映画『ラスト・ブレス』あなたなら、どうするか?

映画『ラスト・ブレス』あなたなら、どうするか?

生存家栗生ゼロからの生還。映画『ラスト・ブレス』

©LBLB 2023 Limited

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あなたは、光も空気も届かない深海で酸素ボンベの残量が10分も保たない状況を想像できるだろうか?生活する上で精神的に息苦しさを感じる場面(仕事や人間関係などで極度のプレッシャーを感じている時、就職、進学、転勤など、大きな変化に適応できない時、将来への不安、人前に立つ事への恐怖)があったとしても、物理的に酸素が無くなり息苦しい状況に陥る環境は普通に生活していたら、まず経験しないだろう。本作が取り上げている特殊な職業である飽和潜水士以外で海洋や深海に潜る似た職業には、潜水士、ダイビング・インストラクター、海上保安庁、海上自衛隊、水中撮影を行うメディア関係者などが挙げられる。海に潜る職業を生業にしている関係者は、常に危険と隣り合わせだ。いつ、背中に背負った酸素ボンベが異常をきたすか予測付かない。酸素ボンベに限らず、深海に放り出されたら命の保証はない。映画『ラスト・ブレス』は、最も危険な職業のひとつといわれる飽和潜水士の実話をもとに、極寒の深海に取り残された潜水士の運命と、極限の救出活動に挑む人々を描く。脚本で言えば、擬似自然主義的へのアプローチの重要性を見つけ出し、プロセス重視のアクションを重視する事に成功している。本作は、他のSF映画のヒット作『メッセージ』『インターステラー』『オデッセイ』と並び再び注目を集めているハードSFのサブジャンルを、水中の物語へと拡張した作品と一部の海外の映画関係者から評されている。また、本作の水中撮影のほとんどは、マルタ島カルカラにあるマルタ映画スタジオのディープタンクで行われた。水深11メートルのタンク内に、映画のメイン撮影場所となるセットを構築。撮影のほとんどは夜間撮影だったため、ダイバーたちは数ヶ月、夜間に撮影を行っている。その上で、海底の状況を再現する為、タンクの準備も行ったそう。80年代以来、一度も掃除されていなかったタンク内を掃除する所から撮影が始まっている。撮影においては、本来、俳優の腰から上を撮影し、カメラが顔に焦点を合わせてゆっくりクローズアップする手法を採用している。時間をかけて、観客が登場人物の感情を理解する為、何を見せればよいかを考えながら撮影されている。本作で水中撮影監督を担当したイアン・シーブルック氏(撮影監督とは別の人)は、「撮影監督とは準備段階では本当に良い関係を築いていたが、撮影中はほとんど会えず。彼が飽和室やブリッジで撮影している間、私は準備かタンク内で別の撮影をしていました。物語に登場するダイバーたちの環境を再現するため、水中シーンはすべてマルタ島の巨大な海水タンクで夜間に撮影したんです。私達は白紙の状態から撮影を始め、適切な環境を作り出す事に成功しました。」(※1)と話す。本作の演出面では、俳優達は海面下300フィート(91メートル)での生存という信じられない奇跡の物語を人々に伝える為、世界クラスのダイバー達と3か月間、水中でトレーニングしている。映画『ラスト・ブレス』は、脚本、撮影、演出という様々な部門が各々の力を全力で出し、サバイバルスリラーの要素を全面に押し出しつつ、創意工夫して制作された海洋パニック映画だ。

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そもそも飽和潜水士とは、どのような分類の職種なのだろうか?一言で言ってしまえば、深海での長時間の作業を可能にする「飽和潜水」技術を習得した潜水士を指す。いわゆる、深海専門の潜水士という見方をすれば良いだろう。飽和潜水士の技術は、加圧室で体の気圧を調整し、作業現場と同じ高圧環境に順応させてから潜水を行う事により、減圧症のリスクを低減する。海上自衛隊など、非常に特殊な訓練を積んだ潜水士がこの職に就ける(※2)。実際には、どのような訓練をして、難しい資格をパスしているのか?まず、段階的に深度を深めていく潜水訓練と、居住空間での長期にわたる順応訓練の2つを実施する。訓練では、深海潜水訓練装置など専門的な機械が使われ、高水圧に耐える身体能力の向上だけでなく、閉鎖環境での精神的・心理的な適応、チームワークの強化、潜水システムを操作する知識と技術の習得が重視されている。様々な体力的精神的心理的テストをパスした者だけが、一人前の飽和潜水士として認められるが、その道のりは余りに長い。飽和潜水士が水中で作業する場合、作業中の事故は避けられない。たとえば、事故の種類には機材の故障、資材の絡まり、孤立が挙げられ、作業環境がその過酷さを物語る。視界の悪さや低温などが、作業の行く手を阻み、困難さは増して行く。また、高気圧環境での作業、窒素酔い、減圧症など、多くの危険が伴う「地球上で最も危険な職業の一つ」と言われる。飽和潜水士に限らず、水中で作業する職業は危険と隣り合わせと言われており、たとえば、土木関係の職種で言えば、水中土木工事の潜水作業は業務上欠かせない作業だが、この水中土木工事の潜水作業もまた、飽和潜水士同様に水中内の作業の為、危険を伴う職種(※3)と言われている。水中に関する仕事は、どの職種にしても非常に危険な仕事として考えられ、誰もが簡単になれる職業ではなく、選び抜かれたエキスパートだけが就ける特殊な仕事だ。本作『ラスト・ブレス』が基にしている水田における重大インシデントは、1983年11月5日午前4:00に北海ノルウェー経済水域に位置するフリッグガス田での掘削中に起きた事故だ。作品では、潜水士達の生きて生還しようとする決死のサバイバルスリリングとしてエンタメに描かれているが、実際の事故はダイバー4人が即死、残る1人が重症を負った大事故(※4)に発展している。本来は、リグ上に設置された減圧タンクとダイビングベルからなる系内に4人のダイバーが入り、2人のテンダーがこれをサポートする手筈の作業内容だった。しかし、1人のダイバーがタンクとベルの接続部にある扉を閉じようとした時、タンク内で9気圧から1気圧への爆発的な減圧が発生。結果として、上記のような大きな事故へと発展。発掘作業を行うマシンは、バイフォード・ドルフィンと呼ばれ、フレッド・オルソン・エナジーの子会社であるドルフィン・ドリリングによって運用していたセミサブマーシブル型掘削リグだが、1983年以外にも数度の作業事故が発生している。1976年3月1日に起きたDeep Sea Driller 時代の事故では、北海の区画からベルゲンへの移動中に座礁。乗組員は全員救命ボートへ退避したが、ボートから転落した6人が死亡した事故も起こしている。

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上記のように海中では、時に事故が付き物であるが、1983年に起きたバイフォード・ドルフィンでの飽和潜水士達に襲いかかった事故以外に、どんな海洋事故、海難事故、海中事故が起きているのだろうか。歴史上で記録されている最も古い海難事故には、紀元前2700年から2200年頃、ギリシャ南部、エーゲ海に浮かぶドコス島沖合15~30メートルの海底で発見されたドコス沈没船(※5)が挙げられる。時代が飛んで、20世紀に入って起きた有名な海難事故には、映画でも注目されたタイタニック号沈没事故(1912年)やエストニア号沈没事故(1994年)が、1900年代の重大海難事故の一つだ。他にも、エンプレス・オブ・アイルランド号沈没事故(1914年)、ホンダポイント遭難事件(1923年)、洞爺丸事故(1954年)、ジェネラル・スローカム号火災(1904年)、関東(カンタ)号沈没事故(1924年)など、多くの海難事故が報告されている。水田にある掘削機バイフォード・ドルフィンで起きたダイバー達を襲った事故のように、実際に潜水専門のダイバー達を襲った重大インシデントは、常に起きている。トリニダード・トバゴでダイバー達を襲ったパイプライン事故(※6)は、想像絶するインシデントだ。事故の原因は、ダイビングベル内とパイプライン内の圧力差。ダイビングベルは、内部の気圧を高くし海水を排出する。その一方で、パイプライン内は通常より圧力が低い状態。しかし、膨張式プラグで密閉されていた為、作業員のダイバー達はその圧力差に気づかず、海水と石油が混ざったパイプの中にダイバー全員が吸い込まれた事故。結果的に、一人のダイバーが自力で脱出したが、救助の困難さ(狭いパイプラインの為)や会社の方針(油田を所有する会社が責任転嫁した為)が原因で、残りの4人の作業員でパイプの中で皆、見殺しにされた痛ましい事故。2023年に北大西洋で発生した潜水艇タイタン沈没事故(またの名を潜水艇タイタン爆縮事故)は、まだ私達の記憶に鮮明に残っているだろう。タイタン号の事故の原因(※7)は、水深約4000mに沈むタイタニック号まで潜航するよう設計されていたが、調査報告によると、船体には定員を大幅に超える乗員が搭乗していたとされ、不均等な荷重がかかっていた事が明らかになった。さらに、船体設計上の制約や安全確認手順の不備も重なり、構造的な耐久限界を超えていた事が発表された。杜撰な危機管理能力と安全性の軽視が大事故へと繋がっているが、これらを蔑ろにすると、必ず類似の事故はこの先の未来でも起きるだろう。映画『ラスト・ブレス』を制作したアレックス・パーキンソン監督は、あるインタビューにて本作における水深300フィートに届かない「光」について、こう話す。

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パーキンソン監督:「それをどう実現するか、非常に長く複雑な検討プロセスを経て実現しました。実際には、現場は真っ暗闇でした。停電時のアクションシーンの多くは完全な暗闇の中で展開されますが、真っ暗な画面では映画的ではないと判断し、様々な解決策を考案しました。いくつかのシーンでは、フレアを使うというアイデアを思いつきました。フレアは光を遠くまで届けないため、無力感や孤立感は伝わりますが、何が起こっているのかは分かります。例えば、マニホールドは実際には点灯していませんが、実写用の照明を使うことで、そのスケール感や水中での動作を観客に感じてもらうことができました。ドラマ上、マニホールドに電源が接続されていることは非常に重要でしたが、同時に、船が漂流する際に電源が切れて暗闇に沈んでいくという演出も重要でした。多少の演出上の自由はありましたが、映画的な体験を生み出す上で、フレアは効果的でした。私にとって重要だったのは、すべての照明を実写照明で実現したかったということです。観客に海底が遠くまで続いているように感じさせるために、遠くに柔らかい青い光を当てたいという誘惑はあります。しかし、その効果を作り出した瞬間、観客はその瞬間から引き離され、映画に信憑性が感じられなくなります。私たちは、アクションをリアルで直感的に感じさせたかったのです。そのため、水中にあるほぼすべてのものは実写照明で照らされ、ある地点を超えるとすべてが暗くなるようにしました。そうすることで、本物のような危険感が生まれます。そこに海底があることが分かります。ここが非常に危険な環境であることが分かります。ヘルメットライト、ROV、照明弾などの実写照明から見えるものだけを見るというリアリティを保つのです。実写照明の使用は、映画にあの閉所恐怖症のような感覚を与えるために不可欠な方法でした。」(※8)と話す。音も光も人の感情も届かない水深数百メートルの場所で、取り残される恐怖を想像して欲しい。真っ暗闇で求められるのは、もしかしたら、一筋の光かもしれない。どれだけ助けを求めても、どれだけ叫んでみても、その声が届かないとしたら、頼るのは海面から届く小さな光に違いない。それは物理的な照明の光だけではなく、救出の為の希望の光があってもいいだろう。私達が、光を希望と感じる時の心理状態は「暗闇の中にいる状態」から抜け出したいという感情や欲求と結び付ける事ができる。この心理状態は、人間の本能や脳の働き、色や光の象徴的意味合いなど、複数の要因から光が希望と人が判断する。 物理的に人が何らかの原因で暗闇にいる時と、そうではなく、生活苦や人生苦の中でそれを暗闇と判断した時に人は希望や光が明日の生きる力になると受け入れる生き物なのだろう。

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最後に、映画『ラスト・ブレス』は、最も危険な職業のひとつといわれる飽和潜水士の実話をもとに、極寒の深海に取り残された潜水士の運命と、極限の救出活動に挑む人々を描いているが、ただそれだけではない。極限状態で人がどんな行動をするのかを見せられている私達が、もし同じ立場に立った時、どんな行動をするのか試されているのだ。水深数百メートルの深海に行く事はまず有り得ないが、希望も未来も見えない暗闇でその場所からどう脱出すれば良いか人としての真価が問われている。物理的な暗闇に限らず、生きていたら必ず直面する壁や苦しい出来事に対して、どう対処すれば良いのか、あなたの行動が判断される。これは単なる水中サバイバルスリラーだけでなく、困難に直面した時の私達自身の在り方について問われた作品だ。「あなたなら、どうするか?」

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映画『ラスト・ブレス』は現在、公開中。

(※1)The Art of Underwater Cinematography In Last Breathhttps://www.focusfeatures.com/article/last-breath-interview_ian-seabrook(2025年10月24日)

(※2)深海450mで人命を救う。自衛隊「飽和潜水員」になるための険しい道のりhttps://mamor-web.jp/_ct/17542155(2025年10月24日)

(※3)施工管理者は必ず知っておきたい。命の危険と隣り合わせの「潜水作業」の安全衛生管理https://www.sekoukyujin-yumeshin.com/learn/23803/#:~:text=%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E5%A3%AB%E3%81%AF%E3%80%81%E9%95%B7%E6%99%82%E9%96%93,%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%8B%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%80%82(2025年10月26日)

(※4)Byford Dolphin Incident: The Worst Diving Accident In Historyhttps://www.iflscience.com/the-1983-byford-dolphin-decompression-incident-is-the-worst-diving-accident-in-history-76507(2025年10月26日)

(※5)World’s Oldest Shipwreck Is at Dokos Island, Greecehttps://greekreporter.com/2024/11/11/oldest-shipwreck-dokos-greece/#:~:text=The%204%2C200%2Dyear%2Dold%20shipwreck,completed%20excavation%20of%20the%20artifacts.(2025年10月26日)

(※6)生きたままパイプに吸い込まれたダイバーたち。トリニダード・トバゴを襲った未曾有の事故https://chichichi.jp/posts/189(2025年10月26日)

(※7)「タイタン号圧壊事故」の最終調査報告が公開 ずさんな管理が明らかに 際立つ日本の深海艇の驚くべき“水圧への備え”https://trafficnews.jp/post/596776(2025年10月26日)

(※8)Exploring the Inextinguishable Human Spirit in Last Breathhttps://www.focusfeatures.com/article/last-breath-interview_alex-parkinson(2025年10月26日)