特集上映「中央アジア今昔映画祭vol.3ウズベキスタン特集」映画を愛するあなたのその一歩が

特集上映「中央アジア今昔映画祭vol.3ウズベキスタン特集」映画を愛するあなたのその一歩が

中央アジア≪ウズベキスタン≫の旅へ特集上映「中央アジア今昔映画祭vol.3ウズベキスタン特集」

ウズベキスタン映画。その響きは、多くの日本人にとって未知なる「物語」の予感を孕んでいないだろうか?まず、心の地図を広げてみて欲しい。スクリーンに映し出される舞台は、私達が暮らす東アジアや、熱気溢れる東南アジアではない。インドや南アジアの峻厳な山々と、北のロシア連邦の間に広がる広大なエアポケット、それこそが中央アジアという場所だ。そこはユーラシア大陸の心臓部であり、内陸の特等席。アジアの東洋的な情緒と、ヨーロッパの西欧的な風が交錯する「文明の玄関口」であり、東西の文化が溶け合う絶好のロケーションと言える。そんな異国情緒溢れる舞台で、一体どのようなドラマが撮られ、展開して来たのか?この地域にはウズベキスタンの他にも、トルクメニスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタンといった国々が映画史を刻んでいるが、そのフィルムの多くは、日本ではまだ厳重に蓋を締められた箱に入ったまま永久凍土の冬眠中だ。特集上映「中央アジア今昔映画祭vol.3 ウズベキスタン特集」は、その未知の文化への扉を照らす映写機となり、私達の文化や生活、心に光を灯すだろう。さあ、スクリーンという名の船に乗り込み、新たな知識の大陸へ漕ぎ出そう。ようこそ、中央アジアの世界へ。開幕の時が来た。今、ウズベキスタン映画の幕が上がる。

『きみに夢中』

あらすじ:タシュケントのスタジオではミュージカル映画『きみに夢中』の撮影が行われているが、主役にふさわしい歌い手と踊り手が見つからない。監督はサマルカンド、ブハラ、フェルガナを回るスカウトの旅に出て、それぞれの地域で才能ある若者を見出していく。そうしてタシュケントに集められた若者たちは、力をあわせて映画の完成を目指す。

一言レビュー:プリプロ地獄を描く、ウズベキスタン流ミュージカルの真骨頂。「映画の中で映画を撮る」というメタ構造。この時代、そうした作品は既に世界中に存在していたが、まだ一つのジャンルとして確立されてはおらず、その多くは「ミュージカル映画」のパッケージに収まっていた。あのハリウッドの名作『雨に唄えば』でさえ、サイレントからトーキーへの激動を描きつつも、あくまでエンターテインメントとしての「ミュージカル」の域を出ることはない。本作『きみに夢中』もその系譜にあるが、ここには作り手の苦悩がより色濃く描かれているのが特徴だ。制作現場の悲喜こもごもと言えば、日本で社会現象となった『カメラを止めるな!』を彷彿とさせるかもしれない。だが、このウズベキスタン映画がフォーカスするのは、撮影が始まるよりも前。「プリプロダクション」、特にキャスティングの地獄めいた難しさだ。ビジネスの世界において、準備こそが「成功の9割」(※1)を決めるとされる。プロジェクトの成否を分けるこのフェーズは、極めて高負荷な業務だ。不確定な未来への予測、ステークホルダーとの調整による心理的圧迫、そしてリソースの制約の中で完璧を追求しなければならないという「矛盾」へのマネジメント能力が、如実に試されるからである。

『やさしさ』

あらすじ:少年サンジャルは川で出会った年上の女性レーナに恋をするが、レーナの彼氏ティムールの登場で恋心は砕け散る。その夏、レーナとティムールたちは車で旅行に出て、友人の祖母の家に泊まる。彼女の孫娘マムラは、ティムールを一目見て惹かれる。夏休みが終わってもマムラは彼のことが忘れられず、カーニバルの日、街に会いに行く。

一言レビュー:映画のワンシーンのように年上女性への恋という名の「成長痛」が、少年を大人にさせる。年上の女性に恋をする。これは、思春期を経験した男子なら、誰もが経験したことのある一種の「通過儀礼」のようなものだ。スクリーンの向こう側で、あるいは日常のふとした瞬間に、あなたはどんな年上女性に心を奪われただろうか? クラスの担任の先生、近所の優しい大学生のお姉さん、あるいは友達の少し年の離れた姉。もしかしたら、あどけない少年の瞳には、友人の母親さえもがミステリアスな魅力を持つ一人の女性として映ったかもしれない。身の回りを取り巻く「年上」という記号は、幼い心に甘美な誘惑を投げかける。こうした少年たちの恋心は、古くから銀幕を彩ってきた。イタリアの太陽の下で美しくも悲しい運命を背負った『マレーナ』、危うい関係の中で少年を惑わす『早春』、そしてフランスの巨匠ルイ・マルが描いた『思春期』。多くの名作たちが、大人へと差し掛かった少年たちの、行き場のない熱情と性的な芽生えを優しく、時には残酷に描き出してきた。なぜ、少年は自分よりずっと前を歩く女性に恋をするのか? その精神的メカニズムは、人類が誕生した頃からの永遠の謎であり、聖者イエス・キリストですら明確な答えは持っていない。ウィリアム・シェイクスピアが「恋は盲目」と語ったように、一度恋に落ちれば、相手がどんなに年上であろうとも、少年の愛の衝動を止める術など誰にもないのである。心理学的に分析すれば、少年が年上女性に惹かれる現象には、明確な発達の力学が働いていると言えるだろう。『卒業』や『朗読者』、あるいは現代のサブカルチャーでも繰り返されるこのテーマ。そこには「今の幼い自分」と「理想とする大人の自分」の間にある深い溝を、必死に埋めようとする切実な心理が隠されている。少年は、彼女の中に「未来の自分があるべき姿」を投影し、彼女を通じて大人という未知の世界を覗き込もうとするのだ。しかし、あえて複雑な一般論や理屈をすべてすっ飛ばして、一つの結論を提示したい。少年が大人の女性に恋をする行為に、これといった理由なんて存在しない。それはただ、成長という長い旅路における「通過儀礼」に過ぎないのだ。少年が年上女性に恋をすることは、単なる性的嗜好ではなく、自身のアイデンティティを確立しようともがく「成長痛」そのものである。彼女たちは、少年が大人になるための「先生」であり、不器用な心を包み込む「避難所」であり、そして何より、いつか辿り着きたいと願う「憧れの到達点」なのだ。多くの場合、その恋は叶うことなく終わるか、少年が成長して彼女と対等な立場になった瞬間にその色合いを変えてしまう。それでも、その切なさは人格形成に深い影と、それ以上の光を落とし続ける。年上女性に恋をすること(※2)も、その恋がほろ苦い失恋に終わることも、あるいは恋路の果てに背徳的な裏切りを経験することさえも、すべては少年の恋愛観というキャンバスを彩る大切な筆跡となる。どんどん恋をして、思い切り失恋をして、一段ずつ大人への階段を登ってほしい。その姿を、かつて少年だった大人たちは、きっと自分の過去を重ね合わせながら、温かく微笑ましく見守っているはずだ。2月14日。バレンタインデーという、愛の言葉が飛び交うこの日にこそふさわしい、不器用で真っ直ぐな、少年の日の物語。

『苦い果実』

あらすじ:13歳のナルギズはバレエや読書が好きな少女で、不良少年のエルキンに惹かれている。エルキンは夢見がちなナルギズをバカにするが、内心では彼女に好意を持っている。夏休みに祖母の元へやってきたラリはナルギズの親友だが、ナルギズとエルキンが親しくなっていくにつれ、ラリとナルギズの関係も変化していく。

一言レビュー:ウズベキスタンを代表する女性監督カマラ・カマロワが、思春期を迎えた10代前半の少女の成長を描く物語は、いつの時代にも大切な出来事だ。上記の『やさしさ』と対をなすこの物語は、過去の瑞々しい思い出を忘れてしまった大人達が、ふと街中で足を止めて、自身の生き方を振り返るにはちょうど良い題材だろう。少年少女の思春期は、そのどちらも非常に分かりやすい物語であり、どの世代にも刺さる間口の広い題材になっている。あの頃、私達が何を考えていたかなんて、今となってはすっかり忘れてしまったが、振り返れば振り返るほど、幼少期の自分と再会したくなる。児童発達学の視点で見れば、この時期の少女(※3)は、女性ホルモンの分泌増加に伴い、胸の膨らみ、体毛の増加、初経(生理)といった身体的変化(第二次性徴)を経験し、急速に大人の身体へと近づく。それは、昨日までの自分という「皮」を脱ぎ捨てるような、痛みを伴うメタモルフォーゼだ。これに伴い、鏡に映る見た目への不安や他人の目といった鏡像段階的な葛藤、そして「私は何者か」を問い続ける自己同一性(アイデンティティ)の確立に向けた旅が始まる。情緒不安定や自律的な心の成長は、未熟さゆえの欠陥ではなく、新しい自分を産み落とすための陣痛のようなものかもしれない。友達との諍いも、同年代の異性との淡い恋心も、同級生とのちょっとした噂話や何かしらのすれ違いもすべて、この時の自分が教えてくれた事。特に、不良少年に惹かれるという抗いがたい引力。心理学的に見れば、それは自分の中に抑圧された「影(シャドウ)」や、未だ持たざる野性的な生命力への憧憬なのかもしれない。自分にはない魅力が詰まっているからこそ、つい異性に惹かれてしまうのだろう。自分に欠損しているパズルの欠片が、眩しくも見え、格好よくも見える。大人になろうとする10代前半のこの瞬間、私達はどんな世界を見て、どんな景色を見ていたのだろうか?身体と心のアンバランスな解離に戸惑いながら、誰もがかつて、その薄氷のような不安定な季節を渡って来た。あの頃に戻れなくても、この映画を通じて、あの頃の自分には出会える。恋に友情に悩み、自身の心の変化に震えながら悩んでいた頃の自分自身を、今度は大人になったあなたが、そっとあなた自身を抱きしめてあげて欲しい。

『UFO少年アブドラジャン』

あらすじ:ウズベキスタンのとある村の集会で、未確認飛行物体が近づいているというモスクワからの電報が読み上げられる。村人が半信半疑でいるなか、農夫バザルバイは奇妙な円盤が墜落するのを目撃する。そこには裸の少年が倒れていた。アブドラジャンと名付けられた少年は不思議な力を発揮し、村の集団農場に数々の珍現象が起こり出す。

一言レビュー:鍋の蓋が宇宙を飛ぶ時、映画愛は国境を越える。ウズベキSF映画の金字塔を再考。ウズベキスタン映画史上、伝説に残る歴史的大ヒット作。けれど、蓋を開けてみると、そこにあるのはB級映画も驚きのチープな作りのSF映画だ。物語は、アメリカ映画界を代表する時のヒットメーカー、スティーブン・スピルバーグへの敬愛に満ちた手紙から幕を開ける。この導入部が示す通り、本作には映画史に燦然と残る数々のSF映画へのオマージュが至る所に施されている。ストーリー自体は実に単純明快だ。ある日、宇宙から一基の未確認飛行物体(UFO)が墜落し、その円盤から一人の少年が現れる。彼がウズベキスタンの小さな村に滞在する間、村中では次々と不思議な出来事が巻き起こる。地元の村人と宇宙人の少年が手を取り合い、彼を宇宙へ帰すまでを描いた、ウズベキスタン屈指の名作である。しかし、特筆すべきはその「視覚的限界」の突破方法だろう。画面に映るのは、あろうことか「鍋の蓋」をひっくり返して宇宙船に見立て、それを針金で吊るした代物だ。画像処理が一切行われていない映像は、現代の観客の目には陳腐に映るかもしれない。だが、制作費も技術も枯渇した極限状態の中で、知恵を絞り、一本の映画を完成させ、さらには国民的ヒットにまで押し上げた制作サイドの熱量は凄まじい。映画愛に溢れるその向き合い方に、我々は理屈を超えた感動を覚える。これこそが、紛れもなく「最高の映画」の一本だと言えるのだ。私自身、10年ほど前に初めて本作に触れて以来、久々の鑑賞となったが、今回改めてジャーナリスティックな視点から気付かされた点が2点ある。民族の鼓動を伝える劇伴の力は、ウズベキスタン人のアイデンティティを世に伝えるツール。まず、劇中音楽の特異性だ。SF映画の定石である派手なシンセサイザーや壮大なオーケストラは一切流れない。代わりに響くのは、ウズベキスタンやその周辺地域の、素朴で地味な民族音楽である。この「場違い」とも思える選択が、結果として作品に独特の奥行きと「味」を与え、乾燥したウズベキスタンの大地に見事にマッチしている。宇宙という未知の存在を、土着のメロディが迎え入れる構図は、極めて独創的だ。社会情勢のメタファーとして表現されている「宇宙人」とは?さらに重要なのは、本作が制作された時代背景である。本作は、ソ連崩壊を経て独立を果たしたばかりの、混乱と希望が入り混じるウズベキスタンの空気感を鮮烈に反映している。劇中の「宇宙人」は、単なる異星の住人として描かれているのではない。外側から侵略してきた宇宙人という存在は、長年この地を統治した旧ソ連に対する痛烈な表現であり、「もう二度と、侵略をしないで欲しい」という若き独立国の意思表示に他ならない。一方で、村人と宇宙人が協力し、最終的に彼を宇宙へ送り出すという展開は、かつての宗主国であるソ連との「決別」と「新たな友好関係」の両義性を示唆している。憎しみで排除するのではなく、秩序を持って元の場所へ帰すプロセスは、流血を避けた当時の地政学的な対話の鏡合わせのようだ。これは、独立を果たした当時のウズベキスタンの未来(※4)を予測した物語になっていたのかもしれない。技術の欠如を映画愛で補い、SFという枠組みを借りて国家のアイデンティティを模索した本作。鍋の蓋が揺れるその先に、我々は一国の苦難に満ちた歴史と、未来への純粋な希望を目撃するのである。

『熱いノン』

あらすじ:家族と暮らすために施設を出て田舎にやってきたズリフィヤは、期待に胸を膨らませていたが、母親は家にはおらず祖母と暮らすことに。彼女は古い考え方を持つ祖母に対して反発を強くしていく。母親との電話もできない中、彼女の味方になってくれるのは、日課として熱いノン(=パン)を焼いている叔母だけだった。

一言レビュー:魂の帰郷の果てに出会う荒野のノンのオアシス。スクリーンから香り立つような熱いノンは、少女のお腹と心を満たし、安心感を与えてくれる。本作で描かれる日常における家族とのすれ違いは、誰もが自身の過去で経験した事があるだろう。時に家族と衝突し、時に親兄弟と意見が食い違い、時に殴り合う事もあるだろう。罵り合い、二度と家族の顔なんて見たくないと心に違う時もある。けれど、常にあなたを理解し、あなたを支え、助けてくれるのは家族の存在だ。二度と言い争いたくないと誓っても、ひとたび、その誓いを忘れたら、酷い罵り合いの喧嘩が勃発してしまう。観客は、少女を通して自らに問いかける。どうすれば、家族と理解し合えるのか?どうすれば、喧嘩する回数を減らして、仲睦ましく日々を過ごせるのか?カメラは荒涼としたウズベキスタンの広い荒野を映し出し、一人のウズベキスタン少女が家族を求めて帰省する姿を追う。少女のバックに流れる民族音楽のようなギターのメロディが、その旅の孤独を優しく包み込む演出が秀逸だ。しかし、行き着いた最終目的地では、実の親には会えない、親族からは変に嫌われ、行く先々で孤立を深める少女。そんな彼女の唯一の理解者は親族の叔母だけだった。その彼女が毎日焼く温かいパンは、少女の凍った心を優しく解きほぐす。叔母がちぎって差し出す湯気の立つパンは、言葉以上の温もりを持って少女の身体の芯まで染み渡って行く。ウズベキスタンにおいて、パンは単なる主食以上の存在だ。生活、文化、そして精神的な絆の中心にあり、「ノン(Non)」と呼ばれる円盤状の伝統的なパンは、人々を温め、結びつける神聖なシンボル(※5)となっている。観賞後、焼きたてのパンを誰かと分け合いたくなる、そんな心とお腹、そして身体を温める傑作である。

『ファリダの二千の歌』

あらすじ:カミルは3人の妻とともに何もない田舎で暮らしている。ある日、彼は若い女性ファリダを4人目の妻として迎える。若く美しい妻の登場に、歳の近い妻は友達がやってきたように喜び、情熱的な妻は激しい嫉妬心に駆られる。その頃、ボリシェヴィキの軍隊が彼らの住む地域に進軍し、カミルたちは生き方の再考を迫られることになる。

一言レビュー:硝煙の向こうに響く、ファリダの二千の歌 。ウズベキスタンの家族、その愛と試練の果てに。日本人の瞼の裏にある「一夫多妻制」の原風景と言えば、多くはアフリカ大陸の部族社会だろうか。中央アジアの要衝、ウズベキスタンにおいてその概念が息づいている事実は、日本にはほとんど伝わっていない。冷徹な事実として、ウズベキスタンにおいて一夫多妻は法で禁じられ、刑事罰の対象ですらある。しかし、カメラのレンズを都市部から地方の農村、あるいは伝統が色濃く残る深部へと向ければ、そこには法の外側にある「実態」が浮かび上がる。法的登録(市民婚)というシステムが許す妻は一人。だが、村のムラ(イスラム教指導者)が執り行う「ニコ」という宗教儀式を経ることで、二人目、三人目の妻を迎え入れる――。それは法の目をかいくぐる抜け道でありながら、彼らにとっては神聖な契約として根強く残っているのだ。この物語に登場するのは、そんなシステムを利用しているか否かに関わらず、ひとつ屋根の下で共同生活を営む、一人の男と数人の女たちだ。スクリーンに映し出されるのは、現代的な感覚で言えば「シェアハウス」にも似た、奇妙だが穏やかな日常である。誰にも邪魔されず、誰に迷惑をかけるでもなく、彼女たちは家事を分担し、人生を謳歌している。そこにあるのは嫉妬の渦だけではない。確かに存在する連帯と、穏やかな愛の形だ。しかし、映画的なカタルシスは唐突に、そして暴力的に訪れる。「戦争」という二文字が、彼女たちのサンクチュアリ(聖域)を引き裂こうとするのだ。いつの時代も、社会の不条理は市井の人々のささやかな暮らしを標的にする。安住の地を追われ、人生を破壊され、強固に見えた夫婦の絆さえもが、極限状態で試されていく。危機的状況下において、このウズベキスタンの大家族はどう立ち向かうのか。本作の真骨頂は、単に「一夫多妻制の是非」や「奇異な生活の利点」を描くことにはない。「幸せに、穏便に暮らしていた家族が、ある日突然戦争に巻き込まれたら?」という普遍的な問いを、この特殊な家族形態を通して鋭く突きつけている点にある。そこで重要となるのが、タイトルにもある「ファリダの二千の歌」に隠された、世界への幸せを願う人々の強い願い(※6)だ。理不尽な暴力の前で、人は何を歌うのか。物語の終盤、彼女たちの姿に重なるのは、単なる家族愛を超えた、より大きなものへの渇望だ。「二千の歌」の先にあるもの。それは、国境や宗教、結婚の形さえも超えて響き渡る、世界の平和への静謐なる祈りなのかもしれない。

特集上映「中央アジア今昔映画祭vol.3ウズベキスタン特集」ウズベキスタンの、未知なる扉の向こう側へ。スクリーンが暗転し、場内に明かりが戻って来る今、ウズベキスタン映画という旅路はいかがだっただろうか?この数々の物語の中に、あなたの生涯の友となりうる「一本」は見つかったか?あるいは、映画という果てしない宇宙の、まだ誰も知らない新たな扉を見つける事ができただろうか?見知らぬ扉のノブに手を掛け、その重たい扉を回して未来を切り拓くのは、いつだってあなたのその小さな「勇気」。日本に暮らす私達の瞳には、ウズベキスタン映画は遥か彼方の、完全なる未知の領域と映ったかもしれない。中央アジアという響きから連想するのは、どこか土着的な風景や、素朴で懐かしい「田舎」のイメージ。それが、私達の正直な感想だったはずだ。しかし、その未知なる領域の真ん中に飛び込んだ今、あなたの目の前にはどんな景色が広がった?そこにあるのは、予想を心地よく裏切る、煌びやかで鮮烈な「夢の世界」だったろう?胸がきゅっとなる青春の眼差し。映画づくりの舞台裏を弾むリズムで描くミュージカル。自由奔放な想像力が炸裂するSFファンタジー。ウズベキスタンの映画史には、私達が想像するよりも遥かに多彩で、遥かに情熱的なジャンルの映画達が、宝石のように散りばめられている。この特集上映は、単なるゴールではない。これは、あなたがまだ見ぬ広大な「映画の海」へと飛び込むための、最初の飛び込み台(ダイビング・ボード)だ。私達はいつも、まだ出会わぬ感動を探して、劇場から劇場へと旅を続ける放浪者。けれど、今日あなたがここでウズベキスタン映画という未知に出会い、心を震わせたその事実こそが、この国の、ひいては世界の映画の未来を繋ぐ架け橋となる。遠い国のスクリーンに映し出された光は、国境を超え、時間を超え、いま確かにあなたの心に届いているはずだ。その温もりを胸に、どうぞまた新しい映画の旅へ。映画を愛するあなたのその一歩が、次の時代の扉を開く。

(※1)仕事で成功する人と空回りする人で圧倒的に違う「準備」の差とは?https://diamond.jp/articles/-/319390#:~:text=%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E6%AD%A3%E8%AD%98%20%E8%91%97%20*%20%E3%81%90%E3%82%8B%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%80%81%E8%A1%8C%E5%88%97%E3%81%AE%E6%95%8F%E8%85%95%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E4%BB%95%E4%BA%8B%E8%A1%93%E3%80%81%E3%80%8C%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AF%E6%BA%96%E5%82%99%E3%81%8C9%E5%89%B2%E3%80%8D%20flier.%20*%20%E9%A0%AD%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%AF%E4%BA%A4%E6%B8%89%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%BA%96%E5%82%99%E3%81%8C%E9%81%95%E3%81%86%EF%BC%81%205%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%BF%83%E6%A7%8B%E3%81%88%E3%81%A7%E4%BA%A4%E6%B8%89%E3%81%AE%E8%8B%A6%E6%89%8B%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AF%E6%B6%88%E3%81%88%E3%82%8B%20%E7%8A%AC%E5%A1%9A%E5%A3%AE%E5%BF%97%20*%20%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E2%80%9C%E8%A7%A3%E5%83%8F%E5%BA%A6%E3%81%8C%E9%AB%98%E3%81%84%E2%80%9D%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%8C%E5%88%86%E8%A7%A3%E6%80%9D%E8%80%83%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%20flier.(2026年2月14日)

特集上映「中央アジア今昔映画祭vol.3ウズベキスタン特集」は現在、全国順次公開中。

(※2)年上女性を好きになる男性の特徴とは? 心理と恋に落ちる瞬間、脈ありサインhttps://woman.mynavi.jp/article/210707-20/(2026年2月14日)

(※3)思春期の脳では何が起きている?知っておきたい子どもの変化https://www.aisei.co.jp/helico/health/adolescence-mechanism/#:~:text=%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%8C%E6%80%92%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A9,%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%80%82(2026年2月14日)

(※4)市場経済への移行のなか急成長するウズベキスタンhttps://jicamagazine.jica.go.jp/article/?id=202410_10s(2026年2月14日)

(※5)サマルカンドの伝統的パン文化の保護 無形文化遺産の情報の提供方法の研究https://www.heritage.tsukuba.ac.jp/wp-content/uploads/2022/03/202021649_enikeevak.pdf(2026年2月15日)

(※6)近代化するウズベキスタン「米国にもロシアにも肩入れしない」世界観 日本大使の見方https://globe.asahi.com/article/15529220(2026年2月15日)