音楽は《火山のふもと》で奏でられる映画『博士の綺奏曲』
人は、何かに夢中になっている時は、たとえ苦労であっても、苦労を苦労と思わないのだ。
数学者:広中平祐氏の言葉より
一人で(もしくは誰かと一緒に)何かを作り上げる労力は、至難の業だ。何も無い所から、一から生み出す行為は、得も言われぬ苦痛を伴うものだ。時に誰かに協力を得、時に誰かの理解も得られるが、最終的には、どんな時でも、自身との闘いが待っている。孤独に耐え、苦痛に耐え、作り上げて行く過程にこそ、大切な何かが眠っている。産みの苦しみの先にある景色を瞼に焼き付けるのも大切だが、生み出すまでの苦悩を自身の感情として受け入れ、楽しまないと何の意味もない。その過程を経験した者にしか、その先の未来の景色を体験する事はできない。数学者の広中氏が言うように、何かに夢中になっていれば、たとえそれが苦労であったとしても、それを苦痛と感じる事はない。その苦痛でさえ、もしかしたら、苦痛とは思わず、楽しみながら取り組む事こそが、産みの苦しみを受け入れる最もな近道なのかもしれない。苦境を苦境と思わず、修行を修行と厭わず、追い詰められながらも、コツコツと自身の内面と対峙する事が、産みの苦しみを楽しむコツなのかもしれない。映画『博士の綺奏曲』は、経済危機により亡命者が続出した2016年当時のベネズエラを舞台に、混乱と貧困が日常を蝕んでいくなかでも音楽づくりを続ける男の姿を描いたドラマ。何かを生み出す行為は、筆舌に尽くしがたい苦衷と追随する人生の行く末のようだ。
本作『博士の綺奏曲』が生まれた背景には、2016年に起きたベネズエラの経済危機が帯同している。そもそも、ベネズエラがどのような国なのか、日本人のほとんどが知らないだろ。同国は、南米大陸の北端に位置する国だ。北はカリブ海、南はブラジル、東はガイアナと大西洋、西はコロンビアに面しており、人口は2024年現在の予測値では、約3,409万人いると言われている。民族構成は、混血が51.6%、白人が43.6%、黒人が2.9%、アフリカ系が0.7%、その他が1.2%。また、先住民族は52種類いると推測され、多種多様な人種がベネズエラに暮らしている。なぜ、2016年に経済危機(※1)が起こったのか?その背景には、ベネズエラの経済危機は、チャベス政権が推し進め、マドゥロ政権が引き継いだ、国家介入型の経済政策の失敗にあると言われている。前年の2015年、二人の大統領が誕生し、諸外国は各々が支持する大統領側に付き、米国による経済制裁が待ち受けていた。こうしか政治的経済的混乱の最中、本作『博士の綺奏曲』が誕生した訳だが、この作品が生まれる背景にも様々な産みの苦しみを通過して、一本の作品が出来上がっている。映画的側面で言えば、制作面や費用面での苦悩があったのかもしれない。また、上記のように、国家の政治的経済的混乱が映像制作へ大きく影響したと言えるが、それでも、その苦悩を乗り越えて、一本の作品が生まれる背景を考えれば、いかに産み出す事が骨折れるか、少しでも理解できるかもしれない。
また、どんな分野でも一から形を形成させ、誕生させるのは困難を伴う過酷な作業だ。たとえば、芸術の分野で言えば、映画にしても、文章にしても、絵画にしても、詩文にしても、アートはどれも産みの苦しみが存在するものだ。苦渋の選択を強いられ、常に心が折れそうな作業が次から次へと手元に舞い込み、何もかもを投げ出して、逃げ出して、心の平安を求めてしまうが、それでも、この世界の門戸を叩いてしまった以上の強い覚悟で骨折れる痛みに耐えながら、この世でたった一つしかない世界を築き上げる。ある者は、「産みの苦しみがない人生なんて、炭酸の抜けたメロンソーダと同じだ。」と言う。またある者は、「アートや芸術は苦しみの中でしか生まれないのか」と、世間に問う者もいる。何かを生み出すその過程の苦しみは、その人一人にしか理解できない。誰もその方本人ではないので、彼(彼女)が直面する苦悩の壁を深く理解できない。それでも、何かを生み出す行為こそが、社会と価値観を擦り合わせるいい機会だ。「産みの苦しみ」を克服するには、煩悩や束縛を捨て去り、自身の精神を自由にし、楽にさせ、迷いから離れる事を言う。仏教の教えである『法句経』という仏典の中には、「前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。」(※3)と言う考え方がある。あらゆる煩悩や迷い、束縛から開放された時、その時こそが「産みの苦しみ」から解き放つ瞬間なのかもしれない。映画『博士の綺奏曲』を制作したニコ・マンサーノ監督は、本作に登場する主人公と自身のアイデンティティについて聞かれ、こう話している。
マンサーノ監督:「この物語は、「Sexy Bicycle」というプロジェクトを持っていた友人のニカ・エリアと一緒に作った曲から生まれました。私たちはお互いを称賛しており、それが私たちが頻繁に一緒に仕事をする理由です。アルバムには、ハム音や一連のエフェクトなど、音階で野獣をどのように表現するかというサウンドのアイデアを考えました。映画学校の休暇中に映画を書くという目標を立てた時、ベネズエラのバンド「トゥリオ・チュエコス」で知られるラファエル・ジナーの2枚組アルバムを入手しました。そして、彼があのアルバムを作るのに7年も費やしたという事実に注意を引きました。それで、私はその創作プロセスについて少し考え始め、2017年に彼がベネズエラに住んでいたらどうなるだろうかと考え始めました。そうして、長編映画のアイデアをまとめた経緯があります。」(※3)と話す。本作が生まれた背景には、7年間の時間を要したアルバムとの出会いが、ニコ・マンサーノ監督の創作意欲に火を付けたのだろう。音楽にしろ、映画にしろ、芸術の世界は一つの作品を生み出すのに非常に多くの時間を費やす必要がある。何度も試行錯誤を繰り返し、時に失敗し、時に焦り、時に溜息を漏らしながら、自身が思う姿へと形作って行く。その過程で起きる出来事が、次に創作する際の創作時の糧となる。何度も失敗を経験し、何度も壁に直面し、何度も高い壁を乗り越えながら、一つの答えを見出して行く。
最後に、映画『博士の綺奏曲』は、経済危機により亡命者が続出した2016年当時のベネズエラを舞台に、混乱と貧困とが日常を蝕んでいくなかでも音楽産みの苦しみづくりを続ける男の姿を描いたドgをラマだが、ただそれだけでなく、創作過程の産みの苦しみを描いた作品と言っても過言では無い。一つの作品を生み出すのが、こんなにも苦しかったと今更ながらそう言えるが、これは実際にその人本人が経験てみないと、体の内から出せない答えがたくさん眠っている。芸術だけでなく、一つの企業や事業を生み出すのでさえ、生みの苦しみが付き纏う。何にでも、一番最初は生み出す事による苦痛や苦悩は伴うものだ。その苦しみ悶絶したその先に、誰もが見た事ない貴方だけの景色を目にすることができる。
大いなる生みの苦しみを経、志のために耐えろ
実業家:松下幸之助氏の言葉より
(※1)ベネズエラ危機の真相――破綻する国家と2人の大統領https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2019/ISQ201920_012.html#:~:text=%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%81%AF,%E7%94%9F%E7%94%A3%E7%B8%AE%E5%B0%8F%E3%82%92%E6%8B%9B%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82(2025年1月3日)
(※3)Nico Manzano, la música y el cine forman parte de un todohttps://elestimulo.com/cultura/cine-y-tv/2022-07-28/yo-y-las-bestias-nico-manzano-cine-venezolano/(2025年1月3日)