ミレニアムの幕開けから、怒涛の変貌を遂げた現在へ映画『新世紀ロマンティクス』


時は巡り、流れて行く。人が自身の人生に流れ漂うか如く、時代の変化は流暢に次の世代に漂流する。20世紀から21世紀へ。昭和から平成、令和に。私達は、その時間の流れを止める事はできない。10年、20年、30年。2000年代初期に見て来た世界の風景は、時と共に変わりつつある。人も文化も価値観も、新しいものが生まれれば、その新しさに人々の興味が流れ着く。子どもが大人に、大人が老人になるように、人の一生も4つの季節も巡り続ける。あの時若くエネルギーのあった20代の若者も、多くは親となり、子育て世代、中間管理職世代となり、夜遊び中心だった若い頃の自身と今夜遊びを楽しむ自身の子と比較する。どれだけ、時代が変わろうとも、変わらないものもある。たった20数年で街も人も変わってしまうのであれば、これから先、50年以上の時の流れを考えれば、ある意味、恐れ慄いてしまうだろう。人という存在はその時だけの一過性に過ぎないかもしれないが、時間の流れは待ってくれない。映画『新世紀ロマンティクス』は、製作期間に22年をかけ、21世紀初頭から劇的な変化を遂げた中国の街を、ひとりの女性の人生の変遷とともにとらえたドラマ。時の流れは誰にも止める事はできないが、確かにそこには、私達人類が生きていたと言える何かがある。その証明こそが、写真、カメラ、動画など、残すという行為に人間行動心理の意義深さを感じて止まない。

新世紀に突入した頃の21世紀初頭の中国の山西省・大同は、どんな街だったのだろうか?そして、およそ25年が経過した今の山西省・大同は、どんな街に開発が進み、街にはどんな人間が住み、25年間の人々の行きし来たした道があるのだろうか?まず、中国の山西省とは?大同市とは?一体、どんな街なのだろうか?山西省は、中国北部の平野にある省。史跡のひとつである平遥は、1370 年頃の明や清の時代の壁が現存する保存状態のよい旧市街として指定されている。郊外には、喬家大院をはじめとする商人の大邸宅が残っている。現代的な州都である太原は、数々の寺院の他、先史時代にさかのぼる地元の工芸品を数多く展示している山西省博物館で知られている。その山西省の中にある大同市は、漢代の時代には平城縣が置かれ、北魏天興元年(西暦398年)に都が置かれる。西暦495年の遷都までの約100年間、繁栄を誇った。現在は石炭を中心とする工業都市となっている。州都の太原市の次に大きいと言われているのが、大同市だ。非常に発展した中間都市、もしくは衛星都市という位置付けになるのであろう。その一方で、大同には違う顔の側面が、2000年初期、社会問題となっていた。現在、石炭を中心とする工業都市として大きな発展を遂げた同市はかつて、“来到大同府,一天四两土,早上不刮晚上补。”(「大同に来ると、1日に4両の土がもらえる。朝に削り取らなかったら、夜に補わないといけない」)という石炭に関するジョークがよく聞かれた。2003年から2005年にかけて、大同市は3年連続で国内で最も汚染された都市の一つに挙げられ、環境問題が一段と注目を浴びた時期だ。それから、大同市はグリーン開発の新たな道を歩み始める事になる。10年程が経過した2016年頃、大同市の大気環境が基準を満たした日数は314日。 2013年、2014年、2015年に続き、4年連続、山西省の空気の質ランキングで第1位に輝いている。大同市は、大同における環境汚染を加速度的に改善を示し、街のイメージを「黒い石炭首都」から「青い大同」へと驚異的な変貌を遂げた。大同の印象は何色? 「千歳の仏陀は黒いベールで覆われ、街は至る所が汚れて乱雑」か?それとも「そよ風が人々の顔を撫で、清らかな水が古都の周りを流れる」か?(※1)。2025年現在、中国政府は、大同市にはこの石炭の一大産地に、クリーンエネルギー移行のモデルになってもらおうと考えている。5年前に、パンダの姿を模した約100ヘクタールのソーラー発電所が操業を始めて以来、炭鉱の中心地である大同周辺の山々は、ソーラーパネルで覆われた。山西省の太陽光発電能力はこれまでに年間で63%、風力発電能力は24%増加している(※2)。25年が経った今、大同市の風景は劇的に変わりつつある。そして、四半世紀後の2050年、世界の地球温暖化はこの大同市のプロジェクトに託されている。世界の行く末を大きく変える運命は、この大同市が握っている。

一方で、2000年代初期の日本のどこかの街は、大同市と同じ運命を共にしたのだろうか?たとえば、大阪という街で比較して、考えてみたい。2000年初期の大阪では、一体、どんな事が起きたのであろうと言うのか?2000年代初期の大阪では、主に企業不祥事や自然災害といった出来事が目立った時期だ。特に、雪印乳業の食中毒事件、三菱自動車のリコール隠しが大きな社会問題(※3)として衆人環視の目に晒された。この時期に起きた主な問題には、「雪印乳業食中毒事件」「三菱自動車リコール隠し」大阪府の災害では、「台風21号の被害」の甚大な被害も起きた。また、大阪市港区には「なにわの海の時空館がオープンしたものの、後々、財政における問題を抱えた。結果として、不採算が続き閉館。2000年の日本社会全体を考えると、西鉄バス乗っ取り事件など17歳少年犯罪続発、そごう、千代田生命などが破綻、日銀が1年半ぶりにゼロ金利政策解除、小渕首相倒れ、森連立内閣発足など、首相の交代劇で揺れに揺れた国会、ゼロ金利政策解除から見る日本の不景気、それに伴い破綻する大手の会社の続出。今でも頻繁に起きる未成年以下の10代の犯罪が、この時期、社会問題化した。そして、環境問題はどこの国、どの地域関係なく、一律に各々が問題を抱えていた。大阪の2000年代初期における環境問題は、大気汚染と水質汚濁が主な課題でもあった。特に、二酸化窒素や浮遊粒子状物質による大気汚染が目立っていた一方、大阪市内を中心に、環境基準を超えている地点もあった。また、自動車排出ガス測定局では、一般環境測定局よりも濃度が高い傾向が見られた。二酸化硫黄の濃度は、燃料の良質化や脱硫装置の整備により改善が進んだ。水質汚濁に関しては、淀川や大阪湾における汚濁状況が課題として取り上げられている(※4)。どこの国でも、どの地域でも環境問題や取り組んでいる事は、まったく一緒なのだろう。映画『新世紀ロマンティクス』を制作したジャ・ジャンクー監督は、あるインタビューにて本作が主題にしている「時の流れ」について、こう話す。

ジャンクー監督:「私が強調したいのは、私たちが抵抗したり逃れたりできない外部の変化の波に巻き込まれる状況において、私たちにとって最も難しいことは、実は自分自身のために行う選択であるということです。」(※5)と話す。時代の変化は、待ってくれない。どれだけ私達が抗おうとも、1秒1秒、時は進み、刻まれる。ジャ・ジャンクー監督が話す「自分自身のために行う選択」とは何であろうか?過ぎ行く時の中で、私達は日々、選択を迫られている。食べるもの、住む場所、仲良くする人、お金の問題、仕事の選択含め、どこで何をするのか、誰と何をするのか。人生の一つ一つの選択が、その後の未来の時間を作るのだろう。だから、ジャ・ジャンクー監督は自己の中の選択を重要視している。無情にも、時間は私達のために待ってくれない存在。世界共通の概念である時間は、どう有効活用するかによって、私達の未来の行く末に変化をもたらす事ができる。
最後に、映画『新世紀ロマンティクス』は、製作期間に22年をかけ、21世紀初頭から劇的な変化を遂げた中国の街を、ひとりの女性の人生の変遷とともにとらえたドラマだが、単なるある一人の女性の姿を追った物語ではない。この女性の姿を通して描かれるのは、今の時代を生きる私達自身の姿だ。街も風景も価値観も物価も何もかもが変わる世の中ではあるが、変わらないものが一つだけあるとすれば、それは何であろうか?それは、老いゆく私達の中にある私達自身そのものは変化の荒波に影響されない唯一無二の存在だ。

映画『新世紀ロマンティクス』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)山西大同:从“煤都黑”到“大同蓝”https://news.gmw.cn/2018-01/03/content_27251112.htm(2025年6月2日)
(※2)中国が石炭への依存をやめるには、地球温暖化を大きく左右 2050年の完全廃止は「必須」、世界の消費の半分を占める石炭大国の展望https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/042000186/?ST=m_news(2025年6月2日)
(※3)【図解・社会】平成を振り返る、2000年10大ニュースhttps://www.jiji.com/sp/graphics?p=ve_soc_general-10bignews2000(2025年6月2日)
(※4)おおさかの環境 2000年(平成12年)https://www.pref.osaka.lg.jp/o120020/kannosuisoken/hakusyo/osaka_kankyo_2000.html(2025年6月2日)
(※5)【专访】贾樟柯谈 《风流一代》:为变革浪潮所裹挟 个体始终无法逃避https://www.sbs.com.au/language/chinese/zh-hans/podcast-episode/exclusive-interview-with-jia-zhangke-in-miff-2024/37wpson95(2025年6月2日)