映画『TOCKA タスカー』鎌田義孝監督インタビュー
—–実在の事件をモチーフに作られたとありますが、本作『TOCKA タスカー』の着想をより詳細に教えて頂きますか?
鎌田監督:ドラマやVシネは撮っていましたが、劇場公開映画は17年ぶりに製作しました。
前作は2005年に公開された『YUMENO ユメノ』という作品ですが、一家惨殺事件を犯してしまう20代の若い青年の話でした。
『YUMENO ユメノ』では殺す側の視点で描きましたので、漠然とではありますが、次は死にたいという思いを抱える男性目線で撮れないかなと、思いました。
なぜそう思ったかと言うと、小学生の頃、北海道のオホーツクの沿いの町で、寿司屋を経営していた親戚の叔父のことが根底にあります。
叔父は町で人気の寿司職人で生活も順調だったのに、火の不始末が原因の火事で娘さんを亡くして以降、博打をやり始め、借金も抱えて、最後は自殺してしまったんです。
叔父が自殺を考えた時、どんな思いを抱え、どんな衝動があったのか。
子どもの頃は、そんな突き詰めて考えることはしませんでしたが、心のどこかで引っかかっていたかもしれません。
それで2006年頃、死にたい男をモチーフにして、井土紀州さんと北海道のオホーツク沿い、根室などをシナハンで回りました。
井土さんと話す中で、単純な自殺の話にするのではなく、2023年に東京都で起きたある嘱託殺人事件をモチーフにする案が出ました。
その事件は、ある中古パソコン販売会社の社長がネットで知り合った少年に自らの殺しを依頼するが未遂に終わっていた。
一方、同じ年にお隣の韓国でも同様の事件があり、そちらは依頼したサラリーマンの思いを遂げ、青年が殺人を実行していた。
殺すことが出来なかった少年と、実行出来た青年の境界線とはなんだろうか?ということに惹かれました。
単純に自殺したい男の話だと、一人だけで終わりますが、自分の命を相手に託すということ、殺してくれと他人に頼むことは、情けないし、無責任なのかもしれないけど、その関係性が興味深く、自分ならどうするのかと考えが巡ったんです。
—–タイトルの「TOCKA」には、ロシア語で憂鬱、絶望と言った意味があり、その反対には憧れ、まだ見ぬものへの魂の探求という解釈があると言われていますが、この題名が持つ性質と作品が持つ性質の方向性とは、何を意味していると思われますか?
鎌田監督:シナリオのタイトルは「優しい殺人者」でした。
ただ、もう少し幅広い深い言葉がないかと、考えていました。
日本語だと憂鬱は憂鬱、絶望は絶望、希望は希望。
希望と絶望の間は、何か?
とか。同時に日本映画だから、日本語のタイトルじゃなきゃいけないとは限らないともボンヤリと思い始めた。
舞台である根室はロシアとの国境沿いで、主人公もロシア人相手に商売していますし、ロシア語はどうかと。
色々調べていくうちに、ロシア語の“TOCKA(タスカー)”という言葉にたどり着いた。
登場人物の三人の心情を表現しているし、いいかもしれないと。
後にウクライナ・ロシア紛争が起きますが、“TOCKA(タスカー)”は、広く今の人々の気持ちを表しているとも感じます。
憂鬱や絶望の果ての望郷や、その先に新たな出会を求める心情は、誰にでもあると思います。
—–本作は、北海道の根室、釧路、室蘭の3箇所のロケ地で撮影が行われていたそうですが、鎌田監督もまた同じ北海道のご出身。ロケ地は、他の地域でも成立したと思いますが、北海道をロケ地に選んだ理由は、なんでしょうか?また、この地が作品や監督自身に与えた影響はございますか?
鎌田監督:井土さんとシナリオ・ハンティングで北海道をまわっていた時の話に戻りますが、ソ連からロシアに変わった時代の歴史的背景も取材で色々と知りました。
特に根室ではロシア人相手に商売をしていたのに、時代に翻弄されて、仕事が上手く行ったり、行かなかったりと、政治的歴史に振り回される人も多く、そこに惹かれました。
主人公の章二は、ロシア人相手に中古電気屋をやっていたが商売が破綻している設定。
これも現地の人に話を聞いて知ったのですが、ソ連からロシアに変わる時代に、特にロシアの漁師さん相手に中古電気販売の店をやって繁盛した人は多かったそうです。
でも今は、あとかたも無い。
歴史的背景はあるにせよ、国境で接近して生きている日本人とロシア人の関係も新鮮でした。
だから、北海道の風景の素晴らしさというのは二の次で、時代と歴史に翻弄された国境沿いで生きる人たちに魅力を感じたということです。
—–この作品では、ヒロイン・早紀役の菜葉菜さんの存在感がすごく光っていると感じましたが、彼女自身は監督作品『YUMENO』でもご出演されていますね。本作での彼女の重要性に対して、監督自身はどのように感じていますか?
鎌田監督:今回は、三役ともオーディションで選ばせて頂きました。
プロアマ問わず何人もお会いしましたが、早紀を託せる方となかなか出会えなかった。
早紀は、非常に難しい人物像だと思います。
死をいつも思いつめているというより、生きていない感じ、実感が無い感じ。
一見とても普通に見える。
虚無的にギャーギャー騒ぎ、エキセントリックになる訳でも無く、フワッと死にたくなる心情がたまにあらわれる。
その瞬間がある。朝、布団から出る瞬間、もの凄く孤独を強く感じるような人物です。
孤独感をアクションや対人関係なしで表現するのは、非常に難しいと思いますし。
早紀という女性の言動に対して、細かい指示を出したとしても、僕自身も説明しきれないところもあります。
死に対する向き合い方も、金子清文さん演じる章二は背景的にも、もう少しわかりやすいかもしれません。
一方、佐野弘樹さん演じる幸人は死にそうな生活をしているけど、死のうとするなんて理解できないという真逆の立ち位置の人物。
3人のバランスが微妙で難しかったと思いますが、皆さん素晴らしかった。
—–作品の題材が嘱託殺人ですが、個人的にはある種、この問題に対しては肯定的な一面も持っています。ケース・バイ・ケースで、事件の性質にも関係して来ますが、監督が作品の題材に取り入れるには何かしらの問題に対するお考えは、お持ちでしょうか?
鎌田監督:脚本が出来上がりましたが、正直、実感として自分自身が受け止め切れていない側面がありました。
章二を殺していいのかどうか、死なせていいのか出口が見えないというか。
僕自身、答えを出せないままシナリオだけがある状態。撮影が実現できないまま数年経ってしまう中で、大きな出来事が二つありました。
ある年の正月。
札幌の実家にいたのですが、高校の同級生から久しぶりに電話をもらって、急に会うことになったんです。
一見、普通で明るく変わらないふうなのですが、うつ病を患ってしまい、仕事も休職しているのだとボソッと言う。
頑張り屋で老人介護施設の施設長もバリバリやっていた筈なのに。
「今ならお前の映画手伝えるぞ」「じゃあ、俺の映画の為に金集めでもしてくれ」と冗談交じりに話して笑って別れた。
だけどその翌月に、そいつは自殺してしまった。
本当に死にたかったのか?なぜ気がつかなかった?もう少しはっきり伝えてくれれば、違った未来があったのか?と自問ばかり。
別れた後、もっと色々気にかけて、電話でもいいから声かけておけば良かった、などと後悔で落ち込みました。
その数年後に、親父が癌で死んだ後、母親が自殺未遂を起こしてしまった。
またしても気付けなかった。
母親はとても明るい人だったにも関わらず、今は自殺をした事を後悔し、自分を責めてばかりいる。
でも、生きている。
「もう死にたいわ」と、しょっちゅう電話がくる。
「バカ言ってんじゃないよ。頑張って生きようよ」なんてとても言えない。
死のうとしたことを肯定してあげないと、こちらも身が持たないし、やり切れない。
俺も母も。
だからもう、真っ当な事を言っても、なんも解決がないと思います。
兎に角、死に向かって考える人を、まず受け止めてあげないと、肯定してあげないと、とあらためて思うようになった。
そんな経緯で、嘱託殺人をテーマにしたこの映画を、今撮るべきだと感じるようになりました。
—–監督はあるインタビューにて、嘱託殺人で未遂で終わった事件と完遂してしまった事件における紙一重の差は、なんだろうか?と自問しながら、映像製作を行ったと。作品の製作過程や完成を経た今、監督自身、この「差」について何か答えを導き出せましたか?
鎌田監督:100%導き出せてはいません。
この映画のキャッチコピー「死に方を決めるのは、最後の自由か−」とありますが、死に方を考えている時点で、余裕があると言えば、余裕あるんですよね。
豊かな日本の中、死に方を選べる人、考えている人は恵まれているのかもしれない。
逆に死に方そのものを選べない人もたくさんいるのも現実です。
線引きだけでは、非常に難しい問題です。
完成を経て、より巨大なテーマなのだと感じています。
ただ、今こうして話していることもそうですし、話し合う時間が僕自身の救いにも繋がっています。
100人が100人に分かって欲しいとは思いませんが、今のように話し合える環境が、有難く感じます。
—–プレス内にて、評論家の阿部さんが「理由とは、既に比喩されたものかもしれない。」と書いていますが、生きる理由、死ぬ理由を求めて、私達は日々生きているようにも思いますが、本作におけるこの理由とは、一体なんでしょうか?
鎌田監督:そもそもこの映画は、この理由が見つからない人々のお話です。
理由が見つからないから、皆行き(生き)詰まるんだと思います。
だから、というわけではないですが、生きる理由も死ぬ理由も考えなくてもいいのではないかとも感じます。
明日になったら、その考えも変わって行く可能性もありますよね。
明日になったら、生きていて良かったと感じる日も来るかもしれない。
もしかしたら、理由は日々、変わっていくモノかもしれない。
そして、生きることも、死ぬことも、思い通りにいかないものだとも思う。
人生もいくら考えても予想通りに上手く進みません。
—–最後に、この作品が、私達観客にどんな影響を及ぼし、何を与える存在となりますか?
鎌田監督:影響を及ぼすとか、何かを与えるなんて思ってはいません。
ただ、死を考えることは、御法度では無いしマイナスなことでは決して無い。
死に向かうことを全面肯定は出来ないけど、死にたいと思う人は、一度、受け止めて認めてあげたい。
僕は、その人の人生を否定したくない。
家族や近しい人には死への想いなんか話せない、という人は実はかなり多いと思います。
特に日本では。一見、笑って明るく過ごしているような人でも先はわからない。
死をどう想うかってことを、もっとフランクに話せる世の中になってくれればと思います。
年齢国籍問わず色んな人と話したいと、僕自身も願っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『TOCKA タスカー』は現在、関西では5月20日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて公開中。また、京都府の出町座、兵庫県の神戸元町映画館は、近日公開。また、全国の劇場にて順次公開予定。