映画『ボストン1947』今日もどこかで走り続けている

映画『ボストン1947』今日もどこかで走り続けている

2024年10月9日

あの日、止まった時間を動かすために映画『ボストン1947』

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走って、走って、走り続ける。何のために走り続けるのか?夢のため?自分のため?人のため?それとも、祖国のため?他国に統治されていた時代から解放されて、民族として自由を得た3人の韓国人マラソン選手ソン・ギジョン、ナム・スンニョン、ソ・ユンボク。複雑な歴史の変換の中、彼らは自身の祖国のためにマラソンを通して立ち上がる。1936年のベルリンオリンピックから1947年のボストンオリンピックへ。ベルリンの時に開催された時は、韓国人でありながら、日本の統治国家にされていた為、強制的に日本名、日本代表として出場を余儀なくされ、メダルを獲得したものの、それは日本の手柄に。それから月日が流れ、第二次世界大戦後、日本の支配から難を逃れた韓国人のマラソン選手は、祖国の名誉の為にボストンオリンピックへの出場を決意する。ベルリンでは悔し涙を流したソン・ギジョンとナム・スンニョンは、新人のマラソン選手ソ・ユンボクにすべての想いを託し、マラソンチームを組む。それは、韓国人としてのアイデンティティを賭けた大きな一歩であった。日本人の立場から見て、100年近く前の出来事であっても、心苦しくも痛くも感じる。どこの国にも戦争がなく、植民地がなく、皆平等の権利が与えられる世界を望む。オリンピックというスポーツの祭典のもう一つの顔は、平和への祭典だ。スポーツを通して、真っ赤な血の代わりに爽やかな汗を流し、共に闘いながら、選手達が切磋琢磨する。今年2024年は、オリンピック開催年(※1)であった。選び抜かれた各国のエリートスポーツ選手が、スポーツマンとして挑む最高の晴れ舞台。選手達は、自身の夢の為、祖国の国民の喜びの為、そして祖国への名誉と忠誠心の為、正々堂々と闘い抜く。その姿には、誰もが感動を禁じ得ず、また選手一人一人の背景には数え切れない程の感動とドラマが詰まっている。それは、本作『ボストン1947』が取り上げる3人の韓国人選手の人生とドラマにも帰着する。ベルリンからボストンのおよそ10年間は、彼らが泥水を啜って闘い続けた証の年月だ。映画『ボストン1947』は、1947年のボストンマラソンに出場した若手のマラソン選手と彼を支えたベテランマラソン選手の過去の悔しい思い出を若手選手に託したある3人のマラソン選手の友情の物語だ。1936年のベルリンオリンピック当時、記録を出した選手は、日本名の孫基禎と南昇竜として参加した韓国のソン・ギジョンとナム・スンニョンだった。第2次世界大戦の終結とともに韓国は日本から解放されたが、メダルの記録は日本のままだった。ある日、荒んだ生活を送っていたギジョンのもとにスンニョンが現れる。2人は「第2のソン・ギジョン」と期待される若手選手ソ・ユンボクを1947年のボストンマラソンに出場させるためチームを組み、“祖国の記録”を取り戻すべく数々の試練に立ち向かう彼らの姿を描く。太平洋戦争終戦直後の混乱期、韓国人でありながら日本代表で出場したマラソン選手であった彼らは、新人選手のマラソンをする姿を通して、祖国の何を目撃したのだろうか?希望か、絶望か?映画は、明日という明るい未来に向けて、走り続けた3人のマラソン選手達の姿が描かれている。

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およそ100年前の韓国で実際に実在した3人のスポーツ選手ソン・ギジョンとナム・スンニョン、ソ・ユンボクという人物に焦点を当てている。日本ではまったくと言っても良いほど、残念ながら全然知られていないスポーツ選手であるが、その知名度の低さの裏では知られざるドラマが展開されていた。ソン・ギジョン(孫基禎)とは、1912年8月29日に生を受けて、2002年11月15日にご逝去された日本統治時代の朝鮮の新義州近郊出身のマラソン選手。1945年8月15日の光復後、韓国の陸上チームのコーチや陸連会長を務め上げ、韓国マラソン界の始祖として、その礎を気付いた第一人者、パイオニアの一人だ。ベルリンオリンピック出場時は、日本の統治下時代だった韓国。彼は、日本名の孫基禎で登録し、競技のマラソンではメダルを獲得したものの、そのすべては韓国ではなく、当時の日本に持って行かれた。その時の忸怩たる思いを抱えたまま、1947年開催のボストンオリンピックを迎える事になる。もう一人、ソン・ギジョンと共にオリンピック出場者の戦友として同じ夢を見たナム・スンニョン(南昇竜)という人物もいた。彼は、1912年11月23日に生を受けて、2001年2月20日を逝去している。ソン・ギジョンと同様にベルリンオリンピックのマラソン競技に出場し、3位で銅メダルを獲得しているが、これもまた日本統治下時代だった為、日本が獲得したメダルにカウントされてしまう。そして最後に、ボストンオリンピック出場時、ソン・ギジョンとナム・スンニョンの2人によって育成された若手マラソン選手であったソ・ユンボクは、1923年1月9日に生まれ、2017年6月27日に亡くなってしまっているが、彼はこのボストンオリンピックに出場した時、2時間25分39秒という世界最高記録のタイムを打ち出し、韓国人として優勝し、金メダルを獲得している。このドラマは、10年間にも及ぶ屈辱を果たした歴史的瞬間でもあり、韓国全土が、また韓国のマラソン界の方向性を変えた大きな出来事だろう。マラソン強化チームを作る前、ソン・ギジョンは期待の新人であったソ・ユンボクに語り掛けている。「”나에게 민족은 있었지만, 국가는 일본이었다. 그러나 너는 조국을 위해 달릴 수 있다는 자긍심이 있지 않으냐“(「私に民族はあったが、国家は日本だった。しかし、あなたは祖国のために走ることができるという自負心がないのか。」)」また、当時の政府関係者は、「우리의 태극기를 해외에 휘날리게 한 장한 청년.서윤복이 조선을 하나로 만들었다.“(「私たちの太極旗を海外に振り回したチャン・ハン青年。ソ・ユンボクが朝鮮を一つにした。」)」(※2)と、朝鮮半島全体が一つの国家になった瞬間と国全体が大いに沸いた出来事だったのは間違いないだろう。

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マラソンの歴史は、いつから始まったのだろうか?まず、世界的なマラソンの起源は古代エジプト時代にまで遡る事ができる。オリンピックの競技として採用されたおよそ120年前よりも随分昔の事である。古代のマラソンは、現代のスタイルとは少し違っており、当時、遠距離を走れる人物は軍事技術として重宝されていた背景がある。かつての人類は、現在走っているマラソンの距離よりも遥かに長い距離を走っていたと推察もできる。紀元前776年から紀元261年頃の事である。現在では、近代オリンピックプログラムの中心を担う競技として注目され、マラソンとしての大衆性と人気の高さ故、現在では世界中の多くの都市で大会が随時、開催されている(※3)。では、日本のマラソン史はどうだろうか?日本の記念すべきマラソン元年は、明治42年(1909)3月21日のこと。神戸の湊川埋め立て地から大阪の西成大橋東端までの約32キロの「マラソン大競走」が行われている。日本で「マラソン」という名称を使ったのは、この大会が初めての事。参加申込者は、408名。体格試験によって、120人に絞られ開催。鳴尾競馬場で予選が実施され、出場選手20人が決定した。大会当日の午前11時30分、当時の神戸市長水上浩躬が、短剣で紅白のテープを切り、大会がスタートした。「日本マラソン発祥の地神戸」の記念碑が、今も同じ場所に建っている(※4)。1924年(大正13年)に開催された第8回オリンピックのパリ大会から42.195kmの距離が正式に採用され、今に至っている。かつて、マラソンはエリート選手だけが取り組める特別な競技だったが、現在は競技人口の裾野が広がり、当時は走れなかった女性選手にも門戸が開かれた。現在、世界各地で多くのマラソン大会も開催され、マラソンは私達にとって、身近なスポーツ種目となっている。日本でもマラソンは、人気のスポーツ。多くのランナーにとって、フルマラソンに出場できる垣根が以前に比べて格段と低くなっている(※5)。では、韓国におけるマラソンの歴史について、最後に触れておくと、現在でも毎年開催されているソウル国際マラソンの歴史(※6)は非常に古く、東亜マラソンとして1931年に初めて開催され、2019年で90周年を迎えた長寿のマラソン大会だ。1931年に初開催と時代を辿ると、もしかしたら、この作品が取り上げているソン・ギジョン選手らも記念すべき第一回目を完走したのかもしれない。そのギジョン選手の孫娘(※7)が、2003年に同大会に出場し、オリンピックに出場した祖父と同じようにソウル国際マラソン大会を完走した。祖父から子へ。子から孫へ。民族としての血や伝統はしっかりと受け継がれている。1936年のベルリンオリンピックの時、そして1947年ボストンオリンピックの時にソン・ギジョン本人が感じた民族しての屈辱やアイデンティティ奪還への想いは必ず、次の代にも伝っている事だろう。映画『ボストン1947』を制作したカン・ジェギュ監督は、あるインタビューにて「俳優たちがマラソンを準備して訓練を受ける過程」について聞かれ、こう話している。

강제규:“우선 임시완 배우는 섭외를 마치자마자 육상구락부 선수들과 훈련을 하기 시작했다. 운동의 강도나 방법 등 디테일한 부분을 전 국가대표 코치에게 지도받으면서 훈련을 했다. 서윤복 선수는 당시에도 마라토너로서 드문, 가장 최적의 신체적 조건을 가진 유망주였기 때문에 그런 특징과 장점이 잘 드러나도록 임시완 배우가 체중을 감량하며 고생을 많이 했다. 반면 배성우 배우는 체중 감량을 크게 하지 않도록 했다. 그는 1947년의 36살 마라토너다. 연륜과 나이가 자연스럽게 느껴지게끔 신체적 조건을 맞추려 했다. 하루는 현역 마라토너들에게 영화를 보여주었는데 영화 속 선수들의 자세나 호흡법이 잘 재현돼 있어 깜짝 놀랐다고 하더라. 그런데 정말 그랬다. 디테일한 부분을 고증하기 위해 정말 신경을 많이 썼다.”(※8)

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カン監督: 「まず俳優のイム・シワンは、交渉を終えるやいなや、陸上拘束部選手たちと訓練を始めた。運動の強さや方法などディテールな部分を全国代表コーチに指導されながら訓練をした。ソ・ユンボク選手は、当時もマラソン選手として珍しい、最も最適な身体的条件を持つ有望株だったため、そのような特徴と長所がよく現れるように俳優のイム・シワンが、体重を減量して苦労をたくさんしてくれた。その反面、俳優のペ・ソンウは体重減量を大きくしないようにした。彼は、1947年の36歳のマラソン選手だ。年輪と体型が、自然に感じられるように身体的条件を合わせようとした。先日、現役マラソン選手たちに映画を観てもらったが、映画の中の選手たちの姿勢や呼吸法がよく再現されていてびっくりしたと言ってくれた。それは、本当にそうだと思った。ディテール部分を高めるために本当に気を使いました。」と、監督は話す。当時をより再現するために、制作サイドも俳優達も仕草や風貌、立ち振る舞いに至るすべてにおいて、実在した人物になりきり、気を配ったのだろう。この作品が成功した裏には、関係者達の並々ならぬ努力が、作品を成功の道に誘ったに違いない。

最後に、映画『ボストン1947』は、1947年のボストンマラソンに出場した若手のマラソン選手と彼を支えたベテランマラソン選手の過去の悔しい思い出を若手選手に託したある3人のマラソン選手の友情の物語。実際に起きた史実を描いたスポーツ映画として仕上げており、どこどこの国が悪いだの、韓国が隣の国から虐げられていただのといった表現は抑え、ただ単純に一人のマラソン選手として、韓国人として、民族のアイデンティティを取り戻す姿を追っている。過去に起きた事は、二度と繰り返さず、次の世代にしっかりと引き継いで行ける未来や社会、国を作って行く事が大切だろう。今日もまた、そんな未来を願いながら、どこかのマラソン選手は走り続けているのかもしれない。

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映画『ボストン1947』は現在、公開中。

(※1)【パリ2024オリンピック振り返り】記憶に残る5つのシーンhttps://olympics.com/ja/news/paris-2024-olympics-recap-five-unforgettable-moments-team-japan(2024年10月8日)

(※2)조국을 위해 달린 두 사람, ‘마라토너 서윤복과 함기용’https://www.pa.go.kr/portal/contents/stroll/special/view.do?bd_seq=51(2024年10月9日)

(※3)マラソンの歴史https://www.aims-worldrunning.jp/history/(2024年10月9日)

(※4)神戸を知る 日本マラソン発祥の地 日本マラソン発祥の地https://www.city.kobe.lg.jp/a09222/kosodate/lifelong/toshokan/furusato/kobe_shiru/marathon.html#:~:text=%E6%98%8E%E6%B2%BB42%E5%B9%B4%EF%BC%881909%EF%BC%893,%E3%81%8C%E5%BB%BA%E3%81%A6%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2024年10月9日)

(※5)陸上競技情報 マラソンの歴史https://www.homemate-research-athletic-field.com/useful/19602_athle_002/(2024年10月9日)

(※6)ソウル国際マラソン、世界陸上文化遺産に選定https://japanese.seoul.go.kr/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%80%81%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%99%B8%E4%B8%8A%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%81%AB%E9%81%B8%E5%AE%9A/(2024年10月9日)

(※7)故孫基禎氏の孫娘が完走 東亜国際マラソンhttps://www.donga.com/jp/article/all/20030316/273539/1(2024年10月9日)

(※8)[인터뷰] “역사적으로 충분히 감동적인 이야기였다”, ‘1947 보스톤’ 강제규 감독http://m.cine21.com/news/view/?mag_id=103597(2024年10月9日)