映画『たとえ嵐が来ないとしても』明日への希望は奪えない

映画『たとえ嵐が来ないとしても』明日への希望は奪えない

台風ハイエンと残された人びとの希望の物語。映画『たとえ嵐が来ないとしても』

2013年11月3日から2013年11月11日までに発生した平成25年台風第30号(別名:ハイエン)は、この年2013年に発生した台風の中では最大級の台風の一つとしてカウントされ、歴代台風観測史上、最大規模とまで言わしめたこの時のこの台風は、フィリピン本土に襲来してからおよそ2ヶ年余が経過した2016年4月17日(台風発生時からこの間は、多くの情報が飛び交い、錯綜し、非常に困難を極めた)までの集計では、死者6,300人、負傷者28,628人、行方不明者1,062人、被災者数1,600万人以上。家屋114万戸余が倒壊するなどの人的被害を被り、被害総額は当時のレートとして、896億ペソ以上(約2,036億円)の空前絶後の被害に達した。台風が過ぎ去った直後に、フィリピンの被災地を訪れた国連の関係者は、2004年スマトラ島沖地震以来の甚大な被害と発表した。台風ハイエンの進路は日本への直接的被害は無かったものの、現地時間8日午前4時40分(日本時間午前5時40分)頃、フィリピン中部のサマール島に上陸。サマール島からレイテ島、パナイ島とフィリピン中部ビサヤ諸島を横断し、南シナ海へ抜けている。この平成25年台風第30号(別名:ハイエン)は、台風観測史上、世界的最大規模の被害をもたらしたモンスター級の巨大台風であった。映画『たとえ嵐が来ないとしても』は、この台風ハイエンに遭遇したフィリピン人のひと家族が巨大台風に直面しながらも、必死に生きようとする姿を描いたフィリピン発ヒューマン・ディザスター映画だ。このモンスター台風を背景に、無気力の青年ミゲルが恋人アンドレアと母ノーマを捜し出すため、廃墟となった街を歩き回る。フィリピンのタクロバンの街では宗教を狂信する者や自暴自棄になった者、犯罪者、逃げ惑う動物たちが野放し状態。やがて2人を見つけたミゲルは、危険になった街を離れようと説得する。嵐の到来という新たな噂が流れ、脱出までのタイムリミットが迫るなか、ミゲルは愛する2人を説得するため留まるか、1人で街を出るかの決断を迫られる姿を描く。台風という存在は、私達日本人にとっても、非常に身近な存在でもある。今年2024年の夏初月、日本列島を多くの台風達が横断縦断、飛び交った。最も記憶に残っているのは、サンサンと香港の少女の名前を名付けられ、8月下旬の最終週から9月上旬の最初週にかけてノロノロと日本を横断した台風10号(※1)は、今までに見た事もない進路をフラフラと通り、日本各地に甚大な被害を与えた。たとえ、どれだけ大きな台風が襲って来ようとも、日常や生活、大切な人を根こそぎ奪って行こうとも、私達には奪われないものが一つだけある。その一つだけを私と一緒に、見つけて行きたいと思う。

台風とは、いつの時代から発生しているのだろうか?気象現象なので台風の歴史がある訳ではないが、過去の文献を通して、いつ頃から台風が自然災害として日本で認識され始めたのだろうか?記録として観測される数百年前からアジアを中心に地球上の至る所の地域で猛威を奮って来たのだろうか?日本では世間一般的に、「台風」という用語として呼び出したのは、1907年である明治40年に気象学者の岡田武松が、学術的定義付けをした事から始まり、明治時代の次の大正時代から広く一般的に伝わったと言われている。明治以前、風速が毎秒32.7m以上の強風を「颶風(ぐふう)」と一般的に呼んでいたそうだ。また、平安時代中期頃から1008年頃に成立した日本最初の随筆文学である枕草子や平安時代中期の西暦1000年頃に紫式部によって書かれた源氏物語では「野分(のわけ・のわき)」と呼称され、明治期までは「大風」「出水」「暴風」「海嘯(かいしょう)」「洪水」など、状況に応じて様々な呼び名があった訳だ。随分昔から台風を台風と認識していた事が分かるが、改めて、明治大正以降から学術的に台風を研究され始めたのが、凡そ100年前、つい最近の出来事であると理解できたであろう。日本で初めて台風が一般に観測され、名前が付いた台風には、洞爺丸台風、狩野川台風、宮古島台風、伊勢湾台風、第2室戸台風、第2宮古島台風、第3宮古島台風、沖永良部台風、令和元年房総半島台風、令和元年東日本台風。この他にも、シーボルト台風、足尾台風、東京湾台風、屋島丸台風、室戸台風、周防灘台風、枕崎台風、阿久根台風(年代順不同)などの自然災害が、昔から常に日本列島を襲っていた。この中で最も甚大な被害を与えたのが、昭和34年に発生した伊勢湾台風だ。死者・行方不明者の数は5,000人を超え、明治以降、日本で観測した台風災害史上、最悪の大惨事となったと記録されている。日本と台風は、切っても切れない見えない縁で結ばれており、これから先もずっと、私達は彼等と共存して行く必要がある。台風に関する私個人の体験では、2018年6月18日に起きた大阪北部地震の同年の8月に発生し、9月4日に近畿地方に上陸した平成30年台風第21号(※3)は、25年ぶりに「非常に強い」勢力で日本に上陸し、近畿地方を中心に甚大な被害を出した。この時の台風は、私の記憶の中に深く刻まれた。職場のあった地域が、停電被害に遭遇し、私の勤め先であるレンタルショップも被災した。近隣のコンビニ店舗も被災し、多くの商品が品薄状態。停電被害のない店舗では、食料品を求めて、近隣住民の長蛇の列。人生で初めて「被災」というのを体験し(それでも、震災や水害で多大な被害を被った過去の自然災害時より私の体験は到底易しいもので、比較もできない)、生きて行く上での価値観や考え方を頭の底から根こそぎ180℃変えられた。この台風被害を通して、「人はいつ死ぬか分からないからこそ、後悔しない生き方をする必要がある」。この時の経験が、今活動している映画ライターへの道を背中から強く後押ししてくれた。台風は、人の人生や価値観をスパッと変えさせる何か強いパワーを持っている。

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また、日本と同様にフィリピンのある東南アジア地域や台湾、韓国、中国と言った東アジア地域でも台風被害は尋常ではない。今年は、先にも述べたように、サンサンという大型台風が日本に上陸したが、その後に発生した台風達はすべて、日本列島を逸れて、日本の奄美大島近海を経由して、中国本土に直撃し、中国の大都市である上海に大打撃を加えている(※4)。東アジア諸国への被害だけでなく、フィリピンを含む東南アジアの諸国でも台風の影響は否定できない。特に、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国が調査した結果、非常に興味深いデータが出てきた。そのデータ結果によると、アセアン10ヶ国中ワースト1位はフィリピンで世界171ヶ国中2位、日本は17位にランキングされます。ちなみに1位はバヌアツ(WRI:36.50)、3位はトンガ(同28.23)と地震・サイクロンに脅かされる南太平洋諸国が占め、最も危険度が低い171位にはカタールがリストアップされています。(※WRI指数は、自然災害(地震、洪水、台風、干ばつ、海面上昇)に対し、①エクスポージャー、②脆弱性、③対処能力<行政による管理能力等社会構造的側面>、④適応能力<環境・衛生・教育・人口構成等の側面>の4要素に基づいて算出される数値)(※5)。ただし、このデータ結果の算出は、2015年に行われたものなので、約10年経過した現代では、このデータと現在の地震発生率、台風発生率など、大きく異なる可能性も否定できないが、それでも、東アジアから東南アジア諸国にかけての自然災害に対する危険度数は、今も昔も変わらないだろう。今回は、フィリピンを集中的に見てみるが、この国における歴代の台風には、本作が取り上げる2013年に発生した平成25年台風第30号(別名:ハイエン)が真っ先に挙げられるが、他には今年の5月に発生した台風1号「イーウィニャ」は、発生が5月にずれ込むのは2020年以来4年ぶりで、統計開始以来7番目に遅い発生と報道され、歴代台風の中でも非常に珍しい一年を通して最も遅い台風が、今年の5月に生まれている。被害の大きい歴代台風1位は、Bhola(ボーラ)。発生時期は、1970年11月7日から11月13日。死者数は、30万–50万人が死亡(史上最悪のサイクロン被害)。被害地域:インド、東パキスタン。被害の大きい歴代台風2位は、Coringa(コリンガ)。発生時期は、1961年9月8日 9:00から9月18日。死傷者数は、死者194名、行方不明者8名、負傷者4,972名。被害地域は、日本、グアム。被害の大きい歴代台風3位は、Haiphong(ハイフォン)。形成日は、1881年9月27日。放散日は、1881年10月8日。死亡者は、300,000+(記録上2番目に致命的な熱帯低気圧)。影響を受けた地域は、ハイフォン 、ベトナム北部、ルソン島、フィリピン大佐 (現フィリピン)。被害の大きい歴代台風4位は、Nina(ニーナ)。形成日は、1975年7月30日。放散日は、1975年8月8日(8月6日以降のレムナントロー)。死亡者数は、合計229,000人以上(記録上4番目に致命的な熱帯低気圧)。影響を受けた地域は、台湾、中国東部および中部。被害の大きい歴代台風5位は、Nargis(ナルギス)。発生時期は、2008年4月27日から5月3日。死者数は、死者・行方不明者13万8,366人。被害地域は、スリランカ、インド、バングラデシュ、ミャンマー。この被害順位に見ただけでも、アジア地域における台風の被害は、本当に昔からあったと推測できる。2013年にフィリピンを襲った台風ハイエンがもたらした災害被害の要因は、以下の通りだ。1. 温暖な海洋 2. 沿岸部への人口密集 3. 森林伐採 4. 環太平洋火山帯 5. 沿岸部の急速な開発(※7)など、地球温暖化や都市開発の裏側では大きな自然災害が人々に猛威を奮っている。今年2024年は、各地で自然災害が人々に牙を向いた。つい先日、まるでタイムリーかのように、ヨーロッパの地域では大雨や豪雨による水害が、各地で起きている(※8)。中央アジアのアフガニスタンの北東部バグラーン州を中心に、多くの州が洪水被害(※9)に見舞われた。ここ日本でも今年、7月下旬に東北地方(※10)で大あと水害による甚大な被害を受けている。過去にも昭和28年西日本水害や西日本豪雨(2018年)、平成23年紀伊半島大水害、令和3年8月の大雨など、日本における水害被害は昔から起きており、私達日本人はこれらの自然災害と共存しなければならない。映画『たとえ嵐が来ないとしても』を制作したカルロ・フランシスコ・マナタッド監督は、あるインタビューにて「監督自身、あるいはご家族の体験について」の質問を受け、彼はこう話している。

Carlo Francisco Manatad:“I have been working in Manila for many years, and I don’t go home to Tacloban that often. Going home, I felt awkward or insecure. I went back [after the storm], and it was the most surreal experience. I arrived in a place where I was born and raised, and knew everything geographically, but it felt like a new place. I didn’t know where to go. I was on board a military plane to go to Tacloban, and I had images from the news that everyone was dead, and there were corpses on top of each other. On the flight, I programmed myself that everyone was dead. I arrived, and my only concern as I was walking through the ruins, was if I saw my family dead, I wanted to give them a proper burial. As I was going to my home that was destroyed, I saw my friends were dead. I saw all these familiar things already gone. But, luckily, I found almost all of my family. The only thing that mattered was to leave that miserable place. In the Philippines, we have the concept of being very territorial. My dad was like, “No, I won’t leave, everything will be fine.” I said, “Look around you. Nobody is alive. It’s good that we’re alive. Let’s just leave.” He was pushing it to the point that we actually fought, almost physically. He was born here and wants to die here.”(※11)

マナタッド監督:「私は長年マニラで働いていますが、タクロバンの自宅にはあまり帰りません。家に帰ると、気まずい思いや不安を感じます。嵐の後、戻ってみると、とても非現実的な体験でした。生まれ育った場所に着き、地理的にはすべて知っていましたが、新しい場所のように感じました。どこに行けばいいのかわかりませんでした。タクロバンに行くために軍用機に乗っていましたが、ニュースでは誰もが死んでいて、死体が重なり合っているという映像がありました。飛行機の中では、全員が死んでいると自分にプログラムしていました。到着し、瓦礫の中を歩いているときに唯一心配だったのは、家族が死んでいたら、きちんと埋葬してあげたいということでした。破壊された自宅に向かう途中、友人が亡くなっていました。慣れ親しんだものはすべてなくなっていました。しかし、幸運にも、家族のほとんどを見つけることができました。唯一重要なことは、その惨めな場所を離れることでした。フィリピンでは、縄張り意識が強いです。父は「いや、私はここを離れない、すべてうまくいく」と言っていました。私は「周りを見渡してみろ。誰も生きていない。生きているだけでよかった。とにかくここを離れよう」と言いました。父はそれを押し進め、私たちはほとんど肉体的に戦うほどでした。父はここで生まれ、ここで死にたいのです。」と、監督は話す。この物語は、監督自身の実体験から着想を得た作品と言っても過言では無いだろう。ただ、長年産まれ育った故郷を捨てるか、ここに留まるか。それは、当事者や年配の方にとっては、究極の選択であり、非常に心苦しい出来事だろう。今年、年明けに起きた令和6年能登半島地震においても、年配の方達による移住問題が取り上げられていたが、彼らの気持ちを慮ると、どの選択が本当に正しいのか、胸が痛み胸に迫る断腸の思いでもある。あなたなら、故郷を捨てますか?故郷に留まりますか?もしくは、捨てるという発想はなく、一時避難として、いつかは生まれ故郷に帰りたいと願わざるを得ないのであろうか。

最後に、映画『たとえ嵐が来ないとしても』は、監督自身の実体験を基に、2013年に実際にフィリピンに上陸した史上最大の巨大台風によって、右往左往するフィリピンの市井の人々を描いたフィリピン発ヒューマン・ディザスター映画だ。台風は、私達の日常を洗いざらい奪って行く。日常だけでなく、人生、生活、大切な人や愛する人、今目の前にある何もかもを短時間で私達の前から奪い去る憎き存在だ。でも、そんな台風にも奪えないものがある。それは、明日への希望だ。台風が直撃し去った後の台風一過には、どこまでも広くて青い雄大な青空が私達を待ち構えている。何もかもを奪い、失わせる憎き台風ではあるが、そんな台風であっても、奪えないもの。それこそが、私達が懸命に生きる為の明日への希望だ。

映画『たとえ嵐が来ないとしても』は現在、主要都市限定で公開中。

(※1)台風10号(サンサン) は熱帯低気圧化 今後も近畿から東北では大雨に警戒https://weathernews.jp/s/topics/202409/010165/(2024年9月19日)

(※2)明治初期以降に日本に上陸した台風の変化を解明https://www.kobe-u.ac.jp/ja/news/article/2021_02_05_01/(2024年9月19日)

(※3)台風21号 壊れる鉄門、倒れる街路樹、長期的な停電もhttps://www.sankei.com/article/20180907-FBIS42WR4RLPTC5436MAYFAAJI/(2024年9月19日)

(※4)台風13号が中国上海直撃、1949年以来最強 航空便欠航や列車停止https://jp.reuters.com/markets/commodities/HJGP3D5K4ZJWTGKV7AYDZGZM4A-2024-09-16/(2024年9月19日)

(※5)東南アジアにおける自然災害の危険度https://rm-navi.com/search/item/306(2024年9月20日)

(※6)台風1号発生 統計史上7番目に遅い 台風発生が遅いと年間発生数や上陸数はどうなるhttps://tenki.jp/lite/forecaster/r_fukutomi/2024/05/26/28900.html#:~:text=%E6%9C%8826%E6%97%A5(2024年9月20日)

(※7)フィリピン、台風被害拡大の背景https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8536/?ST=m_news(2024年9月20日)

(※8)中・東欧の広範囲で豪雨、洪水で少なくとも17人死亡https://jp.reuters.com/markets/commodities/752YQPMCEVPITBJLXQDQ2L466I-2024-09-17/(2024年9月20日)

(※9)№21 アフガニスタン:北東部バグラーン州等で洪水被害が発生https://www.meij.or.jp/kawara/2024_021.html#:~:text=%E2%84%9621%20%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%EF%BC%9A%E5%8C%97%E6%9D%B1%E9%83%A8,%E3%81%A7%E6%B4%AA%E6%B0%B4%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E3%81%8C%E7%99%BA%E7%94%9F&text=2024%E5%B9%B45%E6%9C%8810,%E5%B7%9E%E7%AD%89%E3%81%8C%E5%90%AB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82(2024年9月20日)

(※10)令和6年7月25日からの大雨による被害と水害への備えhttps://www.tokio-dr.jp/publication/column/137.html#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%9B%A8%E3%81%AB%E4%BC%B4%E3%81%84%E3%80%81%E5%B1%B1%E5%BD%A2,%E3%81%A7%E5%A0%A4%E9%98%B2%E3%81%8C%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2024年9月20日)

(※11)In “Whether the Weather Is Fine,” typhoon survivors “transform from being zombies to becoming human”https://www.salon.com/2021/09/15/whether-the-weather-is-fine-typhoon-carlo-francisco-manatad/(2024年9月20日)