あなたは世界の光。映画『満月、世界』
「私達は今、ここにいる。」大人は、10代の少年少女達の心の慟哭は聞こえない。日々の慌ただしさにかまけて、子どもとの向き合い方を忘れてしまっている。子ども達は、必死に自身の存在証明を何かから見つけ出そうとしている。それは、本か、自己表現か、親友とのおしゃべりか。学生たち本人によって、様々だ。それでも、大人達は子どもの心の声に耳を傾けようとしない。「僕は…、私は…」。この声が、貴方の耳に届いていますか?貴方の心に届いていますか?多事多端な人生、激動する日々の中、うっかりとできてない事もあるだろうが、それを言い訳にして、疎かにしてはいけない事もある。心から子ども達の声を聞こうとしていますか?ちゃんと意思疎通を図ろうとしていますか?心での対話、楽しんでいますか?大人達の一つ一つの行動が、子ども達の居場所を無くさせ、萎縮させ、果ては家出を促している家庭環境について、あなた自身がどう思うかだ。子どもは、大人を当にし、頼りにしている。自身の世界の中の大人が親しかいない環境の中、人生のあらゆるものに期待する。にも関わらず、大人達の誤った一つ一つの行動が、子どもの想いを幻滅させる。映画『満月、世界』は、通り過ぎていく日常のなかで小説を書いたり音楽に没頭したりしながら自分の居場所を探す中学生を描く「満月(みつき)」と、きつ音のある中学生と夢を諦めかけたミュージシャンの日々が交差する「世界」の2作品で構成。子どもの取り巻く環境に対して、少しでも目を耳を傾けて欲しいと願うばかりだ。
10代前半の子ども達を取り巻く環境は、時代と共に変動している。変わり行く価値観の中、いつの子ども達も自身の居場所を探し求めている。何になりたい?何をしたい?何者でもない自分という存在に対し、常に疑問を投げる。その葛藤は年代によって様々だが、20年単位で区切った時、何が見えて来るだろうか?たとえば、80年代を過ごした10代の頃の学生達の環境は、どうだったのか?現在の4、50代の方々が過ごした80年代の日本の教育現場は、非常に荒れていた事実は、定石だろう。警察のお世話になった非行少年が、戦後最も多かったのは1983年前後。(※1)。暴力の歴史を垣間見れる時代が、80年代だ。では、私達が過ごした2000年初期は、どうだろうか?私達の世代はミレニアル世代と呼ばれ、具体的には1980年以降、2000年前後までに生まれた世代を指し、現在38歳以下の若者。いわゆる「ゆとり世代」。生まれた時にはすでに、ネットが普及していた“デジタルネイティブ”世代。良くも悪くも「未来を良くしよう、変えていこう」という価値観が弱い(※2)。そして、今の世代はZ世代と呼ばれ、SNSネイティブの世代。スマホやSNSを日常的に使いこなすせる。タイパ(タイムパフォーマンス)重視の効率主義。多様性を重んじ、自分とは異なる人物や考え方に対しても肯定的な意見を持つ。ワーク・ライフ・バランスを重視している(※3)。あれから40年、時代の価値観は大きく様変わりした。それでも、この40年の間に変わってないものもある。
再度、この40年の歩みの中で何が変化したのか考えたい。10代の子ども達を取り巻く「吃音」を持つ子の環境は、どう変わったのか?ここに興味深い記述がある。吃音当事者であり言葉を生業にしているライター・近藤雄生さんの言葉だ。「吃音当事者がどんな困難を抱え、どのように生きているのか。どうすればこの苦しさを広く知ってもらえるのか。そんな問いを持ち、書いていった書籍『吃音 伝えられないもどかしさ』がある。同書の取材を始めた13年ごろ、吃音についての周知は今とはかなり違っていた。吃音が新聞に記事として取り上げられた回数の変遷を見てみると、1998年から2017年までの20年間の毎日新聞では、古い時期から5年ごとに、17回、23回、29回、72回となっている。この期間にだんだんと周知されていったことが想像できるが、とりわけ16年は、35回と多かった。この年の前後で、吃音の認知度や社会の受け止め方が変化したように感じている。」(※4)とあるように、2016年前後から吃音症に対する世間の見方がガラッと変わった。それまでは、差別的用語「どもり」という言葉が宙を飛び交い、その言葉によって心を傷付けられた当事者の子どもが数多くいた。国内外問わず、多くの著名人もまた、吃音症に悩まされて来た。近年、吃音という病が、発達障害の一部(※5)ではないかと言われており、その関係性や類似性が研究されている。今後、吃音症に悩む子どもや当事者達の未来に希望の光が刺さん事を願うばかりだ。映画『満月、世界』を制作した塚田万理奈監督は、あるインタビューにてイギリスのドキュメンタリー映画『The UP series』の話題から(本作は、7才の子どもたちを14人集めて、日常を捉えたドキュメンタリー。そして7年後に撮影した『14 UP』『21 UP』『28 UP』『35 UP』最新版は『63 UP』、1964年に7才だった子どもたちが、63才に。60年かけて制作された連続ドキュメンタリー)、本作のフィクション性について聞かれ、こう話している。
塚田監督:「フィクションを勉強してきたということもありますし、撮りたいと思うものは、もう過ぎてしまった自分の人生の過去であったり、悔しい思いが忘れられなくて、それを撮りたいと思ったりするので、改めてフィクションとして作るしかないんです。あと、フィクションの良いところって、これはフィクションです、と言うことによって守れるものがあると思うんです。子どもたちをドキュメンタリーで追うと、本人過ぎて、守れないものがある気がします。なので、フィクションですということで子どもたちを守れる部分があると思って、作っているということはあります。」(※6)とあるように、子ども達の世界を守りたかったと話す。子どもには、子どもの世界があり、大人には大人の世界がある。ドキュメンタリー映画『The UP series』でも、子ども達の日常から未来、そして当事者の現在にカメラがフォーカスしているが、そのアプローチから浮かび上がるものは、子ども達の輝ける未来だ。10年かけて撮影するプロジェクト「刻-TOKI-」でも一貫して、子ども達の未来を保証できるものを作って欲しいと願う。
最後に、映画『満月、世界』は、通り過ぎていく日常のなかで小説を書いたり音楽に没頭したりしながら自分の居場所を探す中学生を描く「満月(みつき)」と、きつ音のある中学生と夢を諦めかけたミュージシャンの日々が交差する「世界」の2作品で構成になっているが、この両作の共通点は子ども達の居場所とは何かと問い掛けている点だ。近年、10代の若者達の家出や自殺(※7)が目立つ。子ども達が今、求めているのは自身の居場所ではないだろうか?それでも、親は子どもの帰りを待っている。2年前、ある日突然行方不明になった岡山県の中学生のご両親(※8)は、今もご子息の帰りを待っている。大人は、少なからず、子どもの健康を気にしている。それが、親というものだ。40年経とうが、60年経とうが、変わらないもの。それは、子ども達自身が追い求める本当の自分自身だろう。「私達は今、ここにいる。」この少年少女達の心の叫びが、心の慟哭が聞こえますか?昨日、一国の主である新首相が、腕を組んで目を閉じて寝ていたという報道(※9)が、日本中を駆け巡った。この人物には、今の子ども達の心の叫びが聞こえているのだろうか?目を閉じて現実逃避する前に、子ども達の言葉に耳を傾けて欲しい。子ども達の未来を保証できる日本でありたい。と、強く願っている。今もどこかで、子ども達の慟哭が響いている。
映画『満月、世界』は現在、公開中。
(※1)消えた非行少年の謎https://seikatsusoken.jp/kodomo20/3-4/(2024年11月12日)
(※3)Z世代とは?何歳からZなのか、X・Y世代との比較や特徴について簡単に解説https://www.shanon.co.jp/blog/entry/generation_z/(2024年11月13日)
(※4)マリリン・モンロー、エド・シーランも当事者 吃音の苦しみと理解https://www.asahi.com/sp/articles/ASS6M215BS6MULLI001M.html(2024年11月13日)
(※5)吃音症とは?発達障害との関連性や症状・起こりやすい状況・治療方法など詳しく解説
https://ryoikubiz.com/contents/5/132(2024年11月13日)
(※6)塚田万理奈『満月、世界』インタヴューhttp://www.outsideintokyo.jp/j/interview/tsukadamarina/02.html(2024年11月13日)
(※7)思春期の家出①〈親を殺すか、自分が家を出るか〉しかないところまで追いつめられた子どもたち 弁護士・坪井節子先生INTERVIEWhttps://storyweb.jp/lifestyle/284412/(2024年11月13日)
(※8)行方不明の中学生・梶谷恭暉さん 2年間帰りを待ち続ける母「好きなマヨからが傷んでしまうが 早く帰っといで」【岡山】https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/1548680?display=1(2024年11月13日)
(※9)石破首相が首相指名選挙中に居眠りか 風邪気味で薬服用https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA11BHA0R11C24A1000000/(2024年11月13日)