自らの道を信じ突き進む主人公を描く映画『エストニアの聖なるカンフーマスター』
超超絶オフビートなエストニア映画が、爆誕した。コメディでもなく、アクションでもない。ブラックジョークとも言えない、何とも不思議な感覚を与え、70年代に流行したアメリカン・ニューシネマのようなヒッピー映画を漂わせる。ドラッグ中毒や70年代のカウンターカルチャーをテーマにした映画『白昼の幻想』や映画『砂丘』『モア』『Chappaqua』『Pick-up』のような(“のような”なので丸っきりこの年代の作品と同一にはしていないが)、一言で言えば佇まいがあると言いたいだけで、これらの作品と風貌が似ていると言われれば、そうでもない。ただ、麻薬を摂取した時のような没入感や脱力感が、作品から醸し出していると言えばいいだろうか。またカンフーの場面は、台湾の子供向けコメディホラーアクション『幽幻道士』。オフビートを基調にした映画監督で言えば、ジム・ジャームッシュやカウリスマキ兄弟、ウェス・アンダーソンやノア・バームバックだが、これら監督作品とは全く違う方向性の本作。あらゆる素材や情報を取り除き、削りに削った笑いの壺は、万人をも驚愕させる。映画『エストニアの聖なるカンフーマスター』は、1970年代のソ連占領下のエストニア。国境警備の任にあたる若者ラファエルは、あることを機に禁じられた音楽であるヘヴィメタルとカンフーに夢中になる物語。本作は、他作とは比較できない古今無双の異彩を放ったオフビートなアクション・コメディに仕上がっている。
作品の舞台となっているのはエストニアだが、日本人にとって、エストニアは馴染みのない国ではないだろうか?そもそも、産まれてから今まで、耳にも口にもした事がないだろう?エストニアが一体、どこの地域に位置しているか知らない日本人がほとんどだろう。また国の歴史、風土、文化、政治、経済において、日本国内に情報がほとんど入って来ていないのが現状だ。正式名は、エストニア共和国。北ヨーロッパに位置し、フィンランドの隣国、バルト海東側を囲み、ラトビア、リトアニアと並び、バルト三国の一つと言われている。国としての歴史は古くからあるが、近年では第二次世界大戦後の1940年代から1990年のおよそ50年間、ソ連の占領下に置かれていた。ソ連崩壊、ラトビア、リトアニアを含めたバルト三国として独立宣言を発布し、現在に至る。映画は、1970年代を舞台にしており、ちょうどソ連占領時代の軍事圧力に悩まされていた自由のない時代。当時のエストニアの国民が、自らの自由を求めた時代を背景に、抑圧されたカンフーやヘヴィ・メタルに傾倒して行く若者を描いた点、政治や軍からの圧力を跳ね除けようとした力強さをオフビートで描いている。エストニアと日本の関係は、1921年1月に日本がエストニアの独立を正式に承認してから、2021年に日エストニア友好100周年を迎えている。100年の関係性の中で、日本とエストニアが文化的良好関係を結び、より多くのエストニア映画が、日本に紹介されればと願う。
本作は、エストニアでカンフーマスターを目指す革ジャン姿のエストニア人青年を描いた作品だが、現在、エストニアにてカンフーが文化的にどれほど浸透しているのか、未知数ではないだろうか?少し古い記事になるが、エストニアで中国武術やカンフーの教室を地元の子ども達の為に開いてい団体がいる。そのホームページ「HIINA VÕITLUSKUNSTID Teretulemast Wushu harrastajate lehele」(※1)によれば、2015年、2016年頃の記事の中でエストニアで活躍する少年少女の姿を確認する事ができる。残念ながら、更新は2020年で止まっている為、情報は少し古くなるが、それでも、21世紀において、エストニアでカンフーや中国武術が浸透していると伺える。たとえば、2016年にはタリンジュニアおよびエストニアオープン武術選手権大会(タリンは、エストニアの首都)が開催されていた。同年には、バルト海武術選手権大会が開かれており、前年の2015年にはエストニア現地のウーシュカス選手が欧州選手権から6個のメダルを獲得した記事も掲載されており、エストニアにおける後進や人材の育成が行われていると認識できる。日本語でエストニアのカンフー事情を調べても、ヒットするのは本作の情報ばかり。また、エストニア語で調べても情報が少なく、エストニアにおける中国武術の現状が掴めない為、返答があるが未知数だが、上記の中国武術の団体にエストニアにおけるカンフーの歴史や人気について、問い合わせをした。映画そのものは、事実に基づいた物語と紹介されているが、現実社会でのエストニアのカンフー事情をより深く知るには、現地の方の言葉が必要だ。ただただ返信をもらえる事を祈るばかりだ。映画『エストニアの聖なるカンフーマスター』を制作したライナル・サルネット監督は、あるインタビューにて本作制作について、こう話している。
「母が一度私に『なぜ穏やかで普通の映画を作らないの?』と聞いてきた。そして私は撮影を始める前にいつも『今度は普通の映画を作ろう』と考えていた。しかし今のところ成功していない。私は修道院の指導者に『ブラック・サバスをこのような文脈で使っても大丈夫か?』と尋ねました。すると彼は『もちろん、オジー(オズボーン)は信者だ』と答えました。私の映画でラファエルが言うように、『ソ連ではクールなものはすべて禁止されている』のです。私はカンフーのファンでもなければ、教会にも行かなかったので、今までしたことのないことをしました。それは人生を変える瞬間でもありました。」(※2)と話す。サルネット監督は、本作制作にあたり調べ物をするの中で「『この世のものではない』という本で、そこには若くして亡くなったロシアの正教の修道士2人の物語が収められていた。」とこのエピソードに出会い、結果的に、本作が生まれた。実話として紹介されているのは、この一面もあるのだろう。普通の映画を制作しようとして、なかなか風雨の映画を作れないサルネット監督だが、このカルト的作品には思想がある。反体制に打ち勝とうとする70年代の青年の姿が描かれているが、現実に、この時代の若者達は抑圧された青春時代を過ごしたのだろう。軍事的政治的圧力に押さえ付けられながらも、屈せずに自身の青春を謳歌した事実が、記述されていなくても、口伝えの伝承として今も「あの時のエストニアは…」と語り継がれているのかもしれない。
最後に、映画『エストニアの聖なるカンフーマスター』は、1970年代のソ連占領下のエストニア。国境警備の任にあたる若者ラファエルは、あることを機に禁じられた音楽であるヘヴィメタルとカンフーに夢中になる物語だが、70年代のエストニアはソ連の支配下にあった。「ソ連では宗教とカンフーは禁じられ、秘密裏に実践されていた。若者にとってそれらは禁断の果実のようなもので、誘惑すると同時に体制に反抗する手段も提供していた。」と記述されるように、禁止されていたカンフーを楽しむのが、当時の若者達の反体制の表れであった。抑圧の中で「本当の自分」を見失いそうになりながら、本作のタイトルにあるように、若者達は「カンフーマスター」を目指したのだろう。今を生きる日本の若い世代もまた、70年代のエストニアに生きた若者が軍事圧力に耐えて、各々の好きな事で〇〇マスターを目指したように、当時と現在における社会の環境は違えど、各々が得意とする〇〇マスターを目指して欲しいと願う。
映画『エストニアの聖なるカンフーマスター』は現在、全国で公開中。
(※1)HIINA VÕITLUSKUNSTID
Teretulemast Wushu harrastajate lehelehttps://kungfu.ee/(2024年12月7日)
(※2)A Kung Fu Comedy About Orthodox Monks Proves Estonia Is Home to Europe’s Most Peculiar Cinematic Storytellinghttps://www.indiewire.com/features/interviews/rainer-sarnet-the-invisible-fight-estonia-cinema-1234956368/(2024年12月7日)