映画『Yo Ho Ho』
映画『Йо-хо-хo』
映画『Yo Ho Ho』は、今でも日本国内には配給されていない「病院」を舞台にしたブルガリアのヒューマン・ドラマだ。
本作は、ザコ・ヘスキジャ(Zako Heskiya)監督の晩年の作品。
彼は、1960年代からブルガリアで活躍していた映画監督だ。
残念なことに、この監督の作品のすべてが、ここ日本ではまだ紹介されていない模様だ。
本作を下敷きにして、製作したのがターセム・シン監督の長編二作目『ザ・フォール 落下の王国』だ。
リメイク作品では、幼い少女とスタントマンの青年が、主な主人公だったが、オリジナルの映画『Yo Ho Ho』の設定は、人生に絶望した男優と骨折して入院中の10才の少年との交流を描いている。
リメイクとは、少し設定が違っている。でも、共通しているのは「生」に絶望した入院患者の男が、少年を通して再度、生きる意味を見出そうとする姿は、共通していると言える。
本作『Yo Ho Ho』を監督したザコ・ヘスキジャは、ブルガリアの映画業界で長きに渡りディレクターとして活躍した人物だ。
学生の頃から映像製作に親しみ、ブルガリアの首都ソフィアにある映画の専門大学シネマ・アンド・フォトグラフ・カレッジとサイトでは紹介されているが、恐らくヘスキジャ監督が進級したのは、1948年に設立された(1)National Academy of Theatre & Film Artsという名前の大学だ。
ブルガリア国内では、唯一この種類の公的および国営機関だという。この大学を卒業後、1960年代から1990年代まで継続的に作品を製作、発表している。
にも関わらず、日本での上映はほぼ皆無に近い状態。
1966年のデビュー作『Torrid Noon(恐ろしい正午)』から1989年の晩年の作品『Scar-Free』まで映画とテレビドラマを合わせて計12本の作品を監督している。
約20年の間で考えれば、多くもなく、少なくもないというところだ。
本作『Yo Ho Ho』は1981年の作品なので、ほぼ晩年の作品として位置づけることができる。
病院内で繰り広げられる物語は、まるで1999年のフランス映画『約束 ラ・プロミッセ』を連想させる。
そもそも、ブルガリアという国は、一体どこに位置するのだろうか?
日本人にとっては、あまり馴染みのない国ではないだろうか?左にブルガリアの地図を掲載する。
ブルガリアは、黒海の海岸線、ドナウ川をはじめとする河川などが流れる場所だ。
正式名称は、ブルガリア共和国。ヨーロッパ内では、共和制国家だ。バルカン半島にあり、北側にはルーマニア、西側にはセルビア、北マケドニア、南側にはギリシャ、トルコに挟まれた内陸部にある。
首都ソフィアという大都市が存在し、多くの周辺地域の国の影響を受けた文化を受け継ぎ、伝統舞踊、音楽、衣装、工芸など、豊かな遺産を有する。
観光地には、リラ修道院やボヤナ教会など、歴史的宗教的建造物も存在する。
紀元前5世紀に首都が建都されており、由緒正しき歴史を持つ国だ。
ブルガリアの映画産業も意外と古く、ウィリアム・H・クリフォードとウィリアム・S・ハートが1915年に監督したアメリカ映画『ルセ』から始まったと言われているが、戦前のブルガリア映画産業はほぼ稼働していなかったに違いない。
製作された長編作品も55本しかないという(もしかしたら、当時は伝えられている本数よりも多くが生産されていた可能性として考えられる。戦時中にフィルムが消滅したと考えてもいいのかも知れない)。
本格的に、映画を文化として捉え始めたのは戦後からだろう。
まさに、上述したNational Academy of Theatre & Film Artsが設立された時代とピッタリ合致する。
ブルガリア映画の多くは、他国との合作が多く、ブルガリア一本の純ブルガリア映画はあまり多くない。
合作など関係なしに『ソフィアの夜明け(2009)』や『ザ・レッスン 授業の代償/ザ・レッスン 女教師の返済(2014)』『さあ帰ろう、ペダルをこいで(2008)』などが、日本でも紹介された作品が挙げられる。
純ブルガリア映画も何本か存在し、Konstantin Bojanov監督の『Avé(原題)(2011)』ナデジダ・コセバ監督の『イリーナ(2018)』イリヤン・ジェベレコフ監督の『完全監視(2017)』メトーディ・アンドーノフ監督の『炎のマリア(1972)』フリスト・フリストフ監督の『障壁(1979)』など、挙げればキリがないが、劇場公開されずにDVDスルーとして国内に配給されている作品もある。
近年だと、2018年には(2)『ブルガリア映画Day2018』と題して、ブルガリア映画を特集した映画祭も開催されていたが、それでも日本で現在観れるブルガリア映画は、数が少ないのかもしれない。
これらの作品を追うのもまた、楽しみの一つになるだろう。
最後に、映画『Yo Ho Ho』に少年レオニード役で出演している子役だったViktor Chouchkovは現在、ブルガリアの映画業界でプロデューサーを務めている。
出演当時はモスクワ国際映画祭にて特別審査員賞を受賞し、子役として注目を浴びた。
成長と同時に、製作側へと転身した彼は、やはりブルガリア国立劇場映画芸術アカデミー(National Academy of Theatre & Film Arts)に進学し、映画監督コースを専攻している。
卒業後は、CMディレクターを務めたり、ミュージックビデオを製作したりと、活動中だ。
2003年には、彼の兄弟と一緒に設立した制作会社ChouchkovBrothersの代表を務める傍ら、15作ほどの映画をプロデューサーとして発表している。
最も有名な作品は、Valeska Griesebach監督の『Western(2017年)』だ。
他にも、ElinaPsykouの『Sonof Sofia』TudorGiorgiuの『Why Me』などがある。
Viktor Chouchkovは、映画監督として長編作品も製作している。
昨年2020年には新作を発表したばかりだが、コロナのパンデミックの中、ソフィア映画祭が延期と共に、作品の上映も断念せざるを得なくなった模様だ。
ここに興味深いインタビューを見つけた。
コロナ禍におけるブルガリア映画産業は、今後どうなるのかと問われ、Viktor Chouchkovは監督として、このように発言している。
「結果は他のすべての国と同じです。違いは、地方自治体が業界の回復をどのように支援しているかによって異なります。未来が不透明だった時期が、思い出せません。政府は芸術家を支援するためにもっと多くのことをすることができたでしょう。しかし、政治家にとって、文化を立て直すことは優先事項ではないようです。」
まったく日本と同じ現象が、起きているブルガリアの映画産業。
映画という文化が、国家単位で蔑ろにされている現代の現状に嘆くしかないのだろうか?
もっと、何かを変えることはできないのだろうか?
また、Viktor Chouchkovは「次回作の構想はあるのか」という次の質問で、こうも答えている。
「私は3本目の映画に取り組んでいます。物語は、パンデミックの中、英国に旅行する男性の話です。彼は、ロンドンの封鎖中に、一定の距離を維持しているにもかかわらず、特定の人々の輪になります。個人的な物語を通し、様々な背景や国籍の人物と交流します。英国社会とパンデミック以降の英国の現代的な社会的肖像を明らかにしようとする物語です。」
いつか、彼の監督作品が日本で紹介される日が来ることを願うばかりだ。
なかなか、日本には配給されないブルガリア映画は、異国情緒溢れる魅力がたくさん詰まっている。
本作『Yo Ho Ho』は、おとぎ話を通じて、生きる希望を見出し、友情を育もうとする一人の男と少年の物語だ。
とても貴重な作品でもあり、本作含めブルガリア映画が日本国内にも定着する未来が訪れるて欲しいものだ。
(1)EuroEducation.netThe European Education Directory National Academy of
Theatre & Film Arts “Krustyo Sarafov”https://www.euroeducation.net/euro/bg023.htm(2022年1月12日)
(2)ブルガリア映画界を代表する映像作家の作品を一挙公開!『ブルガリア映画Day2018』開催決定https://screenonline.jp/_ct/17170570(2022年1月12日)
(3)(4)Viktor Chouchkov • Director of 18% Greyhttps://cineuropa.org/en/interview/388977/(2022年1月12日)