映画『逃走』「若者のエネルギーが、新しい社会を作る」足立正生監督インタビュー

映画『逃走』「若者のエネルギーが、新しい社会を作る」足立正生監督インタビュー

2025年4月12日

逃走の先にある未来は?映画『逃走』足立正生監督インタビュー

©「逃走」制作プロジェクト2025

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—–最初に、映画『逃走』の制作経緯をお話し頂きたいと思いますが、とは言っても、昨年2024年の年明けに流れた緊急速報のニュースでは、若い世代の私でも驚きを隠せなかったんですが、その点も踏まえて、この作品が生まれた経緯をお話し頂けたらと思います。

足立監督:死の淵に着いた男が、自分の本名を「桐島聡」と名乗ったのには、非常にショックでした。そのショックは驚きそのものであり、彼の人生を自分で考えさせられた。要は、38年間使っていた偽名の「内田洋」のまま死んでもいいはずで、わざわざ本名を名乗る行為は何だろうか?それを考えさせられて2日半、「なるほど、そういう事だ」と気が付いた時に、やはり、これは映画として表現しないとダメだと思って、早速、準備したんです。その推測した中身は何か。本当は、内田洋のままで死ぬ、あるいは山の中で白骨死体になれば、そのまま逃げ切る闘いに勝利することは出来た。49年間、全国指名手配された訳ですから、素直に考えれば、そのまま逃げ切る事こそが、彼の戦い方だったんだろうと思えた。でも、それをせずに、なぜ本名を名乗ったのか、自己顕示欲で「逃げ切ったぜ」と自慢したかったのか?いや、むしろ真逆じゃないかと思えた。既に死んだ仲間や逃げている仲間や獄中に囚われている仲間達に、「俺、戦ったよ」というメッセージを伝えたかった。表現したかったんだ、と考えれば納得ができる。彼は、警察の手配との追う・逃げるという闘いから、新たなレベルの闘いと言える「連帯」の宣言として、本名を名乗ったんだと思った。だから、映画表現をする側の人間としては、その、彼の最後の闘い=「表現」をできるだけ早く正確に伝えて行くことで応えたかった。映画製作の準備を早速開始していった。

—–先程、お話されたように、足立監督にとって、「なるほど、そういう事だったんだ」と仰りましたが、その「そうだったんだ」とは、どういう意味合いでご自身の中に腑に落ちたと思いますが、それは何だったのでしょうか?

足立監督:さっき言ったように、人知れず死に絶えていれば、桐島聡は消えたままでしょ?それだけでは許せない何かがあるんじゃないかと思って、探りに探って行けば、彼が自分個人の戦いに終わらせないで、たとえば、一番大きな影響を受けた東アジア反日武装戦線「狼」部隊の大道寺将司の獄中での闘いに大いに示唆されていたと思った。大道寺達「狼」部隊は三菱本社ビル爆破で多数の死傷者に出した痛恨の過ちに直面し、逮捕された後も、その死傷者に対する贖罪として命を懸けて償う死刑に向き合って、それをずっと俳句に詠み続けていた。その俳句の中には、贖罪を第一にしながらも、なおも自分達が連続企業爆破闘争で実現しようとした戦前の犯罪企業を攻撃した思いや信念を捨てきれないでいる心情を詠い込んでいる。つまり、贖罪と同時に戦いの情念を消し切れない想いをメッセージとして詠んでいる。桐島は、それから勉強して、逃げるという戦いをもう少し明確に戦いとしてアピールするために、自分の死を媒介にして、またはメディア表現にして、本名を名乗る仕方を選んだ。そういう意味では、刑事との追跡・逃走ゲームのレベルを超えてしまっている、と本名を名乗った意味を推測理解できた。

—–今の監督のお話をお聞きして内田が、なぜ最後に「桐島」と名前を出した事は戦いだった。これからの戦いだとおっしゃいましたが、また別の側面で見ると、もしかしたら、自身の弱い部分や最後の抵抗を見せたとも考えられますね。

足立監督:そう思ってもいい。だが、ただ逃亡しているだけの現実に囚われる以上の何かが手に入ったんじゃないか、と僕は思っているんです。だから、非常に幸せだと思われます。先に逮捕された皆が言っているんです。早く逮捕された方が、責任がそこで切れて、楽になる、と。色々あったんだろうけど、それを全部背負った訳だから、背負った重たさの中で突き抜けた結果、背負った苦しさの中から、新たな「闘う幸せ」のメッセージを発したと、僕は思いました。

—–あのニュースは、とても衝撃でした。少し違うかもしれませんが、地下鉄サリン事件の指名手配されていたあの3人の身柄確保された2012年の緊急ニュース速報の時と同じぐらいの衝撃を受けました。もしかしたら、指名手配犯はほとんどがまだ、どこかで潜伏していると考えられますね。

足立監督:当時の青年たちは、闘う中で敗北をしてしまったわけだけれど、今でに逃げている人々は多いと思います。彼より少し上の全共闘から言えば、大体、全国で1万人ぐらい逃げていると言われていた。刑の重い軽いはあり、あるいは既に時効も大半成立しているでしょう。だけど、時代の中で背負ったものはずっと引きずっているんです、その人達に向けた連帯のエールでもあると思っているんです。

©「逃走」制作プロジェクト2025

—–内田洋こと桐島聡の生涯を言葉で表現するなら、私は「孤独」という言葉を真っ先に思い浮かべてしまいますが、特に、初期と後期。逃走中の中期は、語られていない部分もあると思うんですが、監督は彼の孤独について言及するなら、桐島の孤独をどう捉えていますか?

足立監督:恐らく、逃げるという行為、それが戦いだという思いを磨いて固まっていったのは、中期頃だと思う。つまり、最初は懸命に逃げ隠れる段階で進み、潜伏先に定着して、やるべき事は何もやれずただ逃げているだけじゃないかと自分の存在を思いつつ、色んな友達や知人、支援するグループと連絡を取れば、すべてに迷惑がかかるから、連絡を一切絶つ。これは、珍しい例だと思います。だいたい逮捕されるのは、関連者から情報が出回る事が多いんです。尚且つ、彼の場合、一般的に言う「革命家」という認識でスタートしたわけではなく、ておらず、革命に繋がる前段の「暴露キャンペーン闘争」から入っているから、一直線に逃走していた。しかし、逃亡の中期には、逃げる事だけでは意味がない訳で、どう逃走しながら「闘い」を続けるかについて悩み続けたと思う。だけど、何をやる力量もないので、大変苦悩したと思います。その分、彼は孤独を選んだんです。たとえば、女性と出会って恋愛関係に入りかけたことも2度程あったようだ。だけど、それも結婚したり家庭を持つ事が、犯罪者である自分が相手を傷つける事になるから、自制せざるを得ない。その点は、原則的にやった。原則的にやればやるほど、孤独になる訳だから、ライブハウスやバー、食堂や銭湯で周りの人々と過ごす日々は、隣近所さん含めて、深く親しくなることは「裏切り、であり、犯罪者の自分が迷惑をかけることになる。だから、あらゆる面で自制したと思うんです。これは、もう大変な事です。だから、「パクられた方が楽だった」と、みんなは言うのです。孤独を選んだというより、原則的にやろうとすれば、必然的に孤独であらざるを得ない。だから、かれは、毎日、連続爆発キャンペーン闘争をやったし、その続きをやりたいし、自分の確信と迷い、それが孤独の中での物凄い葛藤として続いていたと思われます。その葛藤の中で磨き上がったものが最後、本名を名乗るという事だったんだと思います。

—–何かの記事を読んだ時、桐島自身は深くは関わってなかった。関わっていたけど、罪としては無期懲役や死刑になるまでではなかった。

足立監督:彼の戦い方は、その時までの革命運動や左翼運動、新左翼運動の中にあった組織的な活動の在り方の失敗を大きく捉えていた。また、官僚的に見える党派への反発心が、根本にあった。旗を背負った戦いを続けている新左翼主義からは距離を取った。一口で言えば、アナキシティックなところはあるが、アナキズムかと問われれば、そうでもない。だから、革命運動の組織の在り方のミスを二度と犯さない、というつもりもあった。だから、個々の確信の出会いで小グループを作り、素人の軍団ではあったが、懸命に原則的にやろうとしたわけです。その小軍団の中でも、一番若い桐島は「さそり」部隊の中でもパシリに使われるような最弱年だった。最近、宇賀神に聞いたら、「俺、そんなに威張ってない。同等の仲間としてやっていた」と言う。宇賀神さんはそう思っていても、「桐島は宇賀神さんを頼りにして、そうは思っていなかったんじゃないか」と重ねて聞いても、宇賀神さんは断固として否定していた。

—–桐島は結局、社会には出て来なかった。罪を償う事をしていなかったですが、その逃走そのものが、ある意味、彼の中での懲役だったのかと思います。

足立監督:その点は難しいところです。自分を罰するという思い、それと自分は逃げ切ることが任務だという思いはあり、一筋縄では行かないところです。だから、逃げ続ければいいんだという日々もあったかもしれないけど、むしろ、「逃げる任務」という自分の信念を作り直さないと続かない。それが、彼の身体を蝕んで行くんですよ。胃を病んでも痕跡を残せないから保険証も持てなくて、病院には行けない。歯がぼろぼろになっていくけれど、歯医者に行けば治療記録で歯形が残るから行けない。日々の現実の中でもう一度「逃げる任務」への確信を作り直さないと維持できない。それが、孤独よりもさらに大変な闘いだったろうと思われます。

—–逃走していた70年代以降、桐島はどんな思いで生きて来たのか?

足立監督:特徴的に、桐島は、ミッション大学に居たんですが、新左翼運動の流れ大流行のバンドをやっていた学生たちが、十把一絡げで煩い学生たち全員が大学から追い出されてしまった。本当は、桐島も追い出されなきゃ、弁護士を目指すかバンドを作って音楽活動をしたい子だった。追い出されて行った先が山谷で、そこで働く最下層の労働者たちや活動家たちに出会って、それまで全く知らなかった日本の現実、下層労働者の生活苦の問題、勉強会で知った日本の大企業が戦争中はアジアの人々の汗と血を吸い取った戦犯企業だったことなど、素直だから、一直線に目が覚めてしまう。そして、「狼」部隊が三菱重工本社ビルの爆破で多数の死傷者を出す失敗を起こした後だったけれども、その失敗を取り戻す為にも、連続企業爆破続けるべきだと、すぐに「さそり」部隊に入る。そのように一直線に企業爆破のキャンペーン闘争に立つ入していったんだけれど、東アジア反日武装戦線総体が一斉逮捕され、逃走を余儀なくされる。精一杯逃げ続けただけだと思う。

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—–映画では活動初期、そして逃走初期の彼の姿がモンタージュで克明に描かれていますが、語られていない彼の中期、90年代や2000年代初期に関して、彼は何をしていたと思いますか?

足立監督:一部は描いているけれど、彼は日々の日雇い労働をやりながら闘争を続けつつ、日本の現実を見つめていたと思う。阪神・淡路大震災、オウム事件、それらのすべてが彼の目の前で流れて行くが、彼は何も出来ない。つまり、時代が流れて行くのを見つめるだけの苦しい日々だったと思う。当時、桐島は職場は定着し、一見安定した日常生活を送っていた。ライブハウス、ワインバー、飯屋、銭湯に通う生活を過ごしていたのだが、そこで出会う人々や工務店の人々は、誰も彼の生活の一側面で出会っても、彼が何を考えて生きて居るのかを把握している人はいなかったと思う。謎の人物だったのではなく、人の良い青年で目立たずに生きて居た。そして、密かに、宇賀神さんとの再会を求めて「銭洗い弁天」にお参りに行っていた。だけど、二人は一度も再会できなかった。また、新たに爆弾闘争を実行することは無かったと推測できるけど、世間では大小の爆破事件などは続いていた。それを警察は、ことさら事件として発表しなかった気配が強い。ただ、東アジア反日武装戦線のように、戦争犯罪的企業を攻撃するというような闘争目的の枠では括れないものもおおかった。桐島自身は、部屋の中でロックを聴いたり、ライブハウスで楽しんでいる時、かなり「逃走=闘争」から自由に成れていた。そこで友達関係が濃密になることは、相手を裏切ることになっていくから、深入りしないように自制する。その結果、誰も彼の生活の全体像を知らないのは、恐らく桐島は自由な時間を散歩したりしていたと考える事はできる。散歩も、近隣だけでなく、かなり遠くまで出かけていたはずです。

—–ニュース映像を見る限りで言えば、中期以降から亡くなるまでのあの一瞬は、彼にとっての幸せだった.のかな。

足立監督:彼が送っただろう実生活と比べれば、実際よりもレベルアップがあるかもしれないけど、自分の行動、偽物の行動ではない「桐島聡」としての最後の病室の4日間は、かなり幸せを感じていただろうなと思う。

—–被害者の方々いる中で幸せだったとは言い切れませんが、実名を名乗れた点もまた、彼にとっての一つの何かの幸せだったのかなと思えたりします。

足立監督:その通りですね。被害者たちへの贖罪の気持ちもありながら、逃亡する闘いの苦しさの中にも幸せがある事を、本名を名乗ることで強いメッセージ性を出そうとしたんじゃないかと思います。

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—–「桐島の事を尊敬する」という監督自身のお気持ちは、私自身もすごくご理解できますが、果たして、それが本当に正しい物の見方かどうか、私の目から見れば、彼は最後まで罪を償わずに逃げ続けた一面を考慮すると、桐島の行動は身勝手だったと感じますが、監督は彼の行いや行動に対して、「尊敬」以外の言葉で表現するなら、それは何だと思いますか?

足立監督:桐島は、本当に罪なんだろうかという点まで考え直したいと思う。勿論、日本の法律では、「狼」部隊と「さそり」部隊が、同じ間、組の事務所を同じ日の同じ時間帯に爆破攻撃を行ったものだから、「共同作戦」という解釈は成り立つのかもしれないが、むしろ、別々の事件と捉えることが出来る。だから、問題提起としても言いたい点は、延々と49年間も全国重要手配にしたのは冤罪手配ではないのか、という見方です。たとえば、あなたが今主張したように、桐島は、所詮、企業爆破をした犯罪者だというのは正論です。尚且つ、逃げ隠れをした卑怯者だという見方も出来るでしょう。この映画「逃亡」を観て、そんな人物を映画の主人公にすること自体がヒーロー扱いになっている、と、捻くれた見方も出来るでしょう。だけど、この映画は桐島をヒーローとして語る為のものではない。彼を映画の主人公として「ヒーロー」や「アンチヒーロー」に描き出すことを目指したものではない。むしろ、普通の青年が辿った生き様を捉えようとした点に拘りがある。だから、犯罪者が生きて来た話だと素直に観ることが、なぜできないのか。どこが面白くないのか。肯定したり批判したりしながら、そこをもう一度考えてみて欲しいと思う。

——彼の人生を考えたら、奥行きもあると考えてしまいます。昨年、桐島が自分の名前を名乗り出て、社会が衝撃を受けました。その渦中にある時、サソリの元リーダーが、あるニュース記事であの時に選んだ暴力の方法は間違いだった。

足立監督:黒川芳正だけでなく、東アジア反日武装戦線のメンバーは、みんな反省しています。負傷者を出したのは、間違いだったと、たかが映画だけど、描いている世界は犯罪者の物語です。犯罪は犯罪でしかない。その犯罪を描くことが良いのか悪いのかは、犯罪が好きな人、嫌いな人がまずあったり、犯罪は絶対に許せない人もいるし、法律に反した者は皆、罪人でしかないから描く必要はない、と言うところまで行く人もいるでしょう。それはそれでいいんだけど、罪を犯したこともないような顔をしている日本の大企業の実像は、実は、天皇の名のもとに軍隊と協働してアジアの人々の血と汗を搾り取る戦犯を繰り返していたとして攻撃した。それが、東アジア反日武装戦線です。では、その大企業の犯罪はどうするのか?犯罪を考えるのであれば、その点をもう一度考えてみればいいと思う。

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—–彼らは、後悔している。それは、当然として。今の時代、70年代のように社会に対する反対の声を上げる事は、今も必要だと思っていますが、もし暴力以外の方法があるとすれば、一体何でしょうか?

足立監督:それは、自分で考えるといい質問です。答えは、人々の力の中にあるという問題ですね。だから、暴力以外の他の例を挙げるなら、たとえば、私は1969年から暴力を含めてパレスチナ連帯運動をずっとやって来た。だけど、パレスチナの民族解放闘争の正義性が、未だに世界では成立しない敗北的な状況が続いている。その中で去年、ガザ蜂起があった。ガザで行われる虐殺の激しさを見て、世界中の人々や若者がパレスチナの解放を呼び出した。50年間やって来た私たちの連帯運動は、今のレベルに届く前でウロウロしていた。パレスチナの問題が、もう一回、見直されている訳です。だから、僕もちゃんとデモの最後尾に並んで一緒に抗議活動もしている。問題の捉え方が認められていないものをも動かす力は、やはり、一握りの暴力の力ではなく、人々の持っている異議申し立ての力の側にあると思っています。だから、現在問われているパレスチナの問題に関して言うと、欧米日の国家は国家の国家利益を追及して、イスラエルが「国防」と言ってパレスチナ人を虐殺するのを止めようとしないでいる。ところが、各国の民衆は「ガザの虐殺を止めろ!」と大きな抗議のうねりを作っている。つまり、国家と民衆の剥がれがここまで大きくなっているのは、国家レベルの国際利害が人々の要求と対立する実態になっていることを物語っています。この国家の政策と人々の思いのずれは、日本だけではなく世界中で明らかになり始めている。はっきり言えば、国家間の国際協定の不当性が、すべて暴露される時代に来ている。だから、トランプが再び出て来て、米国はビジネス優先の政治展開をやるとはっきりしている。これまで陰でコソコソと取引して来た「国際政治」はすべて炙り出されて行く。これは、楽しい事です。今まで隠されていた政治と経済の危機が浮上して来ただけで、トランプの政策が、壊れた世界の実像を見せるのに役立っている。日本でも、政治家が政治屋になって、政治をビジネスにして成立していたのが自民党。政治はプロの自分たちがやるから若者や素人は政治を扱うな、と言うキャンペーンが全国で流行って現在に至っている。「若者が政治離れをしている」という欺瞞の論理は、政治屋が若者から政治を取り上げてしまった策略を隠すデマです。しかし、その実態も世襲政治や政治を歪める企業献金が蔓延ってきた結果、あまりにも出鱈目な政治がまかり通るようになって、日本の政治ビジネス制度もそろそろ保てなくなって来ている。話を戻しますと、そんなインチキが暴かれ始めたのは、人々の意志が必ず正邪を炙り出して行きます。僕が若者100%支持を主張しているのは、その一点です。若者はどんなに間違いを犯しても、罪を犯しても、社会と人間関係を改革していく原動力になります。だから、間違う権利を含めて、若者は正しいと言う側にいると考えています。若者を支持します。僕は今、非常に楽天的です。世界が壊れ始めていると人々は言うけれど、既に壊れているのは政治も経済も。もう、底は抜けており、それが露わに見えて来ているだけです。だから、ここで若者達がひと踏ん張りしたら、日本も変われると思って、今、極めて楽天的なのです。

—–最後に、本作『逃走』が、今回の上映を通して、どのような広がりを見せて欲しいなど、何かございますか?

足立監督:今言ったように、現代の若者たちが、昔も頑張った奴が居たんだと言えるような時代になって欲しい。若者の時代になって欲しい。昭和にも頑張った奴がいたけれども。今は自分たちの時代だから、精一杯やってみようと思って欲しい。若い人たちが、日本の政治経済のど真ん中に居ることを自覚できるようになって欲しい。結果的に、腐敗した政治も金融資本の儲け主義の経済も、気候問題すら、彼らが中心になれば、解決できます。あと3秒しか世界終末時計はないと言われていますが、その3秒を30年かかっても止めて欲しい。そんな時代に向かって、若者のエネルギーが、新しい社会にして行くのが楽しみです。映画が、その挑発になればいいのかなと思っています。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

©「逃走」制作プロジェクト2025

映画『逃走』は現在、関西では4月4日(金)より京都府の京都シネマ。4月5日(土)より大阪府の第七藝術劇場シネ・ヌーヴォ。兵庫県の元町映画館にて公開中。