好きな人の町で過ごしたかった映画『風の奏の君へ』
清涼な夏の日差しに包(くる)まれて、不思議な出来事が故郷の町で起きる。涼感極まる清爽の青春の日々の記憶が、緩やかに蘇る。故郷という存在は、私達を絹の帯で包み込むように優しく抱き寄せる。町に流れる川に架かる橋は、人々の関係や絆を結び、過去に起きた出来事も同時に呼び起こす。ジリジリと照らす太陽の光と夏の木陰に咲く爽やかな風が、一気にあの頃の記憶、思い出を生き返らせる。ピアノの音色に誘われるかのように、男女の現在と未来が邂逅する時、過去に起きたある事件がズシッと肩に重く伸し掛る。あの日あの時、いつどこで、私達は歩む道を間違ってしまったのだろうか?人の道というものは、常に正しい道を歩いているとは限らず、時にその道を踏み外し、誤った方向へ往く時もあるだろう。必然か偶然か分からない過ぎ去りし日々との再会が、私達の「今」という絆の糸を手繰り寄せる。その見えない糸が指し示す未来の私達自身は、昔の総てを赦し、受け入れてあげられているだろうか?この先の未来にどんな事が起きようとも、今を見つめる力が必要だ。ちょっとした人生のボタンの掛け違いが起きると同時に、私達の未来を明るく照らす過去の出来事から解放された時、互いの人生に絡み付いた記憶の糸が少しずつ解放されて行くだろう。白鍵と黒鍵、左右の両手指が奏でる旋律の先には、誰も予想していなかった未来が待ち受ける。映画『風の奏の君へ』は、美作で無気力な日々を過ごす浪人生の渓哉と、家業の茶葉屋「まなか屋」を継いで町を盛り上げようと尽力する兄・淳也。ある日、コンサートツアーで町にやって来たピアニストの里香が演奏中に倒れ、療養を兼ねてしばらく滞在することに。かつて大学時代に東京で里香と交際していた淳也は彼女に対して冷たい態度をとるが、渓哉は里香にほのかな恋心を募らせていく。実は里香には、どうしてもこの地へ来なければならない理由があった。という物語となっているが、男女の邂逅がもたらす運命の赤い糸なのか、それとも、単なる偶然の中の燈なのか、人と人の美しい結付きの深淵さを感じて止まないであろう。昔、愛した人、愛された人、愛を伝えられなかった人、三者三様の人生の交差点が交差する時、何処(いずこ)から涼風に乗せられて麗しき奏(メロディ)が、耳にまで届いて来そうだ。それは、単なる偶然か、それとも必然か。すべてが、人生という名の奇跡の中で起きる出会いに過ぎないのだろう。
本作『風の奏の君へ』のロケ地の舞台は岡山県美作地域とあり、作品解説には「お茶の名産地」と記載してあり、作中における美作地域の風景は、日本が昭和に残して来てしまったであろう在りし日の日本の美しい姿が令和の時代にも残されている。ただ、本作における美作地域の情報量はほぼ、これだけと言っていいほど、伝わって来ない。逆に、伝わらないのは非常に良い事で、作品はすべてを語ってしまう為に有る訳では無い。隠す所は暗喩に隠して、必要に応じて表に表現として表出させれば良いだろう。今回、少し軽めに作品の補足として、美作地域(※1)が一体、どんな地域なのであろうか、私自身も知らない町の姿を想像ひながら、書き連ねてみるとしよう。美作地域とは、岡山県北部エリアを指す場所で、この地域には現在、美作市・勝央町・奈義町・美咲町・津山市・鏡野町・真庭市・新庄村・西粟倉村・久米南町が肩を並べて暮らしている。私が住む地域から来る2時間程度、東京からだと5、6時間程度と考えれば、日帰りか、1泊旅行でも十二分に楽しめると考えても良い。単なる観光地や名所案内として書くつもりはないが、行ってみたくなる事間違いないだろう。地名の呼び方は、よく間違えられるそうで、美しく作る「美作」と書いて、「びさく」「みさく」「みまさく」なんて読み間違えられるそうだが(私の居住地もまた、頻繁に読み間違えらるので、県の地域課や住民の方々が読み訂正をしたくなる気持ちは分からなくも無い)、実際には「みまさか」と読まれ、どうも昔の古い読み方から現代へと引き継がれた由緒正しい地名のようだが、それもそのはず、この美作地域は建国1300年の歴史と文化を継承する日本が誇る地域だったのだ。自然の豊かさが人々を惹き付け、観光や移住に最適な地域と言われており、美作には実は、「奥津温泉」「湯原温泉」「湯郷温泉」からなる美作三湯が存在し、その歴史も古く、西日本でも有数の湯の国と知られている、とある。また、観光スポットや名所もいくつか紹介するが、先に挙げた美作三湯だけでなく、津山エリアには、津山城 鶴山公園、衆楽園、真庭エリアには、蒜山高原、冒険の森、町並み保存地区、のれんの風景、鏡野エリアには、奥津渓、岩井滝、スノーモービルランド、奈義エリアには、奈義 大イチョウ、那岐山麓 山の駅、奈義現代美術館、湯郷エリアには、現代玩具博物館、道の駅 彩菜茶屋、英田エリアには、岡山国際サーキット、勝央エリアには、ファーマーズマーケット、西粟倉エリアには、あわくらんどなど、名所から観光スポット、レジャー施設が数多くあり、家族でも、恋人でも、おひとり様でも、誰もが楽しめる、また疲れた体に英気を養える場所となっている。近年、映画ファンの名では聖地巡礼(ロケ地巡り)(※2)が頻繁に行われているが、本作のロケ地にも足を運んでみると、ロケ場所だけでなく、美作地域が誇る多くの名所や観光地と出会える地域となっているのは、十分に注目できる岡山県の景勝地だろう。旅行ついでに、また聖地巡礼ついでに、美作地域をグルっと回ってみると、人生でまた新しい発見があるのでは無いだろうか?
本作には、シーンの所々に方言が発せられるが、正直、あまり耳にした事がない話し方ばかりで、この美作地域における方言事情がどうなっているのか気になり、調べてみた。美作地域の人々が、日常的に使っている言葉が「美作弁(作州弁)」。 広い意味では「岡山弁」に含まれるが、岡山県南東部の「備前弁」や岡山県西部の「備中弁」で話される方言に比べると、やや穏やかで優しい響きがすると言われている。親切で人情味溢れる美作人の心が、美作弁からも伺えるような雰囲気が漂っている(※3)。美作弁の特徴には、岡山弁の特徴のひとつに「連母音の融合」や「助詞の融合」が挙げられている。たとえば「長い」を「なげー」と発音し(連母音の融合)、「耳は」を「みみゃー」 と発音する(助詞の融合)現象があるが、美作弁には備前弁・備中弁に比べて、これらのこの地域における「べたべたな訛り」がやや緩く話されていると言われる。岡山弁(備前弁・備中弁・美作弁)には、「〇〇しなさい」という命令語には、共通語の「来なさい」を備前弁では「こられえ」、備中弁では「きねー」と発音しているが、美作弁は「きんちゃい」と言い、他にも「見んちゃい」「食べんちゃい」など、様々な場面で話されている。一方で、「ていねいな禁止系」として美作弁として「きんちゃんな」という言い方があるが、これを共通語に直すと「来ないで」、備前弁で「こられな」、備中弁で「きなんな」と、それぞれ話される。最後に、語源が謎の不思議な言葉として「わんてえか」という掛け声があるが、これは一般的には「ジャンケンポンの掛け声」。今で言えば、「最初はグー」もしくは「ジャンケンポン!」の掛け声と同じの言葉だが、現在ではまったく使われていない。昭和初期まで津山地方の方言として使われていた言葉として認識されている。日本の方言や言葉は、非常に興味深い。様々な場所で、それぞれの言葉で発展し、次の世代へと引き継がれ話されて来た。お国言葉は、恥ずべき言葉ではなく、胸を張って、自信を持って、正々堂々と発して欲しい。言葉は、コミユニケーションツールの一つだが、方言もまたその一つとして挙げられるだろう。今日も何処からとも無く、真夏の炎天下のもと「わんてえか!」と、元気な子どもたちのジャンケンの掛け声が、聞こえて来そうだ。それが、美作地域における地域活性の音頭となるであろう。本作『風の奏の君へ』を制作した大谷健太郎監督は、あるインタビューにて美作地域の魅力についてこう話している。
大谷監督:「もう一度このスクリーンであらためて見直すことによって、あらためて自分たちの生まれ育った場所の魅力を再発見していただければ」(※4)と、改めて美作地域や私達が生まれ育った故郷の魅力について、本作を通して、再度発見して欲しいと話す。地元で暮らしていても、遠く都心に暮らしていても、なかなか自身の生まれ育った町の魅力など、気付くことはなかなかできない。それは、肉眼で見る風景ではなく、心から感じる美しさに起因するのであろうが、故郷が本当に良い場所だと気付くには、心が動かされた時に起きる化学反応だろう。それが、郷土愛というものだ。
最後に、映画『風の奏の君へ』は、お茶の名産地である岡山県美作地域を舞台に、ピアニストの女性と茶葉屋を営む兄弟が織りなすドラマを描いたラブストーリーが作品の骨格部分ではあるが、この作品には他に美作地域に広がる茶畑やお茶文化、また美作弁の麗しさ、そして、美作地域全体における自然豊かな風光明媚、情緒溢れる山容水態、童心に返って故郷への想い出に馳せてみて欲しい。その時きっと、その場所が本当に美しい場所であったと、心から気付ける時が来るだろう。本項、本レビューを通して、少しでも美作地域の秀美さについて、伝えられていたらと、願うばかりだ。
映画『風の奏の君へ』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)美作国についてAbout Mimasakahttps://extour.jp/mimasaka/(2024年6月24日)
(※2)「聖地巡礼」成功の決め手は、若い人に響くSNSの徹底活用https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/433746/040400009/?ST=ppp-print(2024年6月24日)
(※3)美作国の方言講座 美作弁って?http://mimasakanokuni.jp/local/#:~:text=%E7%BE%8E%E4%BD%9C%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%81%8C,%E3%81%AA%E6%B0%97%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2024年6月24日)
(※4)「生まれ育った場所の魅力を再発見していただければ」美作が舞台の映画“風の奏の君へ”公開前に大谷健太郎監督が知事表敬【岡山】https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/1203500?display=1(2024年6月24日)