映画『水深ゼロメートルから』水深ゼロメートルの彼方から

映画『水深ゼロメートルから』水深ゼロメートルの彼方から

2024年5月13日

プールの底から本当の「わたし」が始まる映画『水深ゼロメートルから』

©「水深ゼロメートルから」製作委員会

©「水深ゼロメートルから」製作委員会

「ア、ヤットサー!ア、ヤットヤット!ア、ヤットサー!ア、ヤットヤット!ア、ヤットサー!ア、ヤットヤット!踊る阿呆にみる阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々!」と、徳島県徳島市の高校から全国に響きそうな徳島名物の阿波踊りの一説が、まるで10代の少年少女のこの時特有の青春の焦燥感と共に聞こえて来そうだ。私達大人も、10代の頃は彼女たちと同じような心の焦りや成長への階段、大人への反発など、学生という小さなコミュニティの中で様々な感情を織り交ぜながら、過ごしていたのではないだろうか?私自身も教師や親に反発し、学校を抜け出して友達に会いに行き、年間行事には参加せず(振り返ってみたら、高校生にも関わらず、少し子どもじみた行動を取っていたと反省)、常に中学時代の友達と共に行動していた。あの時の時間は永遠で、あの日の遊びがずっと続くと思っていたミドルティーンからハイティーンの思い出は、本当に永遠そのものだ。いつから、あの時一緒に遊んだ友達とは疎遠となり、会わなくなったのだろうか?あの時期にできた友達は、恐らく、あの時特別にできた唯一無二の存在であったのだろう。それに気付くまでに、私は何十年も時間を費やした。あの10代の頃に知り合えた人々は、それは友だけでなく、教師も親以外の周囲の大人や同年代の学生も皆含め、尊く貴重な存在であったと、時が過ぎて、過去を振り返った時に初めて気付かされる。あの時の大人達は、ただただ煙たい存在で、私の中にある世界に必要としない人物であったが、今私が作り上げた世界観へと導いてくれていたのは、10代の頃に経験したすべてだ。それほど、学生時代に出会った人、経験した事、感じた事が、今の私に繋がっていると信じたい。映画『水深ゼロメートルから』は、水泳の補講としてプールの清掃をする羽目になった女子生徒と練習しに来た水泳部の女子生徒と彼女の水泳部の先輩女子達が、真夏の水のないプールで繰り広げるひと夏の出来事を活写した青春映画。女子生徒としての立場も価値観も方向性も違う10代が一様に集まり、それぞれが抱える10代特有の壁を前に焦り、怒り、恋焦がれる姿を瑞々しく描き切る。彼女らの姿を自身の10代の頃の姿と被せて見た時、あの日感じた焦燥感や心のヒリヒリ感が手に取るように理解でき、私達も同様、彼女らと同じような時間を共有していたのだろう。大人には分からない学生特有の世界観は、あの日あの時あの一瞬にしか味わえない不同不二の輝きを放つ。

©「水深ゼロメートルから」製作委員会

高校時代の補習は、よくある話だ。私自身も体育と数学で毎年、毎学期、補講に呼ばれて、夏休みの最初の数日をよく無駄にした記憶が残っているが、ある意味、これもまたいい思い出だ。半袖シャツから伸びる白い腕に夏の日差しが照りつけて、開け放たれた校舎の窓から夏の涼しい風が入り込んで来る記憶が、頭の断片で残っている補講時間の瞬間。補講の時間を舞台にした映画はさほど多くはないが、たとえば、80年代にヒットを飛ばしたアメリカ映画の『ブレックファスト・クラブ』を彷彿とさせる。この作品の物語は、学校の懲罰登校で集まった5人の生徒、スポーツマン、秀才、不良、お嬢さま、不思議ちゃん達が集まり、最初は関わりのなかった生徒達が、互いへの不信感を露呈させながら、学校や家庭への不満を話し合う姿を通して、その時だけの関係性を構築させる様子を描く。高校時代特有の鬱屈した感情がぶつかり合いながらも、互いを認めようとする若者の姿が青春映画という言葉にピッタリ合う名作となっている。本作『水深ゼロメートルから』は、日本の高校演劇のシナリオから生まれた作品としては、前作『アルプススタンドのはしの方』と制作アプローチは同じだが、映画『ブレックファスト・クラブ』のベース部分を踏襲している趣きも窺い知れる。近年、日本の映画業界は、商業も自主も挙って、青春映画を制作している傾向があると見ている。商業映画で言えば、コミック原作を主体にした学園モノ、初恋もの、そして青春映画が連発されて来た(ここ数年は、グッと制作本数が体感として減った気がする)。その反面、自主映画の青春映画はオリジナル脚本の元、独特の物語が作品を輝かせている。その流れを汲んだのは、映画『アルプススタンドのはしの方』と思われがちですが、本作の配給担当を担っている映画会社SPOTTED PRODUCTIONSが、随分前から仕掛けている青春映画の動向を感じさせる。2009年の映画『SR サイタマノラッパー』シリーズがその片鱗を思わせるが、より本格的に始動したのは2016年の公開映画『脱脱脱脱17』や『14の夜』『黒い暴動❤』を、今の青春映画の公開の流れを最初に作り上げた動きを知る事ができる。続く、翌年の『花に嵐』や『少女邂逅』、『アイスと雨音』。また、『無限ファンデーション』『アストラル・アブノーマル鈴木さん』『ワンダーウォール 劇場版』など、本作『水深ゼロメートルから』のような青春作品を打ち出して来た映画会社SPOTTED PRODUCTIONSは、今のこの青春映画の流れを上手に汲み取り、時代の潮流に合わせて、同意義の作品を世に放っている。この一連の流れを、私は商業映画と双璧となす形として「自主的青春映画」と呼称するようにしている。今後も、この青春映画の動きは暫く、続いて行くであろうと、私は踏んでいる。人によって、「青春」というイメージは大きく違って来るが、学生時代にしか味わえない補講の経験もまた、当時は非常に面倒くさい習慣だったとしても、大人になった今、あれもまた一種の青春時代の一断片として位置付ける事ができるだろう。

©「水深ゼロメートルから」製作委員会

焦燥感という言葉を辞書で調べてみると、「異常に落ち着かないという感覚や、張り詰めたまたは緊張した感覚。焦りや緊張感を生じさせる理由が、明確に分からない事も暫しある。また、焦燥感によって、何かに集中するのが難しくなる」というのが、焦燥感の全体の意味だ。この感覚は時に、成人した後にも時と場合によってあ味わう感覚でもあるが、この感情が顕著に表出されるのが、恐らく10代半ばの数年間という短い期間だろう。高校3年間は、短くもあり長くも感じた私自身は、早くこの時間が終わればいいのにと願って、高校中退も考えた程だ(結局、卒業は無事できたが、高校に通う意味や卒業する意味を疑問に思っていた期間でもある)。「高校時代特有の焦燥感」について調べてみると、紋切り型にうつ病やストレス性の感情として近年は捉えられているが、果たして、本当にそうだろうか?この頃に感じる焦りの感情は、単なるうつ病で片付けられる問題なのだろうか?この点は、精神医学が出すある側面の答えとしては、非常に疑問視してしまいそうだ。大人が抱える焦燥感が職場や家庭でのストレス性の感情だとしても、学生や子ども達が抱えるそれとは、また違った意味合いが含まれるだろう。「うつ病」や「心の病」という言葉や診断で片付けるのではなく、より深淵な部分で感じている感情を理解し、寄り添う必要があるのでは?少し古いデータとなるが、1998年に中央教育審議会が発表した「新しい時代を拓く心を育てるために」-次世代を育てる心を失う危機- (中央教育審議会(中間報告))(※1) には、子ども達の心を育てる事こそが、次の未来の次の世代の心の在り方を問い直す方法として、中間報告ではあるものの、議論がなされている。子ども達や学生の焦燥感を十把一絡げに心の病気という見方をせずに、まずはその子一人一人の心の成長を共に見守り、その在り方を子ども達の世界から大人たちの世界へと、全世代の壁をも超越して、討論する時間を持つ事が、今を生きる子ども達にとって重要な事だ。子どもらが持つ素直な心と真っ直ぐ想いは、必ず子ども達自身の世界をより良いものにするだろう。映画『水深ゼロメートルから』を制作した山下敦弘監督は、あるインタビューにて「彼女達は、補習をきっかけに一歩を踏み出しているのでは?」という質問に対して、こう答えている。

山下監督:「僕が2005年に撮った『リンダ リンダ リンダ』は高校三年生で最後の文化祭というちょっと特別な時間。この作品はまだ高校二年生。彼女たちは特別な一日と思っていないだろうし、普段つるまないメンバーが集められた偶然な一日。中途半端ですが、むしろ、それが俺にはいいなと思えました。彼女たちにとって特別だったとか、すごく成長したとか、そういうことはあんまり考えていません。」(※2)と話す。この物語における「補習」は、彼女ら女子高生にとって、人生のほんの一瞬の出来事だ。補習で集まる前の日々、補習が終わって散り散りになるその後、偶然、この日に集まったメンバーは、この一瞬にしか出会わない関係なのかもしれない。この「補習」が終わった後は、また元の生活に戻り、彼女達は再び交わる事はないかもしれない。それでも偶然、一緒に集まったこの一瞬の出会いは永劫であり、刹那だ。二度と掬えない一握の砂のようなかけがえのない時間は、高校3年間という期間にしか味わえない。焦燥感を抱えようとも、苛立ちを抱えようとも、この時間は二度と戻らない転瞬だ。

©「水深ゼロメートルから」製作委員会

最後に、映画『水深ゼロメートルから』は、補習の為に水の張っていない校舎のプールに呼ばれた生徒と水泳部の生徒が、補習という短時間で交流や親交を深める姿を描いた青春映画だ。高校生達が抱える特有の感情は、この高校時代の数年間にしか味わえない貴重な経験だ。水のないプールが意味するのは、社会の経験を知らない女子高生達の心の中を示し、水が満タンに満たされる程に、彼女達の感情が大人として満たされる。大人への階段を一歩前進しようとするこの時間こそが、プールに水を張る時のように、彼女らの心が満たされる時なのかもしれない。そして、プールサイドにそっと、耳を傾けて欲しい。すると、水深ゼロメートルの彼方から、太鼓の音色と共に徐々に聞こえて来るだろう。「踊る阿呆にみる阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々!ア、ヤットサー!ア、ヤットヤット!ア、ヤットサー!ア、ヤットヤット!ア、ヤットサー!ア、ヤットヤット!」

©「水深ゼロメートルから」製作委員会

映画『水深ゼロメートルから』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)「新しい時代を拓く心を育てるために」-次世代を育てる心を失う危機- (中央教育審議会(中間報告)) https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/980402.htm#01(2024年5月12日)

(※2)『水深ゼロメートルから』山下敦弘監督インタビュー/“今の自分の演出のベストを出した”https://screenonline.jp/_ct/17697170(2024年5月13日)