映画『墓泥棒と失われた女神』未来に生きる子孫たちの為に…

映画『墓泥棒と失われた女神』未来に生きる子孫たちの為に…

ギリシャ神話の悲劇のラブストーリーをモチーフにした映画『墓泥棒と失われた女神』

©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinema

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Amka Films Productions, Arte France Cinema

私達は、過去から未来へ、前世から来世へと旅をするタイムトラベラー。生きている今の世は、単なる仮の姿だ。本来の姿は、どこにも無く、宙を漂う芸術品と同じか、それに準ずる何かだ。私達は映画を通して、過去にも未来にも、他者の潜在意識の奥深くまで入り込める事ができ、その潜在意識の向こう側には、あなたの知らないあなた自身が待っている。時間は有限であり、与えられし時の中で私達は生きとし生ける生き物として、我が生涯を全うしなければならない。数万、数千、数百年前に作られた芸術、書かれた書物、作られた映画、すべて時空を超えて私達の手元に届く時、やっとその物の価値が有効的に効力を発揮させる事ができる。元来、芸術が持つ真のパワーは、人に見せて見られて終わりではなく、100年先、200年先の未来人の手元に届いた時、その時初めて、その物の真価が問われる時。墓泥棒という言葉には、マイナスなイメージが付き物ではあるが、考古学的観点で考えれば、数千年前の墓から当時大切にされていたであろう芸術品が、再度陽の目を見る事こそが、非常に大切なのである。過去へ行き、未来へも行き来できる私達であるからこそ、昔の墓を発掘する行為に肯定性を感じて止まない。過去から未来へ、前世から来世へ、脈々と伝承される古代の品は、必ず今を生きる私達の生活に大きな潤いを与えてくれる大きな存在でもある。映画『墓泥棒と失われた女神』の舞台は1980年代、イタリア・トスカーナ地方の田舎町。忘れられない恋人の影を追う考古学愛好家の青年アーサーには、紀元前に繁栄した古代エトルリア人の遺跡を発見できるという不思議な力があった。アーサーはその能力を利用して墓泥棒の仲間たちと埋葬品を掘り起こしては売りさばいて日銭を稼いでいる。そんなある日、アーサーたちは希少価値を持つ美しい女神像を発見するが、事態は闇のアート市場をも巻き込んだ騒動へと発展していく物語。私達は日夜、何かを記憶すれば、何かを忘れる生き物だ。過去にあった考古学的芸術の品物は、多くの時代の層に何度も押しつぶされ、追いやられながら、人々の記憶から少しづつ忘れ去られ、消し去られる運命にある。それを掘り返し、発掘し、次世代に残し、繋げて行く活動をする人が、考古学者であったり、考古学的墓泥棒だ(この両者を並列にするのは誤りでもあるが、この作品の性質上、横並びにするのが良き選択だろう)。

©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production,
Amka Films Productions, Arte France Cinema

考古学という分野は、日本の考古学と言えば、明治10年(1877)、E・S・モースによって、大森貝塚の発見が出発点とされている。ただ、既に江戸時代には好古家・郷土史家らによる考古資料の収集・記録・研究が行われていた(※1)。この時期が、ちょうど日本における考古学の出発点であり、案外、新しかったと言えるだろう。では、世界の考古学の始まりは、いつからだろうか?海外の考古学の分野の始まりは、19世紀のヨーロッパで誕生した学問とされる。古い物に対する関心やギリシア・ローマ時代の遺跡の研究をベースにし、地質学や進化論の影響をうけて成立した学問(※2)が、考古学という事になる。ここで少し気になったのが、先述したE・S・モースなる人物だ。この人が、日本に初めて考古学の概念を持ち込んだ第一人者となるようだが、彼は元々、動物学者という肩書きを持っており、考古学とは近い関係なのかどうか少し分からない一面もあるが、東京大学の初代動物学教授のE・S・モースは自身の動物学の研究の傍ら、ヨーロッパでドルメンと呼ばれる巨石記念物とよく似た遺跡(古墳)が日本に多くあることに興味を抱き、古墳調査など近代日本の考古学や人類学の基礎を築いたといわれる人物(※3)とされており、大阪府の八尾市と密接な関係があるそうだ。では、本作『墓泥棒と失われた女神』はイタリアが舞台となっているが、イタリアの考古学の成り立ちは、いつからなのだろうか?イタリアでは、18世紀、ポンペイなどの遺跡の発見・発掘によって考古学の面からも注目され、芸術分野に大きな刺激を与えたそうだ。また、古代の名所旧跡を描いた景観画、古代ローマにヒントを得た奇想画や装飾デザインが開花する一方、芸術家による考証作業に基づく著作も発表されている(※4)。これだけでも、イタリアにおける考古学が古くから存在し、また国に大きな影響を及ぼしている事が如実に理解できるだろう。だから、映画作品でも考古学を題材にする作品が生まれるわけで、日本やヨーロッパと違い、イタリアにおける考古学はイタリア国民や国家と密接に関係しているのであろう。考古学の分野は、多岐にわたると言われている。1.発掘調査を通じて遺跡周辺の古環境と人がどう関わってきたのかを扱う環境考古学2.動物と人の関係史を研究する動物考古学3.儀礼や祭祀などを扱う祭祀考古学4.民族誌や現存する民族に分け入って考古事象と比較研究する民族考古学など、特定の名を冠したさまざまな研究分野が存在する(※5)。先程、動物学と考古学の関係性が不明瞭と申したが、こうして考えてみると、動物学と考古学が組み合わせってできる学問に動物考古学という分野があり、人と動物の過去から続く深い関係性を研究する分野のようだが、非常にロマンを感じてやまない。動物は、私達人類にとって無くてはならない必要不可欠な存在だ。それを考古学の観点から問い直す行為は、非常に崇高であり、貴い事だ。考古学は、古い物を調べる研究分野だけでなく、物を通して現在の人類と過去の人類を繋ぎ結び付ける目には見えない太い糸で紡がれている事を再認識さぜるを得ないだろう。再度、考古学の重要性を考え、問い直す必要があると思いたい。

©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production,
Amka Films Productions, Arte France Cinema

では、本作ではもう一点、作品の主題にしているものは、考古学とは反対の立場になる墓泥棒だ。似て非なるものと捉える事もできるが、考古学が大学レベルの研究分野と考えるなら、墓泥棒はどこまで行っても犯罪者だ。でも、やってる事は同じ昔の墓石や古墳を掘り起こす行為に何ら違いの遜色はないであろう。その墓泥棒は、いつから存在し、こう呼ばれるようになったのだろうか?まず、イタリアには、トンバローリ(墓荒らし)と呼ぶそうだ。そして、墓泥棒や墓荒らしは、紛れもなく犯罪行為であり、遺跡を許可なく発掘し、出土品を独自のルートで金銭に換える行為や人の事を指す言葉だ。かつて、遺跡の監視の目も甘かった時代。盗掘や違法売買が横行していた。現在、各々の国が、自国の美術品の保護を強化し、盗掘物の発見件数は激減している傾向にあるそうだが、それでも、現在でも墓泥棒は存在する。非常にローカルなニュースではあるが、今年の3月、滋賀県大津市にて墓荒らしの事案が発生した(※6)。なぜ、他人の亡者が眠る墓石を無断で蹴り倒したり、攻撃するのか甚だ疑問だ。この犯人と墓石の親族に何らかの関係があるとしか思えないが、それでも、他人様の墓石を無茶苦茶にする行為には憤りを感じてしまう。また、こちらの問題は非常に由々しき問題だ。いつの時代か分からないが(記事では、沖縄戦で資料が散逸、戦前のため何も見つからないという)、相当随分昔に有識者達が、平気に民族の墓にある品を無断で拝借したようだが、現在、龍谷大学の松島泰勝教授が「琉球人は遺骨や厨子甕を大切にしてきた。研究者が墓を荒らし、墓から引き離した暴挙は許されない。まずは謝罪があって然るべきだ。」と、憤りを露わにしている。アイヌ民族の遺骨返還運動に取り組む木村二三夫氏(75)は、「盗んだものは謝って返す。実にシンプルなことがなぜできないのか。アイヌ民族や琉球人の問題ではなく、和人やヤマトンチュこそ問題にしなければならない話だ」と声を大にしているが、これはアイヌ民族や琉球民族の問題だけでなく、私達日本人全体の問題と言えるだろう。なぜ、謝ってお返しする行為ができないのであろうか?これは、小学校に上がる前の未就学児童の時に幼稚園や保育園で学ぶ人としての基本的な事にも関わらず、それが出来ない大人達が今、増えている傾向にあり、社会的な問題なのかもしれない。最後に、松島氏は、「謝罪もなく形だけ返還する姿勢は、植民地主義史観から脱却できていないことを意味する。世界の笑いものだ。」(※7)と日本の考古学の返還問題に正当な冷たい言葉を投げかけた。墓荒らしや墓泥棒は昔からある行為ではあるが、英国では19世紀には既に死体を盗み、死体売買のビジネス(※8)が横行しており、非常に問題視されていた時代もあった。考古学には、非常にロマンが感じる反面、墓泥棒にはあらゆる問題が癒着していると再認識させられる訳だが、私達が産まれる以前の時代の事柄や風潮を墓石を通して触れれるのは非常に有意義な行為なのだろう。まだ見ぬ未来に思いを馳せつつ、遠く過ぎ去った過去にあらゆる想像を膨らませるのもまた、魅力的ではないだろうか?映画『墓泥棒と失われた女神』を制作したアリーチェ・ロルバケル監督は、なぜ本作のような作品を思い付いたのかと聞かれて、こう話している。

Rohrwacher:“Movies always come from afar—they often have a long incubation stage within us and then bloom whenever they feel like it. I’ve collected these stories over a long period. But I’ve always been passionate about archeology. I was a classics major at university, and I’ve always had a fascination with archeologists’ work. Making a movie is quite similar to what an archeologist does because they manage to see a story in places where others only see a bunch of stones. They succeed in recomposing a story, piecing it together from tiny abandoned pieces they find.”(※9)

©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production,
Amka Films Productions, Arte France Cinema

ロルバケル監:「映画はいつも遠くからやってきます。私たちの心の中で長い潜伏期間を経て、気が向いたときに花開くのです。私は長い時間をかけてこうした物語を集めてきました。でも、私はいつも考古学に情熱を注いできました。大学では古典学を専攻し、考古学者の仕事にずっと興味を持っていました。映画作りは考古学者の仕事とよく似ています。考古学者は、他の人が石の山しか見ないような場所に物語を見出すことができるからです。彼らは、見つけた小さな捨てられた破片をつなぎ合わせて物語を再構成することに成功します。」と話す。映像学も映画学もまた、考古学の一部なのかもしれない。それは、どんな物にも言える事だろう。現在、あらゆる新しい物が作られては消費されているが、数年後、数十年後には今の物事、事柄はすべて、過去のものとなり、芸術の化石化となり、そして考古学の研究対象となりうるのだ。だからこそ、今という時代の中に存在する芸術や品物は、今のこの時代に大切に使用する事が大切だ。そして、数百年後の未来に生きる私達の子孫や分身が、その物を通して、今の私達が生きた今の時代に対してロマンを感じるのであろう。現在から未来に残して行くあらゆる物を通して、私達が生きた証を感じ取って欲しい。

最後に、映画『墓泥棒と失われた女神』は、1980年代、イタリア・トスカーナ地方の田舎町を舞台に、墓荒らしと考古学者が繰り広げる歴史や時代を超えた究極のロマンとロマンスを感じさせる極上のイタリア映画に仕上がっている。過去から未来へ、前世から来世へ、現在から現世へ、私達は映画や芸術、骨董品や考古学の物品を通して、あらゆる時代のあらゆる出来事の空気感を感じ取る事ができる。いつか、この作品もまた、考古学の観点から言えば、過去のものとなる(それが、過去作と私達は呼ぶ)。でも、数十年、数百年、数千年先に、この映画を残す為に、私達は今、芸術作品への保存継承の音頭を取らなければならないだろう。未来に生きる子孫たちの為に…。

©2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinema

映画『墓泥棒と失われた女神』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)好古~日本考古学のあけぼの~ | 企画展示| 古書の博物館 西尾市岩瀬文庫https://iwasebunko.jp/event/exhibition/akebono2020.html#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AF%E6%98%8E%E6%B2%BB,%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2024年8月15日)

(※2)企画展示 | No.593 考古学のキホン-古いか新しいかを知るには一 | 福岡https://museum.city.fukuoka.jp/sp/exhibition/593/#:~:text=%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AF%E3%80%8119%E4%B8%96%E7%B4%80,%E3%81%86%E3%81%91%E3%81%A6%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2024年8月15日)

(※3)エドワード・S・モースと八尾https://www.city.yao.osaka.jp/0000009211.html#:~:text=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%88%9D%E4%BB%A3%E5%8B%95%E7%89%A9,%E7%AF%89%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82(2024年8月15日)

(※4)古代への情熱―18世紀イタリア・考古学と芸術の出会いhttps://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/58#:~:text=18%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AF,%E8%91%97%E4%BD%9C%E3%82%82%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2024年8月15日)

(※5)東京大学 考古学研究室https://www.l.u-tokyo.ac.jp/laboratory/database/11.html#:~:text=%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%8C%E6%89%B1%E3%81%86%E5%88%86%E9%87%8E,%E3%81%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%88%86%E9%87%8E%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82(2024年8月15日)

(※6)「男が墓石を蹴り倒している」 霊園で10基以上が倒壊、男が逃走https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1212095#google_vignette(2024年8月15日)

(※7)「盗んだものは謝って返す、なぜできない」琉球人の遺骨や厨子甕、返還手続きに透ける学者の低い倫理観https://www.tokyo-np.co.jp/article/338159(2024年8月15日)

(※8)墓を荒らし、死体を盗む泥棒たち…19世紀英国で横行した死体売買https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/111300579/?ST=m_news(2024年8月15日)

(※9)Filmmaker Alice Rohrwacher on La Chimera, Her Enchanting, Earthy New Film About the Past in the Presenthttps://www.vogue.com/article/alice-rohrwacher-la-chimera-interview(2024年8月15日)