映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』居残りに乾杯

映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』居残りに乾杯

2024年6月25日

孤独な魂が寄り添う映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』

Seacia Pavao / © 2023 FOCUS FEATURES LLC.

Seacia Pavao / © 2023 FOCUS FEATURES LLC.

本作『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は、1970年の年末から1971年の年明けまでの数週間の物語を描いているが、クリスマスホリデーを寓話化した本作は、この時期を舞台にしている訳ではない。先に言明しておくが、物語は一切、描いてはいないが、実は、この年を越えた二人の男の友情物語は、29年後の世紀末となった1999年の年末から2000年の年明けまでの物語が、裏設定にあるのでは無いだろうか、と私は思う。一切、外側の話はシナリオ上、敢えて、表現されてはいないが、この1970年頃の高校時代に経験したクリスマス寓話は、2000年に再会したであろう老年の爺さんと中年に差し掛かった初老の男性の思い出話や回想録として描かれている事を、誰も気付きやしないだろう。「あの頃」のボクらだけが経験できた唯一無二のクリスマ休暇は、他の教職員、学友、掃除婦達には経験し得なかった3人だけの大切な思い出だ。置いてけぼりにされるのが、本当につらい事だと共感できるが、今回のこの「置いてけぼり」は人と人との関係性や温もり、絆を再確認させ、温め直す寒空の12月を意味している。1970年のクリスマス休暇に起きた奇跡は、サンタにさえも起こす事ができない、大人の為の上質な奇跡だ。もし再会できる恩師がいるなら、あなたはどの年代の教師と会いたいですか?私は、自身の人生を変えたであろう11歳、小学5年生の頃の女性の担任教師に一度でいいから、お会いしたいと今でも願っている。教師とは、時に自身の人生のゆく道に対して、少しばかりの影響を与えてくれる、そんな存在になりうる時もあるだろう。そこには、教師と生徒という関係性を飛び越えて、互いが一人の人としてぶつかり合い、ケンカし合い、そして理解し合える関係を築いて行く事ができるのではないかと強く信じたい。映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は、1970年代のマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校で起きた奇跡以上の奇跡の物語であるが、本当の奇跡とは29年後に約束を果たせた再会であり、この永遠に続くであろう3人の友情につい乾杯したくなるものだ。生真面目で皮肉屋で学生や同僚からも嫌われている教師ポール、母親が再婚したために休暇の間も寄宿舎に居残ることになった学生アンガス、寄宿舎の食堂の料理長として学生たちの面倒を見る一方で、自分の息子をベトナム戦争で亡くしたメアリーの少しおかしな組み合わせの人物達が、年に一度しか訪れないクリスマスホリデーに互いの存在価値への重要性を再確認する為に歩み寄ろうと聖なる数週間を過ごす姿を描く。今年のクリスマス・シーズン(今年に限らず、来年以降も毎年)、日本でもほんの少し、人と人とが互いに優しくできる、そんなシーズンになってくれればと、強く願うばかりだ。

Seacia Pavao / © 2023 FOCUS FEATURES LLC.

本作の舞台となっている時代背景は、1970年から1971年のほんの数週間だが、この時代のアメリカや世界はどんな時代だったのだろうか?まず、年末の12月31日、世界的ロックバンドであったイギリスの出身のビートルズの解散が決まった(本格的な解散は、1975年であった)。また、アメリカでは、1960年に起きた公民権運動(※1)が、米国社会に深く浸透して行った時代。主な問題となったのは、人種隔離(あるいは公民権の合法性)ではなく、平等と権利の実現。1970年代以降は、都市部に人種の均衡を達成させる為の強制バス通学や「アファーマティブ・アクション(差別是正措置)」(※2)が導入された時代。同時期の70年代においては、女性解放運動が巻き起こった。これは、公民権運動に触発されたものであったと言われている。運動に参加していたのは、主に中流階級の人々であった。1970年以降、ラテン・アメリカ系米国人の政治参加が加速した時代でもあった。また、先住民による運動も盛んになった。第3の世界民族主義の発展と公民権運動の前進を目の当たりにしたアメリカ先住民が、自らの権利を、より積極的に要求するようにもなった時代だ。新しい世代の指導者たちが、残された部族の土地を保護するため、あるいは違法な手段で奪われた土地を取り戻すために、訴訟を起こす一大ムーブメントに突入した時代。60年代から70年代にかけて、アメリカは公民権運動を発端に、あらゆるマイノリティや少数民族が、自らの権利を声高に訴え始めた最初期の時代、70年代のアメリカは民族の「自立」が加速化された背景がある。それが、最も色濃く現れたのが、1980年の映画『クレイマー、クレイマー』ではないだろうか?他に、対文化(カウンターカルチャー)、環境保護運動、ケネディの登場によるリベラリズムの復活、冷戦、宇宙計画、大統領の暗殺事件、リンドン・ジョンソンの大統領就任、そして、ベトナム戦争が起きた時代。それが、1970年代のアメリカの暗黒時代であり、混乱した時代であった。この70年代に田舎の寄宿学校でであった不思議な組み合わせの3人は、この時代に何を想い、何を見つめていたのだろうか?人種差別、公民権運動、女性解放運動、カウンターカルチャー、ベトナム戦争に冷戦、宇宙計画は人々に夢と希望を与えた。もう二度と、私達はこの時代を取り戻す事はできないだろう。過ぎ去りし70年代の遠い日の思い出は、時を超えて1999年の29年後の日々へと受け継がれて行く。時代と共に、この30年という長い期間を生きた2人の男の友情は、未来永劫、永遠に続くだろう。

Seacia Pavao / © 2023 FOCUS FEATURES LLC.

それから、29年後の1999年の年末。彼らは、シカゴの片隅か、あの美術館で偶然にもバッタリ再会しているのかもしれない。それは、連絡を取り合って示し合わしたのか、または本当に偶々、同じ場所に居合わせたのか分からないが、彼らが生きた1990年代のアメリカは、どんな時代だったのだろうか?1990年代のアメリカでは、湾岸戦争が起き、冷戦が終結し、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任し、前任では元大物俳優のロナルド・レーガンが大統領に就任し(世間では、俳優が政治家になれる時代と呼び)、当時のアメリカは過渡期の社会と呼ばれるようにもなった(※3)。また、90年代には新しい大統領であるクリントン氏が初当選し、新しいインターネット政策が開始され、ネット普及の幕開けとなった。1990年代の米国経済において、パソコンの発展が裏で経済成長を支えるようにもなった。大統領のクリントン氏は、自身の政治的公約の中に「21世紀への架け」(※4)を掲げ、1990年代は2000年代に向けての準備が行われた社会的背景がある。でも、その間にもテロの暗示で脅かされた。そして、2000年大統領選挙と、テロとの戦いがクローズアップされるようになる時代がすぐそこまで来ていた。続く、21世紀に突入した2000年代初頭は、9.11という世界同時多発テロが起き、何百万人の犠牲者を出した世界的テロは、後にアフガニスタン戦争へと駒を進め、最悪な結果を招いて行く。1970年、1980年(ここではすっ飛ばしましたが)、1990年と激動の時代を潜り抜けたアメリカ社会。それは、アメリカという国だけでなく、その国に暮らす多くの国民が国と共に激動の時代を経験し、共に戦い、共に涙もし、それでも共に前を向いて歩を進めた数十年間だ。この数十年間には、この物語の初老のおじさんと孤独な少年だった2人が、あらゆる時代の荒波を乗り越えて、友情という絆を大事にし、温め、守り抜いたに違いない。私たちは、その奇跡の瞬間瞬間を一つ一つ垣間見、共に彼らと体験し、1970年の年末という短い期間にも関わらず、より壮大な29年間という旅を経験するのであろう。あなたは、この映画の物語がどの時代の、どの場面のクリスマス寓話として受け止める事ができましたか?ある時は70年代、またある時は90年代と色を変え、顔を変え、私達に時代の幅を感じさせる2人の人生の美しさや儚さを想像してしまいそうではありませんか?映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を制作したアクレサンダー・ペイン監督は、あるインタビューにて自身が過ごした70年代について、こう話している。

Payne:“1970s is very special time for American movies.That’s the period in which I was a movie-crazy teenager… in the movies every week, seeing new movies and old movies whenever I could, And to a certain degree in my own career, I’ve been trying to make those movies… I’m still just interested in making human stories that could conceivably have happened in real life, not just in movies.”(※5)

Seacia Pavao / © 2023 FOCUS FEATURES LLC.

ペイン監督:「1970年代は、アメリカ映画にとって非常に特別な時代だった。それは私が映画に夢中なティーンエイジャーだった時期です…毎週映画館に通い、時間があれば新作や旧作を観ていました。そして、ある程度、私自身のキャリアの中で、そうした映画を作ろうとしてきました…今でも、映画だけでなく、現実に起こり得たかもしれない人間の物語を作ることに興味があります。」と、自身が過ごした70年代のアメリカ社会やヒットした映画たちが、後の監督人生に大きな影響を及ぼし、映画制作へと繋がっている。どの人にも、自身が生まれ育った年代への強い思い入れは確かにあるだろうが、あの時、あの時代を生きて来れた事は、非常に恵まれていると、どの年代でも言える事であろう。

最後に、映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は、1970年代のマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校でクリスマス休暇を過ごす教師、生徒、掃除婦の物語を寓話的に描いたヒューマン・ドラマであるが、本当のメインどころは70年代ではないと判断している。作品では一切、描かれていないが、彼らがどこかで再会するであろう29年後の1999年に思いを馳せてみて欲しい。再会した彼らが、まず何をするだろうか?ハグをして、再会を喜んで、そして、1970年の「あの頃」を懐かしんで、思い出話に花が咲くだろう。そして、物語は1970年のあの日に回顧録としてタイムスリップして行く。再会を果たした2人ではあるが、それは偶然街で出会ったのか、約束をして待ち合わせ場所の美術館で顔を合わしたのか、もしくはかつての学び舎である今は亡き寄宿学校の跡地で、20世紀から21世紀と時代が大きく変化するその瞬間に、会っていた可能性も示唆して止まない。それでも、ただ一つ言えることは、1970年のクリスマスの友情は、奇跡という名の本物だ。そして、今でもどこかの寄宿学校で黒人の料理人は、今年のホールドオーバーズ(居残り組)とクリスマスを過ごしているかもしれない。居残りに乾杯。

Seacia Pavao / © 2023 FOCUS FEATURES LLC.

映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)米国の歴史の概要 – 変動の時代:1960~1980年https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3492/(2024年6月25日)

(※2)アファーマティブアクションとは?【意味を簡単に】日本の例https://www.kaonavi.jp/dictionary/affirmative-action/(2024年6月25日)

(※3)米国の歴史の概要 – 新しい保守主義と新たな 世界秩序https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3493/(2024年6月25日)

(※4)21 架橋の概要 – 21 架橋https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3494/(2024年6月25日)

(※5)Director Alexander Payne talks about ‘The Holdovers,’ Paul Giamatti and shooting in New Englandhttps://www.wgbh.org/culture/2023-11-02/director-alexander-payne-talks-about-the-holdovers-paul-giamatti-and-shooting-in-new-england(2024年6月25日)