出会いが命を繋ぐ映画『雪の花 ともに在りて』


魂が震える。そう思わせてくれる作品は、そうそうない。信念を貫き、不撓不屈の精神で、伝染病である天然痘の猛威に立ち向かった一人の町医者の奮闘。国民の命、子ども達の未来、患者一人一人と向き合い、命の尊さを医療を通して問う。疫病は、いつの時代にも私達人類を襲う。この作品が題材にしている天然痘(疱瘡)だけでなく、近年ではコロナウィルス、手足口病、伝染性紅斑、マイコプラズマ肺炎、ロタウイルス・ノロウイルス感染症、季節性インフルエンザ、RSウイルス感染症(※1)。題材となっている天然痘は、人類が根絶した唯一の感染症と呼ばれている一方、過去にはペスト(540年頃:ヨーロッパの中心都市ビザンチウムに広がる。14世紀:ヨーロッパで「黒死病」と呼ばれた)、新型インフルエンザ(1918年:スペインかぜが大流行。1957年:アジアかぜの大流行。1968年:香港かぜの大流行2009年:新型インフルエンザの大流行)、新興感染症(1981年:エイズ(後天性免疫不全症候群、HIV)1996年:プリオン病1997年:高病原性鳥インフルエンザ人2002年:SARS(重症急性呼吸器症候群))、再興感染症(結核、マラリア)など(※2)、私達は未知のウィルスと隣り合わせで生きており、常日頃から集団での食中毒の危険性(※3)と共存している。映画『雪の花 ともに在りて』は、数年ごとに大流行して多くの人命を奪う疫病から人々を救おうと奔走した実在の町医者の姿を描く。私達人類は、これからの未来においても、どうウィルスと共存し、折り合いを付けて行くのか問われている。今、この「共に在りて生きて行く」が非常に求められている。

笠原良策。彼は、江戸時代末期に未曾有の疫病となった天然痘と真っ向から闘った一人の無名の町医者だ。その姿に焦点を当てたのが、歴史小説家の吉村昭の小説『雪の花』を下敷きに作り上げた本作だが、描かれている姿は笠原良策のほんの一部分だ。私達は、彼の存在を知ることも無く、今を生きているが、今こうして幸せに暮らせているその背景には、彼のような名も無き医者達が、自身の命を惜しまず、多くの人類の命を救おうと激闘した歴史の事実を知る必要がある。小説家の吉村昭が、天然痘を題材にした小説は『雪の花』の他に、『北天の星』『花渡る海』(※4)があり、吉村自身も小説家として生涯を賭けて、笠原良策のように天然痘と向かい合ったのだろう。映画は、笠原良策がどのように天然痘の種痘や痘苗を自身が拠点とする福井県を始め、その周辺地域に伝授して行ったのか、その過酷さと彼の覚悟を描いているが、誰も彼の青年期と晩年は知らない。町医者の笠原が、一体何者でどんな医者なのか知らない。ただ知っているのは、天然痘と闘った人物と言うだけだ。それでも、彼の功績は今の世にも受け継がれ、こうして現代に映像作品として蘇っている。また笠原良策の他に、多くの名も無き町医者が天然痘と闘っている。吉村昭が上梓した小説『北天の星』では中川五郎治、『花渡る海』では久蔵という町医者の激闘に焦点を当てている。笠原良策もまた、たった一人で向き合った訳ではなく、彼の活動を支えるかのように三崎玉雲・大岩主一など10名ほどの名も無き町医者が、彼の活動に賛同している。彼ら無名の町医者達が、国民の命、日本の未来を救ったからこそ、今の日本があり、現代の私達が健康に過ごせる社会を守り抜いてくれた。彼らが居なければ、今の日本はない。

江戸時代末期、天然痘の恐怖に陥った当時の日本人だが、私達令和の現代に生きる日本人もまた、江戸時代の国民達と同様に感染症の猛威に遭遇した。2020年初頭、中国から突如として出現したコロナウィルスは、一気に日本中に広がった。水際対策が疎かだった当時の日本政府の失態もあるかもしれないが、ウィルスの恐怖に誰もが皆、食い止める策を知らなかったはずだ。時の政府を批判する事は簡単だが、2020年頃の私達自身個人個人がコロナとどう向き合い、どう立ち向かったのか再度、振り返る必要があるのかもしれない。それでも、医療現場で猛然と奮うウィルスの脅威に立ち向かった医療従事者達の奮闘、葛藤、激闘には頭が下がる思いでいっぱいだ。2000年初期に発生した未知のウィルスであったSARSの時は、イタリア人医者カルロ・ウルバニ氏(※5)がたった一人でSARSウィルスに立ち向かい、命を終えた。2020年代初頭のコロナパンデミックの時、日本で最初に未知のウィルスに闘いを挑んだ医師は、奈良県桜井市で「のぞみ診療所」を運営する飯岡弘伊院長(※6)だ。彼もまた、日本の多くいる名も無き町医者の一人だ。日本での初期のコロナの感染経路は、以下のようなものだ2020年1月15日に中国・武漢市から帰国した神奈川県の30代男性の感染を確認。1月28日に奈良県のバス運転手の感染を県が発表。国内初の二次感染と確認。この奈良県の2例目が、「のぞみ診療所」のケースであり、ここでの診断に誤りが起きていたら、もっと酷いパンデミックが起きていたと考えたら、町医者達の奮闘には尊敬の念しか抱かない。江戸時代末期に疫病との闘いに人生を賭けた名も無き町医者の笠原良策のように、令和初期に登場したコロナパンデミックにおける名も無き町医者の活躍が、現代の世と江戸時代の世を結ぶ。映画『雪の花 ともに在りて』を制作した小泉堯史監督は、あるインタビューにてコロナを題材に本作が誕生したのかについてこう話す。

小泉監督:「コロナのことはプロデューサー的に、「これは」というのはあったと思います。 僕は撮影が終わっても公開までなかなか次に進めないんです。でも、コロナで3年も4年も空いたので、プロデューサーも心配して、いくつか企画を提示してくれましたが、 それはどうも合わなくて。それで、「吉村さんの 『雪の花』 だったらどうですか」という話をしたら、ぜひそれをと。コロナを意識していないわけではありませんが、歴史と伝統を大切に、医者として病に対峙(たいじ)し、いかに生きるか。その生き方を問う作品ではありますね。」(※7)。監督は、コロナかどうかは関係ないと話す。どんな時代、どんな未知のウィルスが襲って来ようとも、私達人類は今をどう生きるかを小説や映画、笠原良策の姿を通して問いていると言われているようだ。私達はなぜ、生きるのか?なぜ、今を生きなければならないのか。その疑問に対する答えは、どこにもない。どこに問い合わせたら、その答えに辿り着けるのだろうか?私達はなぜ、今を必死に生きて、強く生きて生きなければならないのだろうか?
最後に、映画『雪の花 ともに在りて』は、数年ごとに大流行して多くの人命を奪う疫病から人々を救おうと奔走した実在の町医者の姿を描く作品で、それと同時に、私達に静かに問い掛けている。なぜ、私達は今の世にも生きているのか?江戸時代でも、昭和時代でもなく、今のこの令和の時代に縁があって生きている。あのコロナ禍の混乱の中、必死に生き抜いて来れた私達だからこそ、現代のアフターコロナの今、これからの未来の行く末を問うている。共に在りて、共に生きる。いつ、どんな疫病が襲って来ようとも、私達は未来の「雪の花」を咲かさなければならない。

映画『雪の花 ともに在りて』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)インタビュー 学校で流行する感染症と結核検診の変更https://www.gakkohoken.jp/special/archives/107(2025年2月16日)
(※2)人類を脅かす感染症のパンデミック(世界的大流行)https://www.seirogan.co.jp/fun/infection-control/infection/pandemic.html(2025年2月16日)
(※3)うなぎ弁当で集団食中毒 手洗い不十分 調理台汚染の調査結果https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240805/k10014537951000.html(2025年2月16日)
(※4)はじめに 吉村昭一闘病体験と医学小説一https://www.yoshimurabungakukan.city.arakawa.tokyo.jp/webexhibition/igaku2021/introduction/index.html(2025年2月17日)
(※5)SARSと戦った男、 ウルバニ医師の軌跡を辿る~ハノイ、バンコク(前編) 【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】https://wpb.shueisha.co.jp/news/technology/2023/10/14/120692/(2025年2月18日)
(※6)「これはやばい」 国内初の二次感染、見抜いた町医者は
https://www.asahi.com/articles/ASP1N6QS3P1LPOMB00V.html(2025年2月18日)
(※7)小泉堯史監督、松坂桃李「この話は、今だからこそちゃんと残す意義があると思いました」 『雪の花ともに在りてー』 【インタビュー】https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1459686(2025年2月18日)