五十年目の答え合わせ映画『50年目の俺たちの旅』


あの時の旅から数えて50年という月日が流れた。多くの時代を駆け抜け、様々な出来事を経験し、それぞれに歳を重ねた当時の若者達が終生の最終終着点に辿り着く一歩手前の人生行路。共に汗を流し涙を流し、時に笑い合い殴り合った。50年前の若かりし頃が、つい昨日のように思い出される。まるで、長い年月が経ったとは思わされない感覚もあり、あるのは昨日と今日、今日と明日の時間の狭間に嵌っている感覚だ。懐古主義なんて呼ばれたくはなく、過ぎ去りし日々の思い出を振り返りながら、当時の若者達は明日を生きている。身体が元気な限り、命続く限り、俺たちの旅に終わりは来ない。果てぬ旅先の結末は、誰にも描けない人生最高の時。次の世代の若者達が、同じ道を歩けるように轍を作ったかつての若者はもうここには居ない。彼らは立派な大人へと成長し、あの頃に抱いていた焦燥感はどこかのバス停留所に置き去りして来たようだ。映画『50年目の俺たちの旅』は、1975年に日本テレビ系列で連続ドラマとして放送開始され、その後も主人公たちの人生の節目ごとにスペシャルドラマが制作されて来た同シリーズの20年ぶりとなる続編だ。どれだけ時間が過ぎたとしても、どれだけ歳を重ねたとしても、あなたはあなた一人。変わらない青春、記憶として焼き付いた思い出、淡く夕焼け色の初恋が今も心の片隅にこびり付いて離れない。50年目の旅の答え合わせが、今、始まろうとしている。

今の時代に非正規雇用に派遣、アルバイト、ニート、プー太郎と呼ばれる定職にも就かずブラブラと過ごす若者達が人口的に増加したが(結局、私もこの種族に属するどうしようもない若者だが、若者には若者なりの夢を抱えて生きている)、この物語に登場する3人の若者達はプー太郎の走りであり、地で行く者達ばかりだった。70年代の若者達は、大都会東京の都会の広大さに憧れて、6畳一間、共同風呂トイレの下宿先に居を構え、上京して貧乏を地で行く多くの若者達がいただろう。その一部の若者は、大学時代の学生生活を逸脱し、いつもプラプラ遊び呆けてた。世間からプー太郎なんて呼ばれる恥じらいを抱きながら、プー太郎として学生時代の青春を謳歌していたあの頃。いつから何もせずに毎日、プラプラ遊んでるだけの若者達をプー太郎と呼ぶようになったのだろうか?実際、「プー太郎」という言葉は、終戦直後の1945年以降頃から、横浜の港湾地域で使われ始めた俗語が語源とされている。その由来と変遷には、桜木町から野毛(現在の野毛町)周辺に集まっていた日雇い労働者を指して使われ始めた。この言葉の語源には、定まった職業や住所を持たず、風のように現れて風のように姿を消していく様子から「風太郎(ぷうたろう)」と呼ばれるようになった風来坊の発端。その後、世間で一般的にプー太郎と呼ばれるようになったのは、この作品がドラマで始まった頃の1970年代の日本社会でだ。定職を持たず、プラプラしているすべての放浪人全般を指す言葉として、広く一般に定着した。「履歴書に書けない、無職の頃。そこにもたしかに、人生がある。」(※1)。世間からは仕事にも就かず、ただ日がな一日を過ごす役たたず的な立場の人間として捉えられる世間の風潮が昔からあるが、プー太郎にはプー太郎なりの信条や信念がある。人々は、今の時代を生きるプー太郎達の将来の夢を知っているだろうか?彼らが目指す未来は、個人の価値観や現代の多様な働き方を背景に、必ずしも「正社員になる」だけではなくなっている。世の中のプー太郎達が目指す未来の可能性(※2)には、様々ある。たとえば、一番は正社員としての安定したキャリア。次に、スキルアップとキャリアチェンジ、そして新しい働き方の選択、3つ目が「タイパ」(タイムパフォーマンス)重視、そして何より最後に起業やスタートアップだ。各々が、各々に壮大な夢を持つ一方、現実的にその可能性を叶えられない世の中の不条理さもある。現状と課題には、非正規雇用者の割合は全体の4割近くを占め、正規雇用者との賃金格差が課題となっている。また、希望しながらも正規雇用になれない「不本意非正規雇用労働者」は減少傾向にあるものの、依然として存在する社会。日本のプー太郎達が最終的に目指す未来は、個人の興味、スキル、ライフスタイルによって大きく異なる一方、安定した正社員を目指すにせよ、新しい働き方を選択するにせよ、自身の目標に向けてスキルを磨き、現代社会の多様な選択肢を活用する事が重要とされる。まだまだ社会的に不安定な世の中ではあるが、50年という長い年月を経て、当時の若者だったカースケ、オメダ、グズ六の3人の姿を通して、日本の若者達の未来が見えて来そうだ。三者三様、様々な経験をし、そこには喜び、悲しみ、苦しみ、怒りの50年間の喜怒哀楽を体で体感した彼らが元気な姿を人生の旅をする様は、何物にも代えがたい尊い光を放つ。

私たちは、どんな人間でも人生の中で放浪を繰り返している。迷いに迷って、道の上で立ち竦み、方向性を見失っても、何とか前に前に前進しようとする。それが、私たち人間だ。大人になればなるほど、歳を重ねれば重ねるほど、私たちは人生の放浪の旅に出る。なぜ、私たちは自身の人生に迷い、立ち往生し、引き戻せない一本道を歩み続けるのか?常に、疑問の中にある「人生の放浪」(※3)とは、定まった住処や仕事を持たず、当てど無く彷徨い歩く姿だ。あるいは、その生き方や状態を言い、自由と孤独の中で自己を見つめ直す過程、また根無し草のような生活を意味の持つ。目的のない旅、流浪、漂泊とも言い換える事もでき、目的達成のためではなく「ただそこにいる」体験から、自分自身の内面と向き合い、本質的なものを見出そうとする行動や考え方、姿を表現する。「放浪」における主な意味や側面には、一つの場所に定住せず、転々と移動する物理的な放浪、目的や帰る場所がなく、当てど無く彷徨う精神的な放浪、選択肢が常にあり、自分に委ねられる自由さと、孤独の中で自己と深く向き合う自由と孤独、不安や困難を伴いながらも、自分自身の弱さや可能性、本当に大切なものを見つける自己探求。と、様々な目的と行動で振り分ける事ができるが、この「俺たちの旅」の3人の姿は、すべてに当てはまる。放浪に放浪を繰り返し、やっと見つけたのは心の安住。それでも、彼らまた放浪をし続ける。当てど無い旅の先には、何があるだろうか?ただ、放浪するのは20代だけの若者だけでなく、歳を重ねたシニア世代や若者とシニアの間にいるミドル世代も皆、人生に疑問を抱き、迷いを持って、いつも放浪し続けている。「放浪の先」に何があるのか、放浪する人、そして、旅路の性質によって大きく異なる。考えられる可能性には、新たな発見と成長、目的地の達成、終わりのない旅、そして帰還。結局、放浪の「先」にあるものは、旅人が何を求めているか、そして、旅の中で何を得たかによって異なり、旅で得た経験により形作られると言える。イギリスの作家チャールズ・ディケンズは、言う。「旅行者はその放浪によって家庭のありがたさを学ぶことがいよいよ大切である。」(※4)と名言を残しているが、私達が人生で探しているのは家庭内の温もりであり、仲間との強い絆だ。物理的な家庭の温かさだけでなく、帰還の目的がある安堵感も相乗効果となりうる存在だ。映画『50年目の俺たちの旅』を制作した中村雅俊監督は、あるインタビューにて本作の実景で表現する精神について、こう語る。

中村監督:「50年前のシリーズでもそうでしたし、10年後、20年後、30年後のスペシャルを撮られた斎藤監督(故・斎藤光正さん)も、そこを大事にされていました。最初は手探りで1、2話撮っていましたが、だんだんと「『俺たちの旅』はこういう空気なんだ」と感覚でつかめるようになっていきました。今も斎藤さんが演出したらこうするだろうな、というのは意識の中にずっとあります。セリフだけではない、別の映像が語る世界。それは強く意識していましたね。」(※5)と話す。人生の旅は、セリフでは語られない。そこに登場する人々の立ち振る舞いやバックに映る風景、そしてシーンとシーンの間に挟まれるインサートが、登場人物達の複雑に絡まった人生を物語る。人生とは、容易く語れる物語ではなく、幾度となく迷い、悩み、挫折を繰り返しながら、深みのある語りで語られる。映像で表現される実景にこそ、「確かに、俺はここにいた」という存在証明の何かが埋め込まれている。

最後に、映画『50年目の俺たちの旅』は、1975年に日本テレビ系列で連続ドラマとして放送開始され、その後も主人公たちの人生の節目ごとにスペシャルドラマが制作されて来た同シリーズの20年ぶりとなる続編たが、単なる続編ではない。50年という重く長い月日の流れをバックに、各々の人生が交差する集大成的立ち位置だ。カースケ、オメダ、グズ六が目指す「俺たちの旅」が、どこに向かっているか考えたい。彼らの姿が、単に「お友達ごっこ」のごっこ遊びだと、ゲンナリする声も聞こえるが、私はそう思わない。幾つになっても、友の痛みを理解し合い、支え合い、共に泪を流してくれる友は人生に一度、巡り会えるか会えないかだ。男達はいつも、集まるとついつい童心に戻ってしまう生き物だが、時には友のために泪を流してもいいものだ。50年の月日が表現している「俺たちの旅」の終焉は、彼らの老人ホーム行きか、墓石行きになるかもしれない。けれど、実際の「俺たちの旅」に終わりは来ない。カースケ達3人が辿って来た道は今、現代を生きる若者達に託されている。小椋佳がこの作品に書いた楽曲「俺たちの旅」の歌い出しの一節「夢の坂道は木の葉模様の石畳 まばゆく白い長い壁」は、今の若者が辿り歩いている。そして、もう一つ下の若い世代も近々、歩み始めだろう。「旅」は何度も何度も繰り返され、新しく作り替えられて行くが、彼ら3人が作り上げた人生の「轍」は今もこうして、誰か若者が歩き続けている。

映画『50年目の俺たちの旅』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)「多くの人に著書を読んでもらえた。その価値の源泉は、無職の頃の自分だったんですよね」https://mag.proff.io/interview/shimmei/(2026年1月11日)
(※2)若年フリーターの正社員希望率が減少傾向、Z世代のタイパ重視が影響かhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000637.000010591.html(2026年1月11日)
(※4)旅行者はその放浪によって家庭のありがたさを学ぶことがいよいよ大切である。https://www.bingo616.com/entry/2019/10/09/063000(2026年1月11日)
(※5)【インタビュー】映画『五十年目の俺たちの旅』、主演&監督の中村雅俊にインタビュー!「自分の子どものように愛おしい作品」 50年のキャリアが導いた集大成https://hollywoodreporter.jp/news/157801/(2026年1月11日)