映画『あのコはだぁれ?』「あのコ」は、誰の心にも眠る

映画『あのコはだぁれ?』「あのコ」は、誰の心にも眠る

教室には、“いないはずの生徒” がいる映画『あのコはだぁれ?』

©2024「あのコはだぁれ?」製作委員会

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学校という限られた密室の空間で繰り広げられる恐怖の夏休みの補習。あなたは、この恐怖に耐えられるか?世間ではあと少しで夏休みも開けようとしているが、今年の夏は日本の至る所で恐怖の悲鳴が轟いた事だろう。増殖する恐怖は、映画の中のスクリーンだけに留まらず、現実世界に潜む日常の恐怖さながらに、あなたたちの日々の生活を襲ったに違いない。肌で感じる憂悚は、毎夏の季節特有の毛骨悚然だろう。見つかってはいけない、呪いの歌を聞いてはいけない、もし見つかって呪いの歌を聞いてしまえば、あなたは殺される。死の魔の手は、すぐそこまで来ている。夏休みを過ごす学生にとって、ある種、開放的なひと月の期間に起きる奇怪な出来事は、あなたの隣でひっそりと息を潜んでいる。恐怖の連鎖は、徐々に子ども達の精神を蝕み、思考を停止させる。夏の思い出は夏の脅威に変わり、夏の快然たる感情は夏のアンニュイな感情に陥れられる。見てはいけないもの、聞いてはいけないもの。居ないはずの生徒が、今日も学生達に襲い掛かる。あの席に座っているはずのない生徒、「あの子は誰なのか?」。それを知ろうと深く入り込めば入り込むほど、そこに潜む亡霊の思うツボだ。夏の日の学校で繰り広げられる恐怖回廊は、渦巻きを成して旋転囲繞、暈眩回転と台風のように人々を巻き込んで行く。万に一つも存在しない霊の存在が、生きている側の生身の人間に訴えたい想いはなんだろうか?恨みを持って人々を襲う幽霊たちは、生前生きていた頃、自身の身に何が起きていたのだろうか?学生生活に疲労を感じた生徒が最後に選ぶ結末が、自殺だとしたら、死して尚、生前の出来事に恨み辛みを持って、感情を怒りに変えて、死んでからもこの世をさ迷っているのだろう。映画『あのコはだぁれ?』は、夏休みに臨時教師として補習クラスを担当することになった君島ほのかの目の前で、ひとりの女子生徒が突然屋上から飛び降りて不可解な死を遂げる。教室にいるはずのない生徒の謎に気づいたほのかは、補習を受ける三浦瞳や前川タケルらとともに、生徒たちの間で囁かれる“あのコ”にまつわる驚きの真実に辿り着く恐怖の物語であるが、実際に最も恐ろしいのは、幽霊やお化けではなく、私達人間自身だ。私達の中に眠る真の恐怖を叩き起した時、それは時として、数倍にもなって返って来る。その恐怖と対峙するのは非常に困難な選択肢ではたるが、その恐ろしい出来事や感情を乗り越えた時、それはあなたを一つ大人にさせる力を持っている。その力を手に入れる為に、この映画にある恐怖に真正面から対峙して欲しいと願いたい。

©2024「あのコはだぁれ?」製作委員会

夏休み期間中の補講は、どの学校でも毎年、行われている事だろう。一学期中に単位を落とした生徒を対象に、学園生活で少し不真面目な生徒たちが補講に挑む。私自身も、高校3年間の夏休みは毎年、補習授業を受けさせられていた記憶がある。お恥ずかしながら、お世辞にも、私も優良生徒ではなかったので、頻繁に授業をサボっては校外に外出、遅刻早退は常に頻繁で、よく授業の単位を落とす寸前で、学校側の配慮で補習授業で補っていた。それは、教師達による学生へのチャンスを与え、夏休み期間中にも関わらず、授業時間を設けていた教師達の計らいは賞賛すべきであろう。余計な仕事を増やしていたのは、事実だろう。その点、恐らく、現代における補習授業は、姿かたちを変えた今のスタイルであろうが、実際は1890年の明治23年10月7日に改正された「小学校令」において実業補習学校が小学校の一種とされた。これが、補習の歴史の起源だ。元々は、1935年3月まであった日本の旧学制の制度の下、高等小学校、中学校、高等女学校などの中等教育に進学しない義務教育修了者で、勤労に従事する青少年を対象に実業教育を実施していた学校を指し、現在で言えば、定時制や夜間学校の走りなのかもしれない。誰もが、教育を受けられる制度こそが、教育現場の理想だろう。それでも、近年の学校教育における現場での夏休みの補習に対する指導が、非常に行き過ぎている。たとえば、昨年、西日本で問題になった任意にも関わらず、「参加を希望しなければならない」強制参加の補習授業(※1)が存在したり、また近年浮上したのが夏休みを削減して、補習授業を増やすと文部省が打ち出した削減案(※2)には開いた口が塞がらない。夏休みの補習授業にて、ありもしない存在の幽霊が子ども達に脅威の猛威を奮うのも恐ろしいが、最も教育現場、学校現場で今、何が起きているのか知らない、理解しようとしない大人達が教育業界の上に立ち、子ども達を指導している有り様にも真夏の悪寒戦慄を肌で感じて、身震いするばかりだ。この考え方に皺寄せを食らい、被害を被るのは他でもない学生として学校生活を謳歌する子ども達だろう。幽霊よりも恐ろしい現場や学生の気持ちを何も理解していない大人達が、教育の実権を握る今の日本社会や教育現場に皆さんが恐怖を感じて欲しいと訴えたい。今、知らず知らずのうちに、学生達は大人達の都合の良い考え方に毒され、それが教育的弾圧であると気付かされもせず、窮屈な学校現場でストレスを与えられ、結果的に学生達はそのストレスをどこにも発散できないまま、互いを傷つけ合い虐めに発展したり、自殺する学生達が増える。それが、この作品『あのコはだぁれ?』のように自殺して幽霊となり恨みを晴らそうとする学生達の霊が増産されるその背景に、腐った教育現場の実像が見えて来る事だろう。

©2024「あのコはだぁれ?」製作委員会

そして何より、日本では現在、学校における教育現場や夏休み期間中の事件事故が社会的に注目を浴びている。その最たるものが、学校教育における生徒に対する教師達の体罰やパワハラだろう。また、生徒間で起きている虐め問題。本来、青春を謳歌し、学問に励む教育現場が、非常に殺伐とした空間となっている現在、その原因を作っているのが教育という職業におけるブラック企業化や学校生活には必要であろう生徒同士のカテゴライズや差別化に対して、スクールカーストと呼ばれる価値観が生徒間での格差を生じさせている。様々な問題が組み合わさり複雑化し、解決の目処が見えない結果、保護者や第三者の目が届かない密閉された空間では荒涼とした学園生活という名の砂漠地帯(もしくは湿地地帯)を生き延びようとするサバイバルゲームさながらの学校生活を無理に強いられている。近頃、子ども達への指導の一貫として、教師が消しゴムを忘れた子どもを3時間半、教室の教壇横に立たせて、クラスの晒し者にした件(※3)では、当然ながら、教師自身が社会的制裁や処分を受けている。私自身も幼少期は教員から怒られて長時間、クラスメイトの全児童の前で立たされた記憶があるが、3時間以上となると、それは単なる指導ではなく、行き過ぎた行為であり、体罰と非難されても弁解はできないであろう。また、生徒間で発生する虐め事案は、年を経るごとに熾烈さを増している。大きく報道された事案では、数年前の虐め問題に対して、現在被害者側が訴訟を起こしている。日常的に暴言浴びせられ、女子トイレ前で意味もなく土下座を強要された生徒は、通学意志に困難を来たした為、「転校」余儀なくされた件では、学校や教育委員会の不誠実な対応に波紋が広がっている。また近年、夏休み期間中に多発する水難事故(※5)が、子ども達の命を奪っているその背景には、霊的な要因が起因している可能性もあれば、教員不足という社会的背景が起因している可能性も考えられる。それでも、日々のこうした事案に巻き込まれながらも、熱意を持って生徒一人一人に向き合う教師がいることも忘れてはならないし、時にその情熱が空回りする事もあるだろうが、信念を持って、子ども達に向き合う姿勢を持つ教師が一人でも多く生む為に、教師達の職場環境を改善するよう動く事も大切だろう。学校は、子ども達にとって安全な場所であるという社会的安全神話は今、崩壊しつつあり、いつ何時、誰が事件や事故に巻き込まれて命を落とす可能性は秘めている。なぜ、子ども達が追い詰められて、自殺を選ぶのか。自死という結果論だけで物事を片付けるのではなく、その結果に行き着くまでのプロセスを通して、その生徒に何があったのかを考える必要がある。この点を学習しない限り、このホラー映画に登場する恐怖の生徒のように、何度も何度も同じ悲しみや苦しみを生み出す連鎖を繰り返す学生達を量産する学校教員の現場が産み落とす事になるだろう。映画『あのコはだぁれ?』を制作した清水崇監督は、あるインタビューにて「物語を作る上で特に意識された点や気をつけた部分はどんな点でしょうか?」という質問に対して、本作の肝となる「あのコ」の存在について、言及している。

©2024「あのコはだぁれ?」製作委員会

清水監督:「僕の中ではタイトル『あのコはだぁれ?』の“あのコ”は映画の前半ではすぐにわかるようにしていて、さらにその奥にもう1人、これがタイトルの指す“あのコ”はこの子なんじゃないかというのを忍ばせたいと思いました。実は“あのコ”は1人ではなく、登場人物の立場や観方次第で何人かの“あのコ”がいるし、Wミーニングで後半に明かされる“あのコ”も潜んでいるんです。」(※6)とあるように、作中に潜む「あのコ」の存在が、一人だけではなく、観る人の感情や視点によって、二人になったり、複数人になったり、「あのコ」は恐怖心と共に増殖する。あのコが誰の子で、どこの子か分からないが、あのコという存在を完全に忘却の彼方に葬り去った時、必ずあの子は意味もなく襲い掛かかって来る。

最後に、映画『あのコはだぁれ?』は、夏休みに臨時教師として補習クラスを担当することになった君島ほのかの目の前で、ひとりの女子生徒が突然屋上から飛び降りて不可解な死を遂げる。教室にいるはずのない生徒の謎に気づいたほのかは、補習を受ける三浦瞳や前川タケルらとともに、生徒たちの間で囁かれる“あのコ”にまつわる驚きの真実が描かれる日本のホラー映画ではあるが、そのホラーの中に眠る人間が持つ恐怖心を抉る恐怖こそが、ホラーそのものの真髄だろう。学校という密閉された空間では、常に何か予期せぬ出来事が起きるのではないかと、首を長くして、何かが手招きしている。近年、指導が届かない学校教育の現場にて、生徒に対して「あのコはだぁれ?」とはならないよう、また本作の「あのコ」のように第二、第三の「あのコ」を産まない為の現場作りが必要だろう。さもなくば、「あのコ」は必ず増殖し、恨みを持って、襲って来るだろう。「あのコ」は、誰の心にも眠る。

©2024「あのコはだぁれ?」製作委員会

映画『あのコはだぁれ?』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)任意なのに「希望しないといけない」補習って…高校生を襲う睡魔と空腹https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/1085011/(2024年8月24日)

(※2)尾木ママ 夏休み削減案の文科省に苦言「単純な数字合わせしか頭に浮かばないとは」https://www.daily.co.jp/gossip/2020/04/21/0013288425.shtml#google_vignette(2024年8月24日)

(※3)「消しゴムを忘れた」児童を3時間半立たせ、教員処分…指導と体罰の境界線は? 弁護士に聞くhttps://www.bengo4.com/c_18/n_12520/(2024年8月25日)

(※4)女子トイレ前で土下座強要、日常的に暴言浴びせられ「転校」余儀なく…中学時代の「いじめ」で提訴https://www.bengo4.com/c_18/n_17873/(2024年8月25日)

(※5)高知の小4プール死亡事故、男児は「怖い」と話していた…監視役の教員ら7分間目を離すhttps://www.yomiuri.co.jp/national/20240824-OYT1T50197/#google_vignette(2024年8月25日)

(※6)『あのコはだぁれ?』清水崇監督インタビューhttps://www.tst-movie.jp/int/anokodare-shimizutakashi-20240724.html(2024年8月25日)