心配も分からない事はなかったんです。子どもというのは、親の反対を押し切って、自身のやりたい事に向かって行動するものですよね。別に、反抗した訳ではないですが、なるようにして、今の私がいます。でも、続けて行けば、映画に興味がなかった母親もテレビで相米慎二の映画を観て、的確な批評をするようになって来るんです。母親の考えが変わって来たんだなぁって思った事もあります。お互いの事を思っているのも大切です。
—–最後に、本作『りりかの星』が、世間にどう広がって欲しいと何か願いはございますか?
塩田監督:先ほども言われたように若い世代の人が官能映画を観ない状況があります。実際、東京公開でも、年齢層の高い方ばかりが、来ていると思うのは、正直つらいところです。本来、狙っていた若いスト女の方に来て頂きたいと思う反面、なかなか伝わっていないのが、少し残念な気もします。それでも、何人か若いお客さんが観に来られていて、その時、映画を観に来ていた年配のお客さんがびっくりして、若いお客さんに色々と質問責めにしている光景もありました。より多くの、特に若い女性には観て頂きたいと思います。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『りりかの星』は現在、関西では8月3日(土)よりシネ・ヌーヴォ(同時上映『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』)にて公開中。また、8月23日(金)より神戸映画資料館(同時上映『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』)にて公開予定。
(※1)ストリップ鑑賞のススメ~女ひとり、広島第一劇場へ~part1https://flag.style/magazine/hiroshima_strip_column/(2024年8月3日)