ケン・ローチ監督の真骨頂。映画『石炭の値打ち』


「暗くなってからの夕方。モールスキンのパンツと汚れたシャツを着て、ブラックレッグの鉱山労働者が仕事に行く時、黒足の鉱夫がやって来る。今のうちに組合に加入して。死ぬ日まで待たないで。それは、遠くない未来。汚いブラックレッグの鉱山労働者よ。」
これは、70年代のブリティッシュ・フォーク界で活躍したフォーク・バンドのスティーライ・スパンが、英国で働く炭鉱夫について歌った楽曲「Blackleg Miner」の歌詞の一説だ。炭鉱夫達の仕事は過酷で、朝早く起きてトラックの荷台に乗り込み、炭鉱がある山を登る。彼らの仕事は三日三晩、炭鉱に掘った酸素の少ない深いトンネルの中で掘削作業をする。時に、ダイナマイトを使って炭鉱を掘り上げるが、運悪くトンネル内が爆弾の爆撃によって崩れて生き埋めになるハードな仕事だ。だから、スティーライ・スパンが歌う楽曲「Blackleg Miner」には、労働組合への加入を促す文言がある。トンネル内で事故死する前に、全員が労働組合への参加を願う。それほどまでに、炭鉱夫の仕事は危険を伴い命懸けだ。元々、「Blackleg Miner」は19世紀のイギリス民謡であり、ノーサンバーランド地方発祥の歌が元ネタだ。この歌は、スト破りに対する暴力を描写しており、最も物議を醸したイギリス民謡の一つとして有名だ。イギリスにおける炭鉱ストライキは、英国の歴史において幾度となく繰り返されて来た。たとえば、1926年のイギリス全土ゼネラル・ストライキや1970年代のストライキが取り上げられる。前者は炭鉱主による賃金引き下げが端を発し、後者では労働組合の力が非常に強力であり、政府を何度も屈服させるストライキが頻発した。 そして、1980年代のサッチャー政権では、赤字経営の炭鉱閉鎖を指示し、これに反発したイギリス全国の炭鉱夫達が一斉にストライキを行い、労働組合と政府の激しい対立が勃発し、多くの犠牲を出しながらも、最終的に炭鉱労働者の敗北と全国の炭鉱閉鎖に繋がった。映画『石炭の値打ち』は、イギリスの名匠ケン・ローチが1977年にBBCのドラマ枠「プレイ・フォー・トゥデイ」のために制作した2部構成の社会派ドラマ。当時の英国社会を象徴する存在でもあった炭鉱という労働現場を舞台に、そこに生きる人々の暮らしと人生をじっくりと描き出す。当時のイギリスにとって、炭鉱労働は必要不可欠な存在であり、イギリスそのものの誇りでもあった。炭鉱に生きる炭鉱夫達の生活が、今の私達の目にどう映るのか?

2時間超えの長丁場の映画だが、本来はBBCのドラマ枠「プレイ・フォー・トゥデイ」の為に制作されたテレビ映画だ。実際は、前半と後半で物語が別れており、一貫しているのは炭鉱夫達やその家族の悲喜交々の生活が描かれる。前半では、炭鉱町にイギリスの王室関係者が来訪するので、その町の炭鉱組合員達が受け入れにあたり、右往左往する姿をコミカルに描いた物語。後者は、炭鉱事故により生き埋めになった仲間を救出しようとする炭鉱夫達の決死の姿を一本の作品として描いた物語となっている。国のトップや世界の重役が、小さな町を訪問する事はたまにある。その目的は、多岐にわたり、主に国民への説明責任、現場の状況把握、政治的なアピール、そして外交目的が考えられる。日本では、令和6年1月1日に起きた能登半島地震において、復旧・復興に係る現地視察(※1)のため石川県に現首相の高市総理が訪れ、つい先日、現地調査を行った。最も分かりやすいのが、アメリカ大統領における地方訪問だ。1912年に大統領に就任したセオドア・ルーズベルトから2018年に出馬し大統領となった(第一期目)ドナルド・トランプまでの歴代の大統領達は皆(※2)、ミズーリ州のスプリングフィールドに訪問し選挙演説を行っている。それは、48年のトルーマンも、57年のケネディも、60年のニクソンも、76年のフォードも、80年のカーターも、86年のレーガンも、91年のブッシュも、92年のクリントンも、02年のブッシュ、08年のバラクも皆、一様に地方訪問をし演説を行っている。この行動の背景には、上記に挙げたように、政治的メッセージや市民に対する鼓舞、選挙における指示集めなど、様々な理由が挙げられる。英国で忘れてはいけないのが、1966年に起きたウェールズのアバーファンで実際に起きた鉱山災害だ。1966年10月21日、炭鉱事故による近くの小学校に通う児童と教師合わせて144人が犠牲となった大惨事だ。その時の英国王室のトップだったエリザベス女王のアバーファンへの訪問が1週間遅れた事に世間は怒りを露わにした。当時、小学校の児童だった生存者の男性は、「彼女が到着した時、明らかに動揺していましたが、アバーファンの人々は彼女がここにいてくれたことに感謝していました…彼女は来られる時に来てくれたし、特にすべてがめちゃくちゃだった時に、もっと早く来なかったことを誰も責めませんでした。」(※3)と話し、女王陛下のアバーファン訪問が、街の人々を鼓舞し、勇気付けたに違いない。これは日本でも言える事で、来年2026年は発災から15年が経過する東日本大震災に向けて、現在、宮内庁が天皇皇后両陛下の被災3県訪問を調整中(※4)だ。自国を代表する国のリーダーが、現地に訪問するのは国民に向けた励ましやエール、激励する目的があるのだろう。私が居住する街では、1958年に関西初の大規模な住宅街として過去に2万人以上が暮らせる東洋一と誇ったマンモス団地「香里団地」(※5)に、ジョン・F・ケネディ元大統領の弟のロバート・ケネディ夫妻が昭和37年に視察の為にこの地を訪問している。60年以上の月日が経とうが、この街の住民として誇らしさの極みでもある。

本作『石炭の値打ち』の後半では、炭鉱事故の壮絶な現場が描かれる。近年、炭鉱そのものが閉鎖となり、消滅してしまった職種ではあるが、全盛期は多くの男性が炭鉱夫として炭鉱で働いていた。でも、炭鉱は危険と隣り合わせであり、トンネル内の酸素不足、炭鉱から出る粉塵による塵肺の被害、またダイナマイトによる爆発でトンネルが崩落する危険が伴う過酷な職場だ。イギリスでは、過去に何度も炭鉱事故が起きている。上記に挙げたアバーファン炭鉱事故だけでなく、多くの炭鉱事故が起きている。分かっているだけで、過去に27回の爆発事故や崩壊事故が起きており、炭鉱での惨事は付き物と言っても過言ではない。1874年4月14日に起きたアストリー・ディープ・ピット災害、1886年8月13日に起きたベッドフォード炭鉱災害、1895年1月14日に起きたディグレイク炭鉱災害、1930年3月10日に起きたアラートン・バイウォーター炭鉱爆発事故、1931年11月20日に起きたベントレー炭鉱災害、1942年1月1日に起きたスネイド炭鉱災害、1973年3月21日に起きたロフトハウス炭鉱災害、1993年8月18日に起きたビルスソープ炭鉱事故、マーカム炭鉱災害では、1938年と1973年に同じ場所で事故が起きている。挙げればキリがないほど、古くは1600年代から同様の炭鉱事故は起きている。特に、近年で印象深い炭鉱事故を一つ取り上げるとすれば、2011年9月15日に起きたグレイシオン炭鉱の採掘事故(※6)だ。事故は、7人の炭鉱労働者が狭い炭層で爆薬を使って作業中に発生した。炭鉱労働者が作業していたトンネルに水が溜まり、炭鉱労働者のうち3人は脱出し、1人は命に関わる怪我を負って病院に搬送された。残りの4人は、地中に閉じ込められ、残りの4人を見つけるために捜索救助活動が開始された。翌日、取り残された全作業員の死亡が確認された。この事件は、ここ30年でウェールズで発生した最悪の炭鉱災害と言われている。日本の炭鉱事故の歴史に今でも名が残っている惨事は、1963年(昭和38年)11月9日に起きた三井三池三川炭鉱炭じん爆発だ。死者458人、負傷者839人を出す大惨事となり、戦後最悪の炭鉱事故・労災事故と言われ訴訟問題にまで発展した。もう一つ、戦後2番目の炭鉱事故と呼ばれた山野炭鉱ガス爆発事故も忘れてはいけない。それぞれの労災事故の関係者は、「後遺症と懸命に闘いながら生きている患者がいる限り、事故は終わっていない」(※7)。「石炭は日本の近代化や、戦後の復興を支えた。一方で、事故も事実。命の大切さを考えるきっかけに」(※8)と社会に訴える。イギリスで著名な映画評論家のデイブ・ロリンソン氏は、本作『石炭の値打ち』を作品レビューで評している。

ロリンソン氏:「ローチ作品に期待される露骨な政治批評よりも、ハインズ自身の「娯楽プロパガンダ」の定義に近いとはいえ、『石炭の値段』は1970年代における炭鉱労働者の政治的重要性に着目している。どちらの劇も、炭鉱労働者が保守党ヒース政権を倒したことを描いている。こうした労働者階級コミュニティの弱体化は、ローチとハインズのその後の作品において、それぞれ単独でも共同でも、例えば『ルックス・アンド・スマイルズ』 (1981年)といった作品において中心的なテーマとなる。『バック・トゥ・リアリティ』の中で、キャス・ストーリーはジャーナリストが間もなく炭鉱労働者を「国を人質に取っている」と非難するようになるだろうと予測し、1984年から85年の炭鉱労働者ストライキで直面した問題を予言している。ローチ自身が『あなたはどっち側?』といった作品で、ニュースの偏向や炭鉱労働者の意見の優遇を疑問視したことが巻き起こした論争は、この論争を巻き起こした。 (チャンネル 4、1985 年 9 月 1 日放送) は、まさにテレビの政治情勢におけるそのような変化を示した。」(※8)と評している。ゴテゴテの社会派よりのケン・ローチ節ではなく、脚本家のポール・ラヴァティと組む前の脚本家ハインズ色が強く娯楽性の高い作品に仕上がっている。そこには、炭鉱町で暮らす市井の人々の生活と未来、希望を映すエネルギー溢れる炭鉱夫の姿が捉えられる。これが、1970年代における英国の炭鉱町のリアルな姿であり、私達の目にはあの時代に生きていた彼らの姿を通して、労働の尊さを学ぶ。

最後に、映画『石炭の値打ち』は、イギリスの名匠ケン・ローチが1977年にBBCのドラマ枠「プレイ・フォー・トゥデイ」のために制作した2部構成の社会派ドラマ。当時の英国社会を象徴する存在でもあった炭鉱という労働現場を舞台に、そこに生きる人々の暮らしと人生をじっくりと描き出す。単なる英国社会の炭鉱事情を浮き彫りにしただけでなく、政府の要人達の訪問による炭鉱町の明るい未来や炭鉱事故における労働災害が起きる過程が、今の私達の生活と共通項があると言えるかもしれない。石炭の値打ちは、労働の値打ちだ。汗をかき、一日も休まず、昼夜問わず働く労働者達の輝きは、石炭の中に眠る価値として光る。危険と隣り合わせに生きるからこそ、どれだけ辛くても、今日という労働が明日の糧になる。多くの犠牲者の名のもとに、今の労働環境がある。1934年9月にレクサム近郊のグレスフォードで起きた鉱山爆発事故に対する悲劇を静かに訴えた歌の歌詞がある。この小節に隠された悲しみが、英国における炭鉱悲劇に悲哀を込めている。フォーク歌手のユアン・マッコールが歌う70年代に流行したブリティッシュ・フォークの一曲「The Gresford Disaster」の一節を抜粋して終わりにしたい。
「グレスフォードの惨事と払われた莫大な代償について、あなたは聞いたことがあるでしょうか?242人の炭鉱労働者と、救助隊の隊員3人が亡くなった。」

映画『石炭の値打ち』は現在、公開中。
(※1)令和6年能登半島地震及び豪雨被害からの復旧・復興に係る現地視察のための石川県訪問https://www.kantei.go.jp/jp/104/actions/202512/07isikawa.html#:~:text=%E9%A6%96%E7%9B%B8%E5%AE%98%E9%82%B8%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8-,%E4%BB%A4%E5%92%8C%EF%BC%96%E5%B9%B4%E8%83%BD%E7%99%BB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%9C%B0%E9%9C%87%E5%8F%8A%E3%81%B3%E8%B1%AA%E9%9B%A8%E8%A2%AB%E5%AE%B3,%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E8%A8%AA%E5%95%8F(2025年12月12日)
(※2)From the White House to the Ozarks: Presidents Who Visited Southwest Missourihttps://www.thelibrary.org/post/from-the-white-house-to-the-ozarks-presidents-who-visited-southwest-missouri(2025年12月12日)
(※3)How Queen Elizabeth’s Reaction to the Aberfan Mining Disaster Became Her Biggest Regrethttps://www.townandcountrymag.com/society/tradition/a29309363/queen-elizabeth-aberfan-mining-disaster-reaction-the-crown/(2025年12月12日)
(※4)天皇皇后両陛下、2026年春にも東日本大震災の被災3県訪問で調整https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD13A4O0T11C25A1000000/(2025年12月12日)
(※6)Gleision: Call for inquest into mining disaster 10 years onhttps://www.bbc.com/news/uk-wales-58502559(2025年12月12日)
(※7)60年前、三池炭鉱の炭じん爆発で亡くした父…胸ポケットに息子の写真「涙が止まらなかった」https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20231109-OYTNT50019/(2025年12月12日)
(※8)Price Of Coal, The (1977)http://www.screenonline.org.uk/tv/id/557217/index.html(2025年12月12日)