映画『エイン』『めぐる』「ごめんね」と一言

映画『エイン』『めぐる』「ごめんね」と一言

「エイン」とはミャンマー語で「家」のこと。映画『エイン』『めぐる』

©日本映画大学

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この2つの作品は、似ても似つかぬ2つの視点の物語である。在日ミャンマー人としての葛藤を描く『エイン』。1本の遅延電車で繰り広げられる人間模様の『めぐる』。まったく異なるストーリーが交差した時、どんな化学反応が起きるのか?心のホーム(故郷)を求める一人の青年が、行き着いたのは、人々が自身の存在価値を再定義し、他者との触れ合いを枯渇させたローカル電車の中。在日の子ども達(在日韓国・朝鮮人や、近年増加している外国ルーツの子ども)が直面する社会的課題は、教育、アイデンティティ、経済、制度的な障壁が複雑に絡み合っている。教育の面では、家庭内で使用される言語と学校の公用語の乖離により、授業内容の理解が難しい事がある。不就学や低進学率に陥る子どももおり、将来への不安や差別への懸念が高校や大学への進学を阻む事も少なくない。親が日本語を十分に話せない場合には、連絡や宿題のサポートが受けられず、教育格差が生まれやすい。アイデンティティや精神面では、学校や地域社会での差別や偏見、インターネット上の固定観念による精神的ダメージがある。日本語も母国語も年齢相応のレベルに達しない「ダブル・リミテッド」の状態は、自己表現や思考に支障をきたし、自己肯定感を低下させる。さらに、日本で生まれ育ちながらも、日本社会からもルーツのある国からも「よそ者」として扱われる事で、複雑な葛藤を抱える事が少なくない。心理学的には、このような状況は帰属意識の揺らぎや社会的不安、潜在的な孤独感の増幅に直結する。経済的・制度的には、親の不安定な雇用による貧困の連鎖、在留資格の不安定さによる就労制限や生活の制約、民族教育機関への公的支援の不足などが、子どもの生活や学びを阻んでいる。また、参政権の欠如や就職時の国籍条項など、社会的排除の状況も存在する。こうした課題に対して、日本語指導の充実や学習支援、多文化共生を基盤とした社会意識の変革が求められる。一方で、日常的な空間としての電車は、見知らぬ人々が偶然同じ時間と場所を共有する場である。多くの人が同じ時間帯に移動する事は、人生の線が一瞬交差する確率論的な必然である。混雑した車内や席を選ぶ心理など、物理的・心理的な接近が生まれ、出会いと通り過ぎるの間に物語が発生する。こうした偶然の重なりの中で、私達は他人に何か特別なものを見出し、一時的に繋がる。電車の中では、他者の視線や仕草、距離感が微細に交錯し、心理的な接触が生まれる。映画『エイン』は、ミャンマー生まれで6歳の時から日本で育った映像作家ティンダンが、自身の境遇をもとに、2006年に手がけた作品。異なる文化や言語の中で生きる家族の姿を通して、誰もが抱える“居場所を探す気持ち”を描く。映画『めぐる』は、2021年4月、クーデター後のミャンマーで取材中に、市民の抗議デモを支持したなどとして拘束され、約2年にわたり刑務所に収容されていた、日本育ちのミャンマー人映像作家ティンダンが、2020年に手がけた群像劇。それは単なる物理的な隣り合わせではなく、孤独感の緩和や自己肯定感の回復、社会的帰属意識の確認へと繋がる小さな体験。出会いは短く、通り過ぎて行く事も多いが、その瞬間に心は互いに触れ合い、日常の中で心のホーム(故郷)が立ち現れる瞬間がある。この先の章では、在日の子どもたちが直面する社会的課題と、電車という日常空間における他者との心理的体験という二つのテーマを、さらに深く掘り下げて行く。

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日常の些細な行動が他者の人生に影響を与える群像劇には、様々な繋がりがある。登場人物の選択や偶然の交錯は、社会の現実を映す鏡として機能する。特に、在日や外国ルーツの子どもたちが直面する困難を、物語の片隅に静かに浮かび上がらせている点が特徴である。作中では、母語と日本語の間で自己表現が制約される状況が描かれる。また、日本社会と家庭の文化の板挟みに置かれ、帰属意識が揺らぐ姿もある。これは現実の外国ルーツの子ども達の課題と重なる。学校や地域社会での無理解や偏見、制度的制約は、日常に短い安息しか与えない。観客はスクリーンの中で、登場人物の孤独や迷いに自然と共感する。ここで注目されるのが、認定NPO法人メタノイアの提唱する「5つのD」(※2)である。注意を逸らす(Distract)、助けを求める(Delegate)、記録する(Document)、後からフォローする(Delay)、毅然と伝える(Direct)。映画の中の偶然の会話や視線、ささやかな他者の介入は、この原理を映像化した場面として現れる。小さな行動が登場人物の未来をそっと変える瞬間だ。教育、経済、制度的制約も背景として描かれる。言語や学習の遅れ、家庭の経済的不安定、制度上の不利益が、登場人物の心理や行動に微妙な影を落とす。偶然の出会いや小さな介入は、こうした影響を一時的に和らげる。教育格差や社会的孤立の問題を象徴的に示す描写は、観客に現実への想像力を促す。実際、外国ルーツの子どもの約4割が学校で偏見を経験している調査(※3)もある。映画が描く物語は、こうした現実と重なるからこそ、観客に静かな衝撃を与える。日常の偶然や些細な行動は、制度や偏見に縛られた個人の生きやすさに影響を及ぼす。映画『エイン』は、偶然の物語ではない。群像劇を通して、教育、経済、アイデンティティ、制度的課題を象徴的に描き、差別や格差に立ち向かう「5つのD」の価値を示す。観客は、スクリーンの奥にある小さな希望や、日常の中のささやかな決断の力を感じ取るだろう。小さな行動や支援が未来を変える事を、映画は静かに、しかし確かに伝えている。私達は、日常の中で誰かの未来を少しでも変えることができるだろうか?ほんのわずかな選択や偶然が、思わぬ連鎖を生むかもしれない。次章では、まさに日常の偶然が交錯する「電車」という空間を舞台に、出会いとすれ違いの物語を見つめ直す。

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電車は、ただ人を運ぶ乗り物ではない(※4)。そこは日常と非日常が交わる場所であり、見知らぬ誰かと心がすれ違う、ほんの一瞬の物語が潜む空間だ。雨の朝、窓に落ちる雨粒を見つめながら車内に乗り込む。いつも同じ場所に立つあの人の姿が、目に入る。目が合った瞬間、胸の奥で小さな火花が弾け。長い間交わされなかった言葉が自然と生まれ、数分の会話が後に大切な関係のきっかけとなる。偶然は、日常の隙間にひそむ小さな奇跡だと感じる。電車の中で生まれる偶然は、しばしば小さな物語になる。新幹線の隣席で荷物を落とした見知らぬ人と笑い合った午後、大雪で列車が止まり、見知らぬ乗客同士が誕生日を祝うように手を振り合う光景。夕暮れのホームでオレンジ色の光が窓に反射し、通勤客のシルエットが揺れる中、偶然再会した友人と目を合わせる。どれもほんの一瞬の出来事だが、確かな温もりとして心に残り続ける。電車は縁を結び、断つ場所にもなる。都市部の満員電車では、視線を合わせずスマートフォンに没頭する人がほとんどで、事故や遅延、トラブルは既存の関係を断ち切るきっかけになる事もある。物理的な距離は近くても、心の距離は遠い事もある。それでも、偶然と断絶が交錯する場所(※5)でこそ、縁の有り難さを実感できるのかもしれない。窓の向こうには、未来が静かに流れている。どの列車に乗るかで出会いも景色も変わる。旅先で偶然出会った人との会話が、その後の考え方や日々の過ごし方をそっと変えることもある。雨に濡れた街路灯や夕暮れに染まるビルの輪郭が映る車窓は、ただの移動ではなく、人生の変化や成長を映す鏡のよう。雨粒が窓を滑り落ち、混雑の中で微かに聞こえる会話。夕暮れのホームの柔らかな光。すべてが、知らない誰かとの物語を運び、心の未来をそっと変えて行く。電車は目的地へ運ぶだけでなく、出会いと縁の美しさを教えてくれる存在(※6)だ。その瞬間の温もり、ふとした視線、偶然の重なり。それらは静かに、しかし確かに、私達の記憶に刻まれ、日常の彩りとなる。小さな縁が、いつか人生の支えになる事もある。未来の電車は、さらに進化する。AIによる自動運転や混雑緩和、環境に優しい移動手段として、私達の生活は少しずつ便利になって行くだろう。だが、どれだけ技術が進んでも、車内で生まれる小さな出会いの奇跡は、機械では再現できない美しさがある。偶然が生む縁は、日常の中の小さなドラマであり、人生を彩る確かな光だ。映画『エイン』『めぐる』を制作したティンダン監督は、自身が寄稿したコメントにて、両作品についてこう話す。

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ティンダン監督:「「めぐる」は特別な出来事を描いた作品ではありません。誰かの日常の中で、静かに起きている「変化」や「循環」を見つめた映画です。人は、失ったものや過去に囚われながらも、出会いや時間によって少しずつ前に進んでいく。その過程はとても小さく、時に見過ごされてしまいますが、確かに「めぐって」います。映画学校時代の仲間が、制作を快く引き受けてくれて完成しました。映画館という空間で、この物語が観る人それぞれの記憶や感情と重なり、新しい何かが静かに動き出すきっかけになれば嬉しいです。「エイン」は、異なる文化や言語の中で生きる家族の物語です。6歳で来日して日本で育った僕が感じた経験を通して描いた作品ですがこの映画で描きたかったのは、「外国人の物語」ではなく、誰もが抱える“居場所を探す気持ち”そのものです。子どもたちの視点を通して見えてくる世界は、残酷でありながらも、とても正直です。笑われること、傷つくこと、そしてそれでも誰かと繋がろうとすること。この映画が、観る人自身の子どもの頃の記憶や、今そばにいる誰かを思い出す時間になればと思っています。2006年当時、劇場公開のお話もありましたが様々な事情で叶いませんでした。20年の時を経て公開できるこの機会に是非観て頂きたいです。」(※7)と話す。両作品について、監督は「限定された地域や場所の物語ではなく、誰かの居場所を描く物語である」と語っている。人は誰しも、自分に相応しい居場所を求めて生きている。本当に所属できる場所はどこにあるのか。「ここに居てもいい」と思える自分でいられているだろうか。居場所は、自分の力で探すものでもあるが、誰かと協力しながら少しずつ作り上げていくものである。ふと立ち止まり、自分の居場所を確かめる時間が、誰にでもある。相容れない時、他者との心を隔たりを感じるが、一人でも心を通わせられる相手が現れれば、その放浪の日々は自然と落ち着いていくのかもしれない。その日が、いつ訪れるかは分からない。ただ、この作品が一つの羅針盤となり、皆が前を向き、自分らしく歩み続ける手助けになることを願わずに居られない。

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最後に、映画『エイン』は、ミャンマー生まれで6歳の時から日本で育った映像作家ティンダンが、自身の境遇をもとに、2006年に手がけた作品。異なる文化や言語の中で生きる家族の姿を通して、誰もが抱える“居場所を探す気持ち”を描く。映画『めぐる』は、2021年4月、クーデター後のミャンマーで取材中に、市民の抗議デモを支持したなどとして拘束され、約2年にわたり刑務所に収容されていた、日本育ちのミャンマー人映像作家ティンダンが、2020年に手がけた群像劇。一見すると、この2作品のテーマが「居場所探し」や「群像劇」と別々のようにも見える。しかし表面的な要素だけでは語れない、全編を通して確かに現れる共通の深さがある。言葉では捉えきれない何かが心の奥底が広がっている事に、気づくはずだ。そこに見えて来るのは、人と人、他者と他者を結ぶ目には見えない「糸」(※8)。それこそが、俗に言う「縁」だ。たとえ舞台も登場人物も違っても、心の糸で結ばれた瞬間、触れ合い、寄り添う事で生まれる小さな共鳴。それこそが、この2作品が内包する共通のテーマであり、物語の奥底で私達にそっと問いかけてくるものだ。その糸は、静かに互いの心に寄り添い、触れ合う事で共鳴し、微かな震えを生む。ほんの一瞬の視線、囁かれた言葉、偶然の出会い。それらが糸に光を灯し、私達を思いもよらぬ方向へ導く。糸の連なりは重なり、絡まり、見えない輪郭となり私達の物語を優しく紡いでくれる。そして最後に残るのは、触れた事のない誰かの存在がそっとあなたの心を満たす温かさになる。その波紋は胸の奥で静かに広がり、やがて自分自身の心までも深く、確かに包み込んでくれる。私達が映画の中で出会うミャンマー人の少年の苦しみや、周囲の無関心さに自分自身が気付かされた時、心から、一言、「ごめんね」(※9)と伝えたくなるだろう。

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映画『エイン』『めぐる』は、3月6日(土)より公開予定。

(※1)届かない学びの支援 —— 外国ルーツの子ども達を阻む“見えない壁”https://kidsdoor.net/column/staff/20250925.html(2026年3月4日)

(※2)〈緊急発信〉子どもたちを差別から守る考え方・寄稿文:「命に順位はつけられない」—分断ではなく、連帯を育てるためにhttps://metanoia.or.jp/news/info/2508report_withness.html#:~:text=%E8%AA%B0%E3%81%8B%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%81%8C%E5%82%B7%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%AB%E5%B1%85%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%81%9F%E6%99%82%E3%81%AB%E3%82%82%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88%E6%96%B9%E3%82%92%E5%BF%9C%E7%94%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%20*%20%E3%83%BB%E6%B3%A8%E6%84%8F%E3%82%92%E9%80%B8%E3%82%89%E3%81%99%EF%BC%88Distract%EF%BC%89%20*%20%E3%83%BB%E5%8A%A9%E3%81%91%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%EF%BC%88Delegate%EF%BC%89%20*%20%E3%83%BB%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%88Document%EF%BC%89%20*%20%E3%83%BB%E5%BE%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%88Delay%EF%BC%89%20*%20%E3%83%BB%E7%9B%B4%E6%8E%A5%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%8B%EF%BC%88Direct%EF%BC%89(2026年3月4日)

(※3)児童の4割が外国ルーツ、どうすれば「共生」できるのか 「違うのが当たり前」大阪・西成の小学校の挑戦、日本語教室でお互いに「知ってみよう」https://www.47news.jp/13531781.html(2026年3月4日)

(※4)鉄道が拓く、持続可能で豊かな社会への新ルートhttps://tabi-labo.com/312009/worldtrend-future-rails(2026年3月4日)

(※5)日本で唯一! 鉄道線と路面電車の直角平面交差 < 伊予鉄道大手町駅前のダイヤモンドクロッシング / 愛媛県松山市 >https://www.kotobus-express.jp/column/2018/10/post-73.html(2026年3月4日)

(※6)深い縁で結ばれる鉄道と八百万の神さま。鉄道に乗って日本各地に宿る神さま175か所を巡礼する『鉄道とご縁の神さま巡礼』を発売https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000006929.000005875.html(2026年3月4日)

(※7)日本育ちのミャンマー人映像作家・ティンダンの「めぐる」「エイン」同時上映https://natalie.mu/eiga/news/654378(2026年3月4日)

(※8)未来を結ぶ赤い糸──アクサとともに描く、日仏のインクルーシブな対話https://www.vogue.co.jp/special-feature/2025-06/03/axa(2026年3月5日)

(※9)過去を思い出して後悔するのは、心を守るための防御反応 精神科医Tomy氏が教える、自責に苦しまずに生きるコツhttps://logmi.jp/main/skillup/325669#goog_rewarded(2026年3月5日)