奏でた音色は、旅を続けるドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』
フジコが奏でるピアノの旋律は、日本のどのピアニストと比べても別格だ。91歳のホキ徳田、103歳の室井摩耶子、88歳の舘野泉など、同年代の現役ピアニスト達は大勢いる。それぞれが、それぞれの違うフィールドで美しいピアノの音色を奏でているが、やはり、フジ子が奏でるピアノの音色には、彼女しか出せない音が詰まっている。フジコが、今まで生きて来た経験や感情が、一つ一つの音、音階、リズム、五線譜の中に迸るように踊り狂う。彼女は「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい。」と少し鋭く敵を作りそうな際どい発言をしているが、この彼女自身が自分だけにしか出せない音を意識して、ピアノや音楽に向き合いながら、生きて来たのだろう。「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」と発言しているように、彼女の指先に宿るピアニストの旋律には人々の心に余韻として何かを突き付ける。ドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』は、2024年4月に92歳でこの世を去った世界的ピアニスト、フジコ・ヘミングの日々を見つめたクラシック音楽のドキュメンタリー。現代に生きる私達日本人に対して、クラシック音楽はどんな立ち位置の音楽ジャンルになりうるのだろうか?フジ子の音色を通して、再度クラシックの美しさの原点に立ち返りたい、立ち返って欲しいと願うばかりだ。
2024年4月、フジコ・ヘミングこと本名ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコは、鬼籍に入った。享年92歳。彼女の生い立ちは、数奇に満ちた人生奇譚。1931年に生を受けたフジ子は、幼少期の頃から神童として注目を浴びていた。スウェーデン人で画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミングという父親とピアニストの大月投網子という母親の元に生まれた彼女。小学生の頃からピアニストのレオニード・クロイツァーに師事し、その才能は頭角を現し始めていた。ピアニストを目指した初期の頃は、渡海がなかなか叶わず、苦労した一面もあったが、難民として国立ベルリン音楽大学に留学し、その後、プロの音楽家として活躍し始める。日本で彼女の名が広まったのは、母の為に帰国した1990年代からだ。その後、21世紀に突入した2000年以降から死去するの晩年の活躍は、周知の事実だ。彼女が指先で奏でるピアノの旋律は、ピアニストとしては非常に独特ではあるが、他と比べて群を抜いて異彩を放つ存在。彼女の人生を音楽の専門用語で例えるとするなら、それはビバーチェ、クレッシェンド、アジタート、アパッシオナート、ブリッランテ、カンタービレ、コン・アニマ、コン・フォーコ、エスプレッシーヴォ、グランディオーソ、グラツィオーソ、マエストーソ、スピリトーゾと、様々な音楽用語に変換できる程、多彩な音楽家だ。魂を込め、壮大であり、燃え尽きるような情熱的。彼女には、そんな言葉が似合う。
フジコが弾くクラシックの数々の名曲は、これからの未来でも輝き続ける力を持っている。クラシックそのものが、何百年という時を経て、引き継がれているが、その継承をバックアップしているのが、現代に生きる名音楽家達だ。たとえば、日本の女性ピアニストで言えば、上原彩子、内田光子、小山実稚恵、長富彩、仲道郁代、花房晴美、松下奈緒らがいる。また海外の女性ピアニストには、アナスタシア・プフマン、アリス=紗良・オット、オルガ・イェグノヴァ、カティア・プニアティシヴィリ、ユジャ・ワンなどがいる。また日本の男性ピアニストには、牛田智大、金子三勇士、清塚信也、近藤嘉宏、反田恭平、髙木竜馬、藤田真央、本田聖嗣、松本和将、横山幸雄ら。海外の男性ピアニストには、アンドラーシュ・シフ、グレゴリー・ソコロフ、クリスティアン・ツィマーマン、ダニエル・バレンボイム、マウリツィオ・ポリーニ、マレイ・ペライア、ラン・ランなどがいるが、今挙げた音楽家は全体の1%にも満たない。それでも、彼らは自身の演奏技術で名曲クラシックを大切に継承している。たとえば、ショパンの「マズルカ」「エチュード 第12番 革命のエチュード」「ノクターン(第2番)」「別れの曲」「幻想ポロネーズ」ベートーヴェンの「エリーゼのために」ドビュッシー「月の光」サティの「ジムノペディ」シューベルトの「野ばら」ドヴォルザークの「ユーモレスク」バダジェフスカの「乙女の祈り」(劇中曲でないのもあり)は100年以上前に作曲されたにも関わらず、姿かたちを変え、表現を変え、音色の強弱を変え、多くのピアニスト達が今を生きる音楽愛好家や一般の人々に100年以上前に生きた作曲家の想いを鍵盤や指先で代弁する。クラシックの名曲は、プロアマ素人問わず、音楽家によって、次の世代、次の世代へと継承されて行く。ドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』を制作した小松莊一良監督は、あるインタビューにて本作のフジコ・ヘミングウェイさんやご自身のの死生観について、こう話す。
小松監督:「これはまったく偶然なのですが、今作では、フジコさんにとって非常に身近な存在の死に触れています。その時も、彼女は「ふ〜ん」とどこかクール。それは、フジコさんが「その人の魂は心の中で生きている」「いつか必ず天国で会える」と信じているからなんです。こうした、フジコさん独特の死生観にずっと興味を持っていたので、映画の中でもそのあたりも描いています。今回の出来事も、ここ数年、僕もその影響を受けて来たので、フジコさんが旅立ったことも同じ感覚を覚えましたし、今でも僕の心の中でフジコさんは生きていると感じています。どこか外国の街でツアー中なんだろうなって感覚で。」(※1)と話す。たとえ肉体が滅びても、私達にとってのフジコ・ヘミングウェイさんの思い出が消える事はない。彼女が生きた証は、ピアノの音色の中に刻まれている。それは、フジコ・ヘミングウェイに関わらず、家族の誰かが亡くなった時。昔、飼っていた家族同然のペットを思い出した時。故人の写真を見て、ふと。思い出の品に触れて、ふと。思い出す瞬間がある時、きっとそれが生きている人一人一人の心や記憶の中で故人が、生き続けているのであろう。肉体が消えて無くなっても、今回のように、映画を観れば、CDを再生すれば、頭の中でフジコ・ヘミングウェイの音楽が再生し、耳を癒してくれるのは、彼女自身がまだ生きている証拠なのだ。今でも一人一人の記憶の中で、彼女はコンサートやライブ、リサイタル、ツアーを行っているのだろう。
最後に、ドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』は、2024年4月に92歳でこの世を去った世界的ピアニスト、フジコ・ヘミングの日々を見つめたクラシック音楽のドキュメンタリー映画だが、彼女は生前「技術的に私よりうまい人はたくさんいる。でも、私の音は私にしか出せない」と話すように、生涯に渡った自身の信念を貫き通した。また、「それでも私は、永遠に、永遠に生きて永遠に、弾くことは出来るわよ」と言い遺したように、今でも彼女は私達の記憶の中で未来永劫、彼女の音色は生き続けるのだろう。そして現在、フジコ・ヘミングが生きた証は、次の世代の若いピアニスト達に引き継がれている。彼女は生き続ける。彼ら若手音楽家の指先に…。
ドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』は現在、大ヒット公開中。
(※1)映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』小松莊一良監督インタビュー フジコ・ヘミングは「ときめく」ピアニスト! 傍らで感じた魅力、変化、死生観…https://ontomo-mag.com/article/interview/s-komatsu-fujiko-202410/(2024年12月14日)