ドキュメンタリー映画『紫 MURASAKI 伝説のロック・スピリッツ』歌い語り継がれていく

ドキュメンタリー映画『紫 MURASAKI 伝説のロック・スピリッツ』歌い語り継がれていく

2023年2月12日

オキナワン・ロックの神髄!ドキュメンタリー映画『紫 MURASAKI 伝説のロック・スピリッツ』

©2022 Echoes

(※1)琉球(宮古)民謡「なりやまあやぐ」は、宮古島では教訓歌として古くから慕われているが、この曲は1864年頃には既に、歌われていた沖縄民謡の中でも最古級の島唄。

歌詞の内容は、年代や人、性別によって、様々な解釈があり、今回は(※2)明治時代に歌われていた時の釈義も一緒に紹介しておく。

かじゃでぃふーぶしは、長きに亘りうたいん継がれてきたが、るーか(琉歌)だけが歌い継がれて来た訳でなはない。

©2022 Echoes

沖縄には、今の若い日本人には知らない、あるロックバンドの伝説が、語り継がれている。

バンド名は、「紫」。

遡ること、およそ50年前。

70年代の沖縄は、戦後20年が経っても、アメリカの占領下にあり、(※3)ベトナム戦争の影響を色濃く受けていた(※4)沖縄返還の直前のその時代。

ある一組のハード・ロック・バンドが、誕生した。

彼らの存在は、後にその当時のロックシーンの草分け的存在とまで評させるほど、当時は衝撃的なデビューであった。

この年代の日本では、「ロック」という概念は、まだ浸透していない時代でもあった。

もちろん、世界的に見ても、今ほどロック・バンドの数は、少ない。

どちらかと言えば、ポップ・バンドとして名が通り、どのバンドも「アイドル」的存在として扱われていた時代でもある。

英国のザ・ビートルズにしても、米国のザ・ビーチ・ボーイズにしても、それぞれがバンドでありながら「アイドル」だった。

極めつけは、当時英国からデビューし、国内で人気を誇ったベイ・シティ・ローラーズに至っては、完全アイドルだったのだ。

彼らのような派生したアイドル・バンドは、数多く存在した。

そんな中、60年代後半頃に彗星の如く登場したのが、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルと言った、ハードなロックを主体にした大型バンドだ。

彼らのようなバンドは、当時におけるロックの音楽性を決定づけたグループとしては、大きな功績を残している。

逆に、1970年代前後の日本では、ローリング・ストーンズやベンチャーズらから影響をザ・スパイダースやヴィレッジ・シンガーズ、ザ・タイガースと言ったグループ・サウンズ(GSと称する)が、流行っていた。

1970年代以降には、元祖アイドルと呼ばれる小柳ルミ子や花の中三トリオ、新御三家と言った当時のアイドル達が活躍した時代だ。

世界的に見ても、アイドルと言う概念(70年代の当時はまず、「アイドル」という言葉は、まだ生まれていなかった。恐らく、80年代以降に業界や世間が、キラキラ輝く10代達の歌手を「アイドル」として称したのだろう。70年代は、「スター」としか呼ばれていなかった)が、大いに全面に出された音楽業界の中で、ハード・ロックという部門は、異色であったに違いない。

©2022 Echoes

本作『紫 MURASAKI 伝説のロック・スピリッツ』の被写体となったロックバンド「紫」は、英国のロックバンド、ディープ・パープルから大いに影響を受けた日本の元祖ハードロックのバンドだ。

当時のコザ市(現沖縄市)には、「紫」の他に、コンディション・グリーン、マリー・ウィズ・メデューサ、ウィスパーズ、チャマーズ、キャナピス、コンディション・グリーン、コトブキ(少し年代は前後するが)ら、多くのロックバンドが、インディースバンドとして活躍していた時代だ。

本作では、この「紫」という当時のモンスター・バンドに焦点を当てたインタビューが中心のドキュメンタリーたが、メンバーを含め、話をする関係者らの口から出てくるのは、「紫」というバンドへの賞賛の眼差しと尊敬の念が、語られる。

伝説のバンド「紫」が如何に、当時も現在も、愛されてきたのか、作品を通してよく分かる。

あるインタビューを受けた「紫」の代表メンバーであるジョージ紫さんは、デビュー当時の本土での沖縄人に対する扱いを振り返り

(※5)ジョージ紫さん「沖縄から集団就職で本土に働きにいった若い人たちもいっぱいいて、本土では差別を受けたり、アパートにも沖縄人お断りとか、いろんな虐げられたことがあったと思う、社会的に。だけど紫という沖縄出身のバンドが日本・東京に出て、それで人気も含めたいろんな形で1位になったとか、すごい人気が出たことで、彼らもすごい勇気をもらって、沖縄人で良かったねみたいな」と話す。

同じ日本人として情けない話でもある。

今でそこ、このような沖縄に対する差別的事案は減ったと思うが、それでもまだまだ問題は山積みだ。

最たる事案は、(※6)アメリカ軍の基地問題だろう。

米軍のジェット機が小学校に墜落し、住民6人、学童11人の尊い命が奪われるという、1959年に起きた実際の悲劇を描いた(※7)映画『ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜』としても問題提起されている。

それでも、沖縄人の心に寄り添い続けたのは、琉球民謡や「紫」らが奏でるロック・ナンバーだろう。

最後に、んかし(昔)からちゅー(今日)、そしてあちゃー(明日)へと、音楽は継承されていく。

伝説と呼ばれる「紫」が残した偉業は確実に、メジャー、インディース問わず、日本の若者達に伝わっているはずだ。

本作にも登場したLOUDNESS、聖飢魔IIをはじめとした、80年代に活躍したBOØWY、ブルーハーツ、THE ROOSTERS、ハナタラシ、フリクション、LIZARDや90年代にはJUN SKY WALKER(S)、Blankey Jet City、エレファントカシマシ、LINDBERG、00年代にはELLEGARDEN、ORANGE RANGE、9mm Parabellum Bullet、BEAT CRUSADERS、BUMP OF CHICKEN、チャットモンチーら多くのバンドが、登場した。

そして、2010年代以降の今、OKAMOTO’S、Official髭男dism、KANA-BOON、King Gnu、キュウソネコカミらメジャーだけでなく、Chevon、フミンニッキ、革命前夜は眠れない。、新東京、まるで虎、然れど猫、OUT OF FASHIONらインディースバンド含め、今で言うJロックという世界を確立させたのは、他ならぬ、沖縄のロックバンド「紫」だ。

あの時代に彼らが登場していなかったら、もしかしたら現代のJロックという世界は、生まれていなかったかも知れない。

これからも先、沖縄発信のロック魂は、琉球民謡「なりやまあやぐ」が歌い継がれたように、未来永劫、歌い語り継がれていく事だろう。

©2022 Echoes

ドキュメンタリー映画『紫 MURASAKI 伝説のロック・スピリッツ』は現在、関西では大阪府のなんばパークスシネマで現在公開中。兵庫県のシネマ神戸は、2月25日(土)より公開予定。大阪府のシネ・ヌーヴォにて、現在絶賛上映中。

(※1)「なりやまあやぐ」https://youtu.be/sZ9OQzFMRy4(2023年2月12日

(※2)教訓歌 なりやまあやぐ 歌詞 意味https://ameblo.jp/sofianobara/entry-11802852622.html(2023年2月12日

(※3)ベトナム戦争と沖縄の米軍基地https://drive.google.com/file/d/1wbmkdYaDwDwhCxveQWRkZvl3AJpQ5LCq/view?usp=drivesdk(2023年2月12日

(※4)沖縄1972写真でたどる日本復帰50年https://www.asahi.com/special/okinawa/kawaranunegai/utm_source=special&utm_medium=asahi&utm_campaign=20220509(2023年2月12日)

(※5)伝説のバンド「紫」のドキュメンタリー映画が公開https://www.qab.co.jp/news/20220921155640.html(2023年2月12日)

(※6)米軍基地問題に対する活動https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/kizuna/peace/us-bace.html(2023年2月12日)

(※7)映画『ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜』http://www.ggvp.net/himawari/(2023年2月12日)