最後まで希望を捨てない映画『春の香り』堀ともこプロデューサーインタビュー



—–作品のパンフレットにも、本作の制作経緯を寄稿されておりますが、改めて、この作品が生まれた背景をお話し頂けますか?
堀さん:この作品の始まりは、私がプロデューサーとして関わった前作の映画『いちばん会いたい人』を作った時、SNSで作品宣伝の発信をしていたんです。その時、書籍『春の香り』という本を出版しましたという案内をSNSのDMで坂野さんから頂きました。私が、その本を取り寄せて、読んだ事からこの作品の制作が始まります。
—–その本を読まれて、何か受け取ったメッセージは何かございますか?
堀さん:本を取り寄せて読み始めたんですが、最初の3、4頁ぐらいで、その先が辛くて読めなかったんです。本当に辛くて読み進めるのが困難でした。ちょうど、私の娘も白血病を患って、病気で娘さんを失われたご両親が。 どのような想いでこの本を書かれたんだろうと考えたんです。私の娘が入院していた時も、周りに同じ経験をされた方々がたくさんおられたんです。ただ幸運にも、私の娘はドナーが見つかり、今元気にしています。私の家族は助かった反面、亡くなったお子さんがたくさんいる。その子のお父さんとお母さんが、私達の事を凄く応援して下さったんです。その時、どんな気持ちで他人を励ます事ができるんだろうと考えてしまったんです。とても嬉しいんですが、喜べなかった自分がずっといたんです。私にはずっと申し訳ない気持ちがずっと心の中にあって、どうすれば、感謝の気持ちを世の中に返して行けるのかと、自分の作品を作りながらもずっと思っていたんです。その時、坂野さんからお話があり、本を読ませて頂いた時に私は何の為に自分の作品を発信してるんだろうと立ち戻ったんです。どうしても、自分の気持ちを解決したくて、坂野さんにお会いして、お話を聞いてみたいと思ったのが、会うきっかけだったんです。正直、実は坂野さんの本は読めなかったんです。読めないまま、そのまま本を持って、飛行機に飛び乗った感じです。ただお会いする前に、作品を読まないでお会いするのは失礼だと思い、飛行機の中で一気に読んだんです。
——お会いしてからの印象は、変わりましたか?
堀さん:本当に、この本を書いた方なのかな?というのが、最初の印象です。思ったよりもサバサバしている方で、すっきりされていたんです。たとえば娘さんの事を思って、つらく落ち込み、後悔の日々を送っているのかなと。お会いする前は、きっと、そう思われているんだろうと思っていたんです。お会いした時に、全然落ち込んでいるようには感じられず、ご夫婦お二人はとても明るく、思い出話を普通にされるんですよ。その姿がまた、信じられなかったんです。娘さんを亡くされたはずなのに、亡くされたとは全く思えなく、どこからこの明るさが来るんだろうと最初にお会いして思いました。
—–お話をお聞きする限りでは、過去の様々な葛藤を乗り越えているのでしょうか?
堀さん:私も本を書く事によって、もしかしたら、気持ちを整理できたのではと思えたんです。
—–実際、お子さんを亡くすのは、乗り越えられない事実と悲しみだと思うんです。 僕は同じように経験している立場の人間ではないですが、子どもを亡くすだけでなく、家族を亡くす現実は簡単に乗り越えられないと思うんです。どれだけ事実として受け止めていても、気持ちの中での整理ができないからこそ、その話を聞く限りで言えば、本を書く事によって、気持ちの整理ができたからこそ、明るくなれたのでしょう。
堀さん:お会いしてから親交を深めまして、いろいろお話をする機会も増えたんですが、結局、ご両親が何のために本を出したかと言えば、春香さんとの約束を果たしたい気持ちからだったんです。春香さんが亡くなる前に、自分が生きていた証を残したいと。皆さんの記憶の中に残して欲しい事。あとは、世の中の為に自分が何かできる事はないかと常に考えていたお子さんだったんです。同じような境遇を持った方の為に、何か役に立てないかと、ご両親は常に考えているようでした。その本を出す事によって、娘さんとの約束を果たし、春香さんの気持ちを自分たちが受け継いで、それを果たし、役割を担っているとすごく感じられました。
—–本を出版する事が、生前のお子さんとの約束を果たしたんですね。
堀さん:それをずっと伝え続けたいと常におっしゃっていますので、本を出した事だけが、自分たちの結果ではなく、本を出す事がスタートで、春香さんの思いを皆さんに伝えて行く事。同じ病気で苦しんでいるご家族の何か光になりたいと、ずっと伝え続ける事が、春香さんが自分達の中に生き続ける事が非常に大事だと感じています。

—–先ほどもお話しされていたと思いますが、お子さんのように助かる命、逆に助からない命、たくさんあると思うんですが、助からなかった命の方々、ご家族の方々に堀さん自身は映画以外でも映画でも何でも構いませんが、本当に今からやれる事、本当にやりたい事は何かございますか?
堀さん:私は娘が白血病だったので、最初の診断で骨髄移植を受けなければ助かりませんと言われたんです。その時に家族全員で白血球の型、HLAと呼ばれる型を全員調べたんですが、誰も適合しなかったんです。その時、救ってくれたのが骨髄バンクだったんです。 骨髄バンクから探してもらって、通常、何百人とか何万人に一人という確率で見つかると言われていますが、運よく私の娘は数万人に一人の確率で見つかったんです。ドナーが見つからなくて、亡くなって行くお子さん、大人の方もたくさんいらっしゃるんですけれど、ドナーの方が一人でも増える事によって、ドナー一人が患者さんその人の一人になる可能性もあるんです。ドナーを一人でも増やす為に、自分が何かしらの活動をしなければいけないんです。それが、映画作りに繋がったんですが、春香さんも同じだと思うんです。彼女もお子さんだから、病気とは縁遠いその思い込みが、皆さんにもあるかと思うんです。子どもだから若いから大丈夫と言う理由で、受診しない事がまずないように、早めに病院で診断を受ける事がまず必要だと思いましたので、この映画を観て下さる方には、こんな病気がある事を知って欲しい。 お子さんにも発症する癌もあるんです。だから、まず知識として持ってもらって、早め早めにお子さんの様子を見て、おかしいと思ったらすぐに病院に行く。そんな行動も必要なので、まずこの映画を観てもらって、知ってもらう事が大事だと思います。その点は、伝えたいと思っています。
—–映画の話に戻しつつ、本作は十代の恋愛、青春もしくは家族の話、ドラマの要素など、様々なジャンルが映画の中で縦横無尽に飛び交っていますが、堀さん自身は特にどこに重点を置いて、作品を制作されようとしましたか?
堀さん:最初は、家族の一人、子どもが病気になるのは、家族の中では大事件だと思うんです。病気の子がいる事により、家族全体のバランスが崩れて来ると思うんです。病気とか関係なければ、普通に日常生活が送れるところ、娘さん一人が病気になった事で家庭内の事情が変わって来ますよね。愛情の偏り方や他にもトラブルにもなると思うんです。たとえば今回、春香さんにはお姉ちゃんがいて、そのお姉ちゃんと彼女の関係性もまた、家族の中で病人がいるとバランスが崩れて来ると思うんです。その関係性をいかに乗り越えて行くのかが、私の中では皆さんと考えたいテーマだったんです。実は、恋愛の要素は監督と脚本家のご意向で加わった事なんですが、私は最初に映画を作る事によって、家族の愛情をテーマにしたいと思っていました。

—–本作は、坂野春香さんをモチーフに彼女のご両親が書かれた書籍「春の香り 脳腫瘍と闘い、十八歳で逝ってしまった最愛の娘へ」を下敷きにしていますが、堀さん自身、本作を制作する過程で春香さんや彼女のご両親、書籍と共にいながら、ご自身の中での何か振り返りになった事はございますか?
堀さん:最初に、坂野さんに映画にしませんか?と言った時、本当に自分の中の出来事を何とかしたかったんです。先ほども言いましたように、うちの娘は助かって、亡くなった方達にすごく申し訳ないとずっと思い続けて来たんです。助かったからこそ、自分ができる事はないだろうかとずっと思い続けて来たので、この作品を作る事は、自分の為に作ろうと思った事がきっかけだったんです。スタートとしては、この作品はあくまでも最初は、自分の為に作りたいと思ったんです。
—–自分の為に作りたいというその強い想いをもう少し掘り下げる事はできますか?
堀さん:要するに、言い方は違うかもしれませんが、自分が世の中に何ができるかをずっと自分との戦いだったんです。できるかもしれないこ事の一つが、自分の為に作る事だったんです。罪滅ぼしではないですが、自分の娘が生きてしまったからこそ、自分の人生の中で自分の課題が見つかったんです。やらなくちゃいけない事の一つが、自分の中で解釈しました。

—–それは、癌への認知やドナーへの関心。世間に広まって行くような活動が、堀さんの中での一つの課題として生まれて行ったんですね。でも、なぜ一番のお金のかかる映画だったのでしょうか?他にも、方法はあったはずです。
堀さん:ただ、なぜ映画なのか?と言いましたら、私も昔に遡るんですが、私の娘が入院していた時、お隣の無菌室の女の子がアイドルの嵐の大ファンだったんです。退院したら嵐のコンサートに行きたいから治療を頑張るとずっと言っていたんですよ。 その時、私はスターの力が物凄い存在なんだなと思わされました。自分が会いたい人やアイドルに会う為に、自分のつらい治療を取り越えようと頑張れるは物凄い事だと、その時思ったんです。スターには、凄いパワーを持っていますよね。テレビで一言言うだけで、世の中は大騒ぎになりますよね。スターの方達に私たちの気持ちを代弁してもらう事が一番効果的だと思ったのが、映画作りをしようと思った最初のきっかけです。
—–そのお話を聞いて、ふと思い出しましたが、少し話が逸れるかもしれませんが、お許し下さい。 アニメのドラゴンボールで有名な声優の野沢雅子さんがある時、余命幾ばくのない男の子のご両親から手紙が届いて、子どもが亡くなるからサインを一つくださいと。野沢さんは、その手紙を読んで、録音さんにすぐ声をかけて、「劇場まで待ってるから!頑張れよ!」と孫悟空の声で自分の声を吹き込んだんです。その時の映画が劇場公開された時、その男の子は命長らえ、映画を観に来たらしいんです。その後、お亡くなりになった有名なエピソードがあります。だから、映画が公開されるまで命は助からなかったかもしれないんですが、芸能人やスターの力は凄いですねとは、命をも長引かせる不思議な力があると私は思うんです。最後に手紙が送られて来たらしいのですが、その手紙には担当医の手紙も添えられ、「医療でも救えない命はたくさんある」「その中でも芸能の方が声をかける奇跡は、医療では計り知れないものがある」と。
堀さん:本当に、その通りだと思うんです。入院していた時に思うのが、お医者様はお薬を持って、その人の病気を治そうとしますが、本当に必要なのはお薬ではないんです。命を灯し続けるのは、お薬じゃなくて、人の心や自分が憧れている人、モノやお金じゃなく、何かしら見えないパワーが絶対あると思うんです。なぜ、映画だったのか?私もお金ないですし、前作は自分の家を売って作りました。私は絶対、全然後悔していません。自分の活動の中で絶対必要でしたし、自分の生涯、やり遂げなくちゃいけない使命を意識しながら映画を作っています。
—–命って、人の生きる気力だと思うんです。なんと言えば良いのか見つかりませんが、そんな万人に受けたり、万人の命を救う事はきっとできないと思うんです、絶対に。でも一人でも多く、一人でも救える命があるなら、映画を作る価値があると思うんです。
堀さん:そう思い願い続けたいです。

—–本作の見せ場は、作品の終盤における、春香と家族の壮絶なやりとりだと私は思います。ここが、本作の一番の見せ場だと思いますが、この出来事をきっかけに、少女が家族への、特に親への感謝に気づかされる。癌や病気だけじゃなく、子どもの思春期や親の介護など、人生は平坦ではなく、山があって谷があってって、そんな時、私たちは家族にどう向き合うのか、その向き合い方について、堀さんはどうお考えでしょうか?
堀さん:私自身は、人の命はいつまで生きられるか分からないと思っているんです。自分自身、明日死ぬかもしれないですよね。あと、何十年も生きるかもしれないです。それは、誰も分からない事ですよね。いつも思うのは、命は長かったら幸せなのか?短いから不幸なのか?そうじゃないと思うんです。自分の命は、ちゃんと自分で責任を持たなくちゃいけないと思います。関わっている人達、たとえば、家族の人達の命にも責任を持たないといけないと思うんです。それが、自分の命にも繋がります。たとえば、死ぬ最後の瞬間、この人生に悔いはなかったと思えるかどうが、自分の人生だと思うんです。だから、一緒にいる家族も、亡くなる時の瞬間、自分はこの人生、本当にいい人生を送れたなと思ってもらいたい。だから、自分は家族として横にいる責任はあると思うんです。だから、介護や看護、家族の中で抱えて行くトラブルはいっぱいあると思いますが、その時によって状況も刻々と変わって来ますよね。だけど、何を柱にするかと言えば、最後の最後にその人が幸せだったと思ってくれる人生を、自分が支えられるかどうかだと私は思っています。

—–本作は、十代少女の青春や恋愛だけにフォーカスしているだけでなく、家族の在り方についての物語。堀さん自身も仰っていますが、堀さんにとって、家族という存在について何かお話し頂けますか?
堀さん:本当に、親が可愛がって育ててくれたので、私の親には親なりの色んな紆余曲折があったんですが、最後の最後に私が後悔しているのは、うちの母親が認知症ですが、私は早めに気が付いていたんです。「最近、お母さん、ボケてない?」と聞いた時、私の母親は最初、認めてくれなかったんです。だから、病院に連れて行くのも凄く遅れてしまったんです。認知症が進んでしまってから病院に行ってしまった事実があります。病気って、家族だから遠慮なく話せる事でもないと思うんです。きっと、他のご家族の方もそうだと思うんです。でも、そこは少し変だとと思ったら、この映画にも繋がりますが、躊躇なく病院に連れて行って欲しんです。私の親子の関係において、あの時躊躇してしまったという後悔は未だに残っています。だから、父も母も年老いて行き、後悔のない人生をどうやって送ってもらえるかは、最後まで私も責任を持って考えて行きたいと思っています。
—–ありがとうございます。逆に、堀さんの娘さんやご自身のご家族についてはどうでしょうか?
堀さん:娘が病気でもありましたので、いや病気だったからこそ、今、娘との関係がきっとめちゃめちゃいいんです。たとえば、病気じゃなくても、普通に何の苦労もなく、日常を淡々と過ごしていたら、色んな場面で反抗期もあったと思うんです。娘が早めに独立していた未来もあったと思うんですが、今、娘が病気を乗り越えた時、もう親子の関係や絆がめちゃめちゃ強くなってしまったんです。本当に今、私の活動を積極的に支援してくれているのも娘です。その下に男の子もいるんですが、私と娘の活動をバックアップしてくれ、本当に仲のいい親子で感謝でいっぱいです。今回、名古屋や大阪で上映が決まっても、娘は私と一緒に行ってくれるんです。仲のいい関係です。親子と言うより同じ人生の目標を持っている感じはします。
—–単純に仲が良いだけでなく、同じ壁を乗り越えた戦友のようですね。 親子の関係性を越えて、仲間という強い絆と縁がある。
堀さん:まさに、戦友に近い関係にいます。
—–最後に、映画『春の香り』が今回の上映を通して、どう広がって欲しいなど。また、映画だけに留まらず、がんやドナーに関して、何か世間にどう広がって欲しいなど、何かお考えがあれば教えて頂けますか?
堀さん:病気の話ですが、必ずしも病気だけにフォーカスを当てたお話ではないと私は思っているんです。もちろん、病気の事は広がって欲しいと願っています。また、病気で苦しんでいる方もたくさんおられますから、この方々の為のバイブルにもなってもらいたいです。 そうではなく、色々な人の立場がそれぞれにハマる映画だと思っていますので、恋愛要素も含め、家族愛や娘を支える親御さんの気持ちも踏まえて、この映画が広まって欲しいのは、病気の物語だからではなく、人の本当の気持ちが込められている映画です。 誰しもが、そこにハマる映画。生きる希望を持てる映画だからこそ、一人でもたくさんの人に観てもらって、生きる希望になってもらいたいと考えています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。

映画『春の香り』は現在、関西では3月14日(金)よりアップリンク京都、3月15日(土)よりシアターセブンにて公開中。3月16日(日)にはシアターセブン、アップリンク京都にて舞台挨拶の予定。