映画『ヒューマン・ポジション』自身の本当の「居場所」

映画『ヒューマン・ポジション』自身の本当の「居場所」

優しさに満ちたスローシネマ。映画『ヒューマン・ポジション』

©Vesterhavet 2022

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猫と共に暮らす生活。コーヒー片手にパソコンに向かい、趣味のアコースティック・ギターを弾き、壮観な田舎町の景色に囲まれ、一日の時の流れを感じながらも、心落ち着かせゆったりと暮らしたいものだ。でも、これは都会に住む人々の理想像に過ぎず、理想と現実のギャップは乖離するばかり。実際は朝早く起きて、その日一日の支度をバタバタ準備し、家族分の手作りのお弁当を用意できたと思ったら、早々に朝からの子どもの送り迎え。通勤通学の満員電車に乗って、昼は少ない時間で昼食を口に流し込む。午後からは、眠気と戦いながら、定刻の時間まで残った仕事を片付ける。時間通りに仕事が終わる時もあれば、残業で夜遅くまで会社に残る日もある。そして、朝と同じように退勤時間の満員電車に揺られながら、家路に着く。家では、小さな子ども達が騒がしくはしゃぎ、一日中喧騒の中にいるが、ただ心の癒しはこの小さな子ども達。親達は、家で待つお子のために今日も忙しない日々を過ごす。でも、私達はこの忙しい日々の中で何か大切な事を忘れてないだろうか?映画『ヒューマン・ポジション』は、病気の療養から復帰した新聞記者が、なにげない日常や社会とのつながりから心の居場所を見いだしていく姿を描いたノルウェー産のヒューマン・ドラマ。10人居れば、人の暮らしは10通りある。病気療養後、努力して社会復帰をしようとする者。自身の夢を叶える為、昼夜問わず、命を削りながら、過酷な日々に向き合う者。皆、自身の生き方は千差万別。それでも、人生に一度はスローライフを主体にした日々の暮らしに憧れる人は多くいるだろう。

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都会に暮らしていたら、一度ぐらいは田舎生活に憧れる人もいるだろう。たとえば、2018年から朝日放送テレビが制作する生活密着トークバラエティ番組「ポツンと一軒家」は、“日本全国大捜索!ポツンの数だけドラマがある”をコンセプトにし、日本各地の人里離れた場所に、なぜだかポツンと存在する一軒家を捜索。そこには、どんな人物が、どんな理由で暮らしているのか!?衛星写真だけを手がかりに、100通り以上の個人の生きた暮らしのドラマや歴史を浮き彫りにする。人里離れた山間部で、自給自足をしながら、今という時間を力強く生きる人々の人生の一瞬に密着する。足となる車、近隣住民との強いネットワーク、一人で笑って暮らす自給自足の忍耐さがないと、田舎暮らしはなかなかハードルが高い。とか言って、何万人が行き交う騒がしい喧騒の大都会で日々を生きるのもまた、時に煩わしさを感じて止まない。山間部の田舎暮らしでもなく、大都会のゴミゴミした都会暮らしでもなく、どこか港町でも山間の村でもいいから、一人本とブラックコーヒーを片手に、壮大な自然の風景をバックにレトロ風のデッキチェアに揺られながら、ゆっくり進む時の流れに身を任せたい。キラキラ光る水面の流れる音、木々の隙間から差し込む太陽の光と鳥達のさえずり。自然が奏でる壮大なオーケストラをBGMにし、その日優しく流れる行き交う時の狭間で、地方でしか経験できない田舎暮らしを満喫したいと思う人は多くいるだろう。なぜ、スローな田舎暮らしを憧れるのか?そこには、私達日本人が自身が生きている証と存在を証明するための「居場所」(※1)を探し求めているからではないだろうか?本来いるべき自身の居場所を見つける事によって、私達は自分の存在価値や役割を再確認でき、自身が社会に必要とされていると感じるからこそ、今という人生を前を向いて歩いて行けるのだろう。

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近年、都会から地方や田舎へと移住するU、Iターンする若者が増えている。単身、故郷へ帰る者。家族を連れて地方都市に移り住む者。その選択肢は、一人一人の人間によって多種多様に存在する。その理由も種々様々だ。たとえば、実家の家業を継ぐため。都会の暮らしに合わなかった。就職先がブラック企業だった。もしくは、職場の人間関係に疲れた。家庭を築いたが、小さな子どもをより自然の多い場所で伸び伸び育てたい。年配の方の場合は、定年退職後、第二の人生を意識して、都会で建てた家を売って、田舎暮らしに切り替え、そこを終の住処にしようと考える方。その目的意識や行動には、それぞれ違いはあるが、皆一貫して、地方暮らしへの憧れや郷愁的な想いを持って、移住先に引っ越しているのだろう。そして、特に子育て世代の夫婦や若者達が、田舎生活に思いを馳せて、移住した結果、彼らが体験するのは地域への溶け込みや交流。時に摩擦を起こしてしまう事もあるが、地域住民の輪の中に入って、地方を活性化させる力を身に付ける。それが今、国を上げて、全国で推奨されている地方再生、地域創生(※2)の足がかりとなるべく、若者たちの田舎暮らし、移住生活は注目されている。田舎でのスローライフ、シンプルライフは今後、ますます様々な場面で大いに活用される。療養する者、親の後を継ぐ者、心のざわめきを落ち着かせたい者、ただなんとなく、地方に興味を持つ者。都会の喧騒から離れて、郊外の持つ静寂とバランスの取れたシンメトリーの暮らしが人がどう在るべきかを再度教えてくれる。都会には都会の魅力があるように、地方には地方の魅力が静かな町全体に詰まっている。映画『ヒューマン・ポジション』を制作したアンダース・エンブレム監督は、本作が取り扱う移住問題について、こう話している。

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エンブレム監督:「ノルウェーで10年、あるいは20年も過ごした後に亡命希望者が送還されるというニュースをメディアで何度も目にしました。10年前の過失や絶望から生じた些細な欠陥で、いとも簡単に人々の人生を台無しにしてしまうなんて、信じがたいほど当惑しています。それから亡命申請のプロセスを調べ始めたのですが、すべてが信じられないほどわかりにくく、複雑だということが分かりました。まるで、その多くがかなり陰鬱なので、ここにいる私たちには理解しにくいように作られているかのようです。特に戦争などから逃げているときはそうです。だから、そのわかりにくい複雑さを表現したかったのです。アスタの人生における「主な出来事」と亡命希望者のケースを結びつけるのは難しかったのですが、不公平感に行き着きました。それは新しい視点を得て、社会を違った目で見ることです。だから彼女はその不公平感に共感し、それが彼女に価値あることをしているという感覚を与えているのだと思います。映画は彼女が以前の生活に戻ろうと奮闘する中で、間違いなくその点に焦点を当てています。私にとっては、それは単に新しい経験や芸術作品ができることの比喩です。それは新しい視点を与えてくれます。そしてそれはまた、たとえほんのわずかでも、人々をより優しくすることができます。」(※3)と話す。移住問題や移民問題は今、世界中が抱える問題であり、課題だ。本作の監督もまた、移民問題に対する疑念や欺瞞を払拭するには、新しい視点から物事を見聞きし、触れる事が大切と話す。それをまさに形として体現させているのが、本作だ。病気療養を通して、地方の港町で自身の居場所、また自分自身を見つけ出そうとする主人公の姿にこそ、現代における移民問題の投げかけを象徴しているようだ。

最後に、映画『ヒューマン・ポジション』は、病気の療養から復帰した新聞記者が、なにげない日常や社会とのつながりから心の居場所を見いだしていく姿を描いたノルウェー産のヒューマン・ドラマとして描かれている一方で、主人公の新聞記者が心の目で見つめる移民問題は、現代の社会問題をテーマしている。また、それだけでなく、主人公が人間が生きる上での役割や立場を模索する姿も同時に描かれているが、人間も動物も昆虫も皆同じで、自身がどこに存在しているのかという居場所を常に模索している。人々は自分自身を大切にする事を重要視し、孤独感や不安を解消し、仲間作りの場や出会いの場として利用でき、地域住民とのつながりを促進させ、また親子・高齢者の孤立を防止できる居場所を見つける事が人生で最も大事な一大イベントのようでもある。人々が、自身の本当の「居場所」を見つける事ができた時、その力は地方再生、地域創生の源へと変化するだろう。

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映画『ヒューマン・ポジション』は現在、全国で上映中。

(※1)心の健康を導く「居場所」とは? 阿比留先生と考える生きやすい社会https://www.waseda.jp/inst/weekly/news/2024/06/05/119468/(2024年10月28日)

(※2)再生が始まっている過疎地もあるのに…石破総理の「地方創生」がうまくいくとは思えない「残念な理由」https://gendai.media/articles/-/139074?page=1&imp=0(2024年10月28日)

(※3)Interview with Anders Emblemhttps://www.disapprovingswede.com/interview-with-anders-emblem/(2024年10月29日)

(※4)現代に生きる若者の「居場所」はどこにあるのか時代とともに変わりゆく「居場所」その意味を問うhttps://www.ritsumei.ac.jp/research/radiant/article/?id=122(2024年10月29日)