愛と平和を探す映画『惑星ラブソング』


戦後80年を迎えようとしている広島の街。あれから長い月日が流れ、街並みは大きく変貌を遂げた。その代わり、変わらないものもある。それは、そこに住む人々の想いだ。戦争を体験し、原爆の苦しみに耐え抜き、戦後復興に力を注ぎ、今の広島がある。この街は、世界を代表する平和の象徴として存在し、世界中の人々が注目する。日本人にとっても馴染みのある広島は、小学生の修学旅行において戦争学習の場として活用されている。広島の市街地の中心にある原爆ドーム、折り鶴の少女の像、そして犠牲者たちの慰霊碑。平和を願う数々の象徴が点在するこの街は、日本の未来を予言する。日本人が抱く万世不易の囁かな平和への祈りは、万国共通の願いだ。生きとし生けるすべての生き物が、平穏無事な安穏とした生活を送るには、私達の今の行動が試されている。広島の地に眠る鎮魂への約束事は、世界中にいる全人類の願いと共通だ。映画『惑星ラブソング』は、広島を訪れたアメリカ人観光客と地元の若者たちが出会い、過去と現在が交錯していく様子を描いた愛と平和のファンタジードラマ。平和がもたらす社会への恩恵は、私達の日常が平穏に暮らせる基盤となる。昔と今の世界、昔と今の日本、昔と今の広島は違う。けれど、昔今の時間は一本の時空の空間で繋がっている。80年前の今日と80年後の今日が出会う時、世界中で平和のパンデミックが花開くだろう。

80年前の1945年8月6日、8月15日は、広島が外側からの影響で街ごと姿を変えた日だ。戦前と戦後を通して、時代の分断を経験した特殊な街、広島。この80年という長い年月を思えば、昭和から平成、令和へと激変する時代の中で、どんな体験をしたのだろうか?10年、5年、1年、1日の重みは非常に重く、過ぎ去った日々を思い巡れば、日本人が戦後の復興と共に歩んで来た激動の時代が、遠い記憶の彼方の思い出のようでもある。実際、戦後80年、広島がどのように時代を歩んで来たのか、私を含め、今の日本人は誰も知らないのではないだろうか?原爆の被害を受けた広島の再生の歩み(※1)は今、世界が注目している。私達は、広島のレジリエンス(回復力)に学ばなければならない。今でも尚、世界各地で戦争や紛争、自然災害が止まない中、焦土から立ち上がった被爆地・広島が、改めて、世界中からの注目を集めている。あの日、1発の原子爆弾によって壊滅した広島は、「70年は草木も生えぬ」とも言われる程の大惨事。その惨状から、広島の市井の人々はどう復興したのか?どんな教訓があり、どんな歩みがあるのか、今年は見つめ直す良い契機だ。1950年(昭和25年)の広島は、戦後の復興が進む中、平和記念都市としての都市計画が具体化し始めた時期でもある。1949年に「広島平和記念都市建設法」が制定され、翌年、その理念に基づいた「広島平和都市建設構想案」が策定された。次に、10年後の1960年(昭和35年)の広島は、戦後復興の歩みを着実に進めていた。原爆投下から15年が経過し、平和記念公園の整備が進む一方、都市としての機能回復(※3)も同時に進められた年。そのまた10年後の1970年頃の広島は、戦後25年が経過し、目覚ましい復興を遂げた。平和記念公園は、核兵器廃絶と恒久平和を願う場所となり、その役割を深めた。広島市は、原爆ドームや平和記念資料館、また被爆地としての記憶を伝える施設を整備し、平和を象徴する都市としての地位を確立しようと模索(※4)した。近代化が進んだ1980年(昭和55年)の広島は、原爆投下から35年が過ぎ、戦後の復興が進み、平和記念公園の整備が施された。都市としての基盤が整えられ、市民生活も安定を取り戻し始めた時期。その一方、被爆体験の継承、平和教育の重要性が高まった。それでも、被爆者の方の高齢化が進み、記憶の風化が懸念され始めた最初の時代だ(※5)。そして、戦争が起きた20世紀最後の10年間にあたる1990年(平成2年)の広島は、戦後復興から50年目の半世紀が経過した。過去、50年のあゆみの中、都市としての基盤が確立され、1949年に制定された広島平和記念都市建設法に基づき、平和記念公園の整備が進められた。国際平和文化都市としての発展を模索し続けた結果、1990年には平和記念公園は多くの人々に平和を祈る場として利用され、広島は国際的な平和発信都市としての役割を担う今のスタイルが確立した最初の年(※6)。新世紀となった21世紀の最初の年代2000年の広島の状況は、平和記念資料館や原爆死没者慰霊碑などを中心に、平和教育や平和活動を推進し、平和記念公園は国内外からの訪問者にとって、広島の象徴的な場所となった。広島は原爆ドームと共に、ユネスコの世界遺産に登録され、国際的な平和都市(※7)としての地位を確立し、より世界的に注目されるようになった。広島市の2010年代は、「平和首長会議創設50周年」として記念事業を実施。また同年7月、広島市が「平和首長会議」の事務総長を退任し、市長が感謝状を贈呈している。そして今の2020年代、戦後80年目の今年2025年は、広島への原爆投下から80年を迎える節目の年。今年2025年を契機に、広島は「平和記念都市」として復興を世界にアピールし、平和への貢献を誓う「2025ひろしま宣言」を発出(※8)。それでも今も世界中の至る所で、戦争が起きている。最たる国には、大国ロシアとのウクライナ戦争。この戦争を仕掛けたロシアや同盟国のベラルーシのほか去年、招待しなかったイスラエルの駐日大使らが、被爆80年平和祈念式典に出席する予定(※9)だ。被爆国日本で唯一被爆した広島・長崎は今後、どうなって行くのだろうか?

戦後80年のあゆみの中で、近年の広島は敗戦国としての復興を世界にアピールし、国際平和文化都市として大きく発展し、多くの外国人観光客が広島の平和記念公園に足を向けている。ここで、広島と海外の関係は、どのような程度だろうか?まず、広島市の姉妹都市は全世界に6都市ある。アメリカ合衆国のホノルル市、ロシア連邦のボルゴグラード市、ドイツ連邦共和国のハノーバー市、中華人民共和国の重慶市、大韓民国の大邱(テグ)広域市、カナダのモントリオール市が現在の姉妹都市(※10)。そして現在、広島市に訪れた外国人観光客数(※11)は、2024年(令和6年)には251万3千人と過去最高を記録した。前年と比べ69.7%増の大幅な増加。特に、G7広島サミットで広島の魅力が世界に発信された事、また宮島の来島者数増加が要因として挙げられている。広島を訪れる外国人観光客は、国籍が多様で、特に多いのは「その他」と分類される国々。その次に、米国、オーストラリア、英国、台湾からの観光客。最も多かった訪問客数の国籍はオーストラリアで19,302人、アメリカの9,737人、最後に中国の8,233人という結果(※12)となっている。昨年4月、広島とベトナムを格安で結ぶ直行便が就航(※13)した。ニュース記事には、「現在、広島県内に住んでいる外国人は、中国人よりもベトナム人が多く、2022年の段階で、およそ1万3400人といいます。 理由の1つとして考えられるのが、技能実習生の多さです。」と記載されており、日本全国で技能実習生が増えている現状が見える。その一方で、日本被団協のノーベル平和賞の受賞後、在外被爆者や高校生平和大使がオスロの若者との交流(※14)を楽しんだ。この催しは、核廃絶に取り組むオスロの団体が立ち上げたプロジェクト。現地の若者など、およそ80人が集まった相互理解の場となった。映画『惑星ラブソング』を制作した時川英之監督は、あるインタビューにて本作における戦後80年の広島について聞かれ、こう話す。

時川監督:「広島の企業の方から、「何か一緒にやりませんか?」と声掛けいただいたのがスタートでした。ならば、戦後80周年を迎えるし、広島から今の空気感を取り入れた作品を発信できないかと考えたんです。 僕自身、これまでデモに参加するようなタイプではないし、戦争に関して特別深い知識や主張があるわけではありません。ただ、広島で育ち、今も広島に住む者として感じることはあります。広島はすごくにぎやかな街なんだけど、街のあちこちに被爆当時のその場所の風景がわかる銅板があったり、折り鶴の慰霊碑があったりと平和の傷跡がある。また、戦後80年が経とうとしている今でも、広島では新聞やテレビが原爆関連、戦争関連の報道を毎日のように報じています。「誰誰が平和公園に来ました」「黒い雨が降った新しい地域が判明しました」「被爆者の手記が発見されました」。地元で報道に携わる方々は今でも「忘れられないこと」を大事にしているんですね。一方でインバウンドの外国人たちもたくさん来ていて、歴史を学んでくれたり、広島に祈りを捧げてくれる姿を目にする機会も多くて。海外の方が真摯に祈っている姿を見ると、広島の人間としては胸にグッと来るわけです。こうした感情を織り込んで、広島発の映画を作りたいと思ったんです。暗いほうに振らない、押しつけがましくもしない。ユニークな方向で「平和」や「愛」にアプローチしてみようと思って作りました。」()と話す。私のレビューの方向性とは真逆のラフでポップでフラットに未来の広島が願う「平和」や「愛」を表現している。ラブとファンタジーを全面に押し出した物語は、今の広島のプラスの側面を物語る上で非常に重要なアプローチだろう。

最後に、映画『惑星ラブソング』は、広島を訪れたアメリカ人観光客と地元の若者たちが出会い、過去と現在が交錯していく様子を描いた愛と平和のファンタジードラマだが、その向こうにあるのは世界の平和と人々の和平を祈る日常がある。昨年2024年のノーベル平和賞(※16)には、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が授与され、全国のトップニュースになったのは記憶に新しい。その一方で、「黒い雨」訴訟(※17)は、今も戦いは続いており、80年前の戦争は80年経った今も終わらず続いている。それでも、変わらないものがある。80年前の今日も80年後の今日も、人々は平和への願いを込めて、今もこれからも願い続けている。

映画『惑星ラブソング』は現在、公開中。
(※1)復興あのとき 焦士から立ち上がった人と街https://www.chugoku-np.co.jp/stp/HowHiroshimaRoseFromTheAshes/(2025年8月2日)
(※5)「原爆に耐えて生き延びて長生きして良かった」戦後を見守った広島大仏の『里帰り』が再び人々の心を照らす「ここに来れば優しくなれる」https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2022/09/090895.shtml(2025年8月2日)
(※7)原爆・平和 平和記念施設保存・整備方針 資料編4.平和記念施設の保存・整備に係る過去の理念・議論https://www.city.hiroshima.lg.jp/atomicbomb-peace/1036658/1021119/1031901/1020973.html(2025年8月3日)
(※8)ビジネスと平和貢献のあり方を多面的に議論する ひろしま国際平和&ビジネスフォーラムhttps://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/peace80/action-business-forum.html#:~:text=(1)%20%EF%BC%95%E6%9C%88%EF%BC%93%EF%BC%90%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%E6%9B%9C%E6%97%A5%EF%BC%89%20*%20%E2%96%A0%E9%96%8B%E4%BC%9A%E3%83%BB%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%BE%E5%AE%A3%E8%A8%80%E7%99%BA%E5%87%BA%20*%20%E2%80%8B%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E6%B9%AF%E5%B4%8E%E8%8B%B1%E5%BD%A6%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%82%BC%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%EF%BC%88EC%EF%BC%89%E3%81%AF%E3%80%81%20%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%B2%A2%E7%8C%AE%E3%82%92%E5%8A%A0%E9%80%9F%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%8C%87%E9%87%9D%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%8C2025,%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%BE%8C80%E5%B9%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%20%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B8%E3%80%8D%20(2)%20%EF%BC%95%E6%9C%88%EF%BC%93%EF%BC%91%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%E6%9B%9C%E6%97%A5%EF%BC%89%20%E2%96%A0%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B0%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2%E4%B8%BB%E5%82%AC%E3%80%91%20%E3%80%8C%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%81%8C%E6%8C%81%E3%81%A4%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E6%8E%A8%E9%80%B2%E5%8A%9B%EF%BC%9A%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%82%86%E3%81%8F%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A1%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%86ESG%E3%80%81%E3%82%B5%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%8A%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%A8%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%9A%84%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%80%8D%20%E2%80%8B%E2%96%A0%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3(2025年8月3日)
(※9)被爆80年平和祈念式典の概要を発表 過去最多101の国・地域から出席https://www.ncctv.co.jp/news/article/15943034(2025年8月3日)
(※10)広島市の海外の姉妹・友好都市https://www.city.hiroshima.lg.jp/tourism-culture/global-inbound/1021460/1003426.html(2025年8月3日)
(※11)令和6年(2024年)広島市入込観光客数https://www.city.hiroshima.lg.jp/tourism-culture/tourism/1021446/1026907/1041605.html#:~:text=%E2%91%B5%20%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%AE%A2%E6%95%B0,%E9%81%8E%E5%8E%BB%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%82%92%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2025年8月3日)
(※12)広島県のインバウンド需要https://honichi.com/areas/chugokushikoku/hiroshima/(2025年8月3日)
(※13)広島とベトナムを格安で結ぶ直行便がついに就航! 観光やビジネスでの交流促進にも期待 【アナたにプレゼン テレビ派】https://news.ntv.co.jp/n/htv/category/society/ht338bbb5749a445f4bad04ac90c323fb7(2025年8月3日)
(※14)在外被爆者や高校生平和大使がオスロの若者と交流https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20241212/4000027900.html(2025年8月3日)
(※15)舞台は終戦80周年の広島。「ユニークな愛と平和の映画」が生んだ奇跡https://nikkan-spa.jp/2097955(2025年8月3日)
(※16)2024年のノーベル平和賞に日本被団協 核兵器廃絶訴えhttps://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2024/peace/article_01.html(2025年8月3日)
(※17)新基準での却下巡り訴訟も 「黒い雨」、降雨判断など争点―広島https://www.jiji.com/sp/article?k=2025080200299&g=soc(2025年8月3日)