神が殺らねば俺が殺る映画『モンキーマン』
「猿の惑星」ならぬ「猿の復讐」は、恐ろしい。これは、私達人類の未来に対する何かしらのアンチテーゼの現れかもしれない。近い将来、猿がヒトを襲い、動物達が支配する世界が確立してしまう可能性もゼロではない。それは限りなくゼロに近いが、それでも、可能性はゼロではない。親を殺され、故郷の村も焼かれ、孤児となった少年の復讐劇が私達に与える影響力を考えた時、上記のような論考もハッタリではないだろう。弱者が権力に刃向かい、今まで均整を取れていた上下関係は事もあろうに、音を立てていとも簡単に崩れ去る。復讐が憎悪を呼び、憎しみが悲しみに変わり、絡み合った復讐の連鎖を断ち切る事は非常に難しい。すべてを奪われる弱者の立場の少年は、まるで権力を持つ人間によって、生息する権利を奪われるこの地球上の動植物のようでもある。ベールに包まれた巨大勢力に立ち向かう姿には、強さと同時に、どこか悲哀を感じて止まない。勝者となるか、敗者となるか。勝利をこの手中に収めるか、心から敗北を味わうか。それは、今後の行動に掛かっている。正しい選択をするか、誤った選択をするか。それはすべて、あなた自身の意識の中にある。辛酸を舐め、悔しさの雪辱を味わった者にしか理解し得ない復讐心が、己の気丈を奮い立たせる。必ず、弱者が強者を打ち負かす日が訪れ、強者は権力を失い、弱者に行く道を譲らなければならない日が訪れるだろう。幼い頃に復讐を誓った復讐心に燃えるその信念こそが、自身の生きる糧へと変貌を遂げる。映画『モンキーマン』は、幼少期に受けた屈辱的な体験によって、復讐でしか生きられなくなった青年の悲哀の暴力の物語だ。あらすじは、幼い頃に故郷の村を焼かれ、母も殺されて孤児となったキッド。どん底の人生を歩んできた彼は、現在は闇のファイトクラブで猿のマスクを被って「モンキーマン」と名乗り、殴られ屋として生計を立てていた。そんなある日、キッドはかつて自分から全てを奪った者たちのアジトに潜入する方法を見つける。長年にわたって押し殺してきた怒りをついに爆発させた彼は、復讐の化身「モンキーマン」となって壮絶な戦いに身を投じていく姿を描く。この作品が今を生きる私達に問うているのは、単なる弱者が強者に復讐する物語ではなく、映画『モンキーマン』を通して、私達人類に現代の地球上における生態ピラミッドの頂点に立つ人類に対して、舳艫千里で語り継がられる世界の窮状について、今一度、歩みを止めて思量する猶予を与えているのかもしれない。
本作『モンキーマン』が題材とするものは、暴力と復讐に満ちた憎悪の世界だ。少年は憎しみに打ちひしがれ、目に見えぬ巨大権力にすべてを奪い去られる。僅かに残った生きる希望や自身の中の尊厳を大事に胸に抱えて生きている。それらを象徴とするものが、裏社会に毅然とあるファイトクラブの存在であり、リングの上の闘志、復讐の為だけにあるファイトマネーそのものだ。これら物質的な存在が、「モンキーマン」自身を奮起させ、強化させる。このファイトクラブが、裏社会に本当に存在するのか、また、闘う者達にどのような役割を担っているのか、すべては未知数だろう。ファイトクラブという存在が、私達人間にどう作用し、影響を与え、何をもたらす存在であるべきなのだろうか?実際、日本には裏社会の産物ではなく、純粋な格闘技育成の為の「全日本リアルファイト空手道選手権大会」が存在している。日本だけに留まらず、世界各国のあらゆる国や地域でファイトクラブは行われている。たとえば、アメリカでは、バージニア州で月に一度、週末に開催されるファイトクラブ(※1)。何か人間関係でトラブルを抱えた二人が、6分間のリングファイトで積年の恨みを晴らし、ある種の殴り合いによるセラピー療法とされている。また、イギリスのマンチェスター(※2)では、若者達の間でリアルなファイトクラブが行われていた時期がある。10年ほど前の記事にとなるので、現在、存続しているから不明ではあるが、一時、イギリスの若者達の間でファイトクラブが盛んに行われていた。タイには、大掛かりなファイトクラブ(※3)と路地裏で夜な夜な開催される身近なファイトクラブ(※4)が、常に開催されているが、そのどちらも非常に人気があると言うから驚きだ。同じアジア圏の中国(※5)でも、イギリス同様に若者達の間でアングラなファイトクラブが人気を得ている。最後に、紹介するのがロシアだ。ロシアでも頻繁にファイトクラブが行われ、血と汗を流し、あざを作り、拳と拳を打ち交わす。参加者は、インタビューにてこう話す。「このクラブの目的は、自分の内に信念を見出し、殴られる恐怖を克服する…明らかに心理学に基づく手法でした。「戦士」たちは、屈辱を受け、自身の道徳的弱点に直面し、肉体が限界に達したときに「内なる敵」を倒し、最終的には自分を信じるようになれる、と言われていました。(※6)」ファイトクラブは、単なる暴力を推奨する裏社会の違法なスポーツではなく(間違いなくグレーではあるが)、殴られる恐怖を克服し、屈辱を受け、自身の道徳的弱点に直面し、「内なる敵」を倒し、最終的には自分を信じるようになれるかどうかの、自身への心理戦を試す競技だ。ただ、この飽くなき争いの向こうには、違法な賭博で飛び交う大金がプレイヤー達の懐へと包まれる。このファイトマネー欲しさに、参加者達は後を絶えないが、流血しながらも闘って得た大金こそ、殴者としての証なのだろう。
本作『モンキーマン』の由来は、何者かに故郷と家族を奪われた少年が、ファイトクラブのリングキャラクターとして選んだ猿のマスクを付けて、復讐を挑む姿から得られたリングネーム「モンキーマン」だ。このモンキーマンが、復讐の炎に燃えて、暴力の限りを尽くす姿を猛然と描いている。か弱き少年は弱者として振る舞うのではなく、成長し青年となった彼は巨大権力に拳で闘いに挑む。これは、小さき弱き者が大きく強き者への精神的肉体的反乱を期す。映画『猿の惑星』でも見られた猿達が人間に対して反乱を起こすような暗喩的で意味深なメッセージが、本作に鎮座する。もしかしたら、本作は私達人類に対して、試しの試練を与え、気付かせようとしているのかもしれない。たった一人の青年の叛乱が、すべてのあらゆる事象を巻き込み、見えない敵に挑んで行く。彼の姿は、モンキーマンを通して、さながら野生動物達が私達人類に向けた革命的反乱に思えてならない。ヒトと猿の関係は、霊長類というグループに属し、各々の遺伝子は99%同じであり、様々な共通点が非常に似通っていると言われているが、なぜ両者は別々の道を歩む事になったのだろうか?「人間(ヒト)はサルから進化した」と言われているように、700万年~600万年前にチンパンジーと枝分かれし進化を始めた、と考えられている(※7)。これは、霊長類における進化論では非常に有名な話ではあるが、では現在におけるヒトと猿の関係性は、どうだろうか?嘘かホントか見当もつかないが、都市伝説のように実(まこと)しやかに囁かれているのが、猿を人間の知能に匹敵する研究が世界各地で行われている。人間だけに存在する遺伝子「ARHGAP11B」と呼ばれる別名「知恵の実」遺伝子は、ヒトとサルサルを唯一分ける遺伝子と言われている。この遺伝子をサルの受精卵に移植すれば、サルの知能が向上する可能性があると、研究は進められて来た。そして、2020年、サルの受精卵にヒト遺伝子を移植する事に成功する。すると、サルの胎児と思えないほど、脳が進化を始め、ヒトに近い生物の胎児が誕生しそうになったと言うが、研究員達はこの研究結果に驚きを隠せず、結果として、研究を中断させる。彼らは触れてはいけない「神の領域」に辿り着いたのかもしれないが、もしかしたら、近い将来、「サルがヒトを超える日」が訪れるかもしれない(※8)。その時、私達人間に残された選択肢には、何が残っていると言うのだろうか?ただ、科学的な研究だけではなく、既に意志を持たない本能だけで生きている野生動物達の反乱(※9)が、私達の日常を脅かそうとしているが、これは過去半世紀の間に私達人間が彼ら野生動物達に行って来た仕打ちに対するしっぺ返しの他ならない。これは動物だけに留まらず、世界各地で発生する自然災害もまた、一つに挙げられる。今、地球全体や野生動物達が、この地球上に生きる全人類に怒りの矛先を向けている。本作は、これらに対するアンチテーゼの様相を持つのであろう。地球や野生動物が自然破壊を続けて来た人間に怒りを向けているように、故郷や家族を奪われた少年の怒りや憎しみをメタファーとして表現していると解釈しても遜色ないだろう。本作『モンキーマン』を制作したデブ・パテル監督は、あるコメントを残している。
“I wanted to create a story about the underdogs challenging the untouchable status quo” – Dev Patel(※11)
「私は、弱者が手に負えない現状に挑戦する物語を作りたかったのです」 – デヴ・パテル
時に、弱者は手に負えない大きな壁に直面しながらも、それを一つずつ乗り越える勇気が必要だ。今、世界規模においてあらゆる問題が噴出する中、私達はそれら一つ一つと立ち向かい、乗り越える勇気とパワーが必要だ。上述したように、本作は世界で起きている事象に対するアンチテーゼではあるが、その一方で、困難に直面した時に打ち克つ重要性も説いていると捉えても、また面白いだろう。
最後に、映画『モンキーマン』は幼少期に受けた屈辱的な体験によって、復讐でしか生きられなくなった青年の悲哀の暴力の物語だ。あらすじは、幼い頃に故郷の村を焼かれ、母も殺されて孤児となったキッド。どん底の人生を歩んできた彼は、現在は闇のファイトクラブで猿のマスクを被って「モンキーマン」と名乗り、殴られ屋として生計を立てていた。そんなある日、キッドはかつて自分から全てを奪った者たちのアジトに潜入する方法を見つける。長年にわたって押し殺してきた怒りをついに爆発させた彼は、復讐の化身「モンキーマン」となって壮絶な戦いに身を投じていく姿を描いているが、現在、私達人間は生態ピラミッドにおける頂点に立つ生物として、この地球上に存在する。そのピラミッドの下層に行けば行くほど、立場の弱い生き物達が存在する。そんな彼らが、ある時、人類に対して反乱を起こしたら、どうなるだろうか?一つの可能性として、私達人間の立場が危ぶまられる可能性もある。両者が、この地球上で争うのではなく、共に協力し合いながら、存在する事が互いの為になるのではないだろうか?
映画『モンキーマン』は現在、上映中。
(※1)“殴り合い”というセラピー効果 積年の恨みも6分で解消! リアル「ファイトクラブ」が熱いhttps://courrier.jp/news/archives/180344/(2024年10月3日)
(※2)リアル「ファイトクラブ」がマンチェスターの若者の間でブームに 素手じゃなく武器!https://news.livedoor.com/lite/article_detail/8148986/(2024年10月3日)
(※3)映画『ファイト・クラブ』さながらの雰囲気に興奮 バンコク地下格闘技https://www.afpbb.com/articles/-/3404688?cx_amp=all&act=all&_gl=1%2a1d4fp7p%2a_ga%2aaUEyRFo3aE9NRnYyanExWjF3aVZ5Y3YzNHNWdFZjMTRGVHhZZFhDRGVJRXptZzZONHdKcmdSSnpMemZGWHZxZg..%2a_ga_E7KXCKSWLG%2aMTcyNzkzOTg5Mi42LjEuMTcyNzkzOTg5My4wLjAuMA..(2024年10月3日)
(※4)タイのストリートで行われている格闘技大会「ファイトクラブ タイランド」https://thaion.net/fight-club-thailand(2024年10月3日)
(※5)拳をぶつけて自己を解放する若者たち 中国人を熱狂させる「廃墟ファイトクラブ」に潜入https://courrier.jp/news/archives/120793/(2024年10月3日)
(※6)モスクワに実在した狂気のリアル・ファイト・クラブhttps://www.vice.com/ja/article/russian-fight-club/(2024年10月3日)
(※7)人間はいつ、サルから分かれたの?https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0043/(2024年10月3日)
(※8)ヒトとサルの遺伝子の違いは1%! 「知恵の実」 遺伝子の移植でサルが…!? やりすぎ都市伝説https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2021/024537.html(2024年10月3日)
(※9)日本の自然:破壊と再生の半世紀 野生動物の反乱(下)https://www.nippon.com/ja/features/c03915/(2024年10月3日)
(※10)世界の自然災害の状況https://www.bousai.go.jp/kokusai/kyoryoku/world.html(2024年10月3日)
(※11)Monkey Man: Dev Patel tackles Indian corruption in violent action-thrillerhttps://www.bbc.com/culture/article/20240405-monkey-man-dev-patel-jordan-peele-interview(2024年10月3日)