ドキュメンタリー映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』一瞬を大事に生きる

ドキュメンタリー映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』一瞬を大事に生きる

2024年5月30日

シド・バレットの知られざる素顔に迫ったドキュメンタリー映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』

©2023 A CAT CALLED ROVER.ALL RIGHTS RESERVED. ©Syd Barrett Music Ltd ©Aubrey Powell_Hipgnosis

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イギリスのロック・バンド、ピンク・フロイドの代表曲「Another Brick In The Wall(PART 2)」の中の歌詩の一節「We don’t need no education(教育は、もういらない)」は非常に反抗的で、反体制の色を纏った衝撃的な言葉だ。私自身、洋楽を好きになった学生時代にピンク・フロイドもよく耳にしたが、その中でもこの曲のこの歌詞、そして非常に過激なミュージック・ビデオには当時、とても驚かされた。学生の時分、ピンク・フロイドの楽曲には陶酔の渦と艶羨の熱視線に熱く絆され、ノックアウト寸前の衝撃で迎えられた記憶が今も鮮烈に残る。子ども達をロボット化しようとする70年代、80年代の英国の教育業界を痛烈な思想で皮肉ったこの楽曲は、20世紀のロック史に燦然と輝く名曲という事は、周知の事実だ。ロックバンドであるピンク・フロイドは音楽ジャンルの一つ、プログレッシブ・ロックの代表格のバンドと呼ばれ、他にキング・クリムゾン、イエス、ジェネシス、エマーソン・レイク&パーマー(EL&P)等が、五大プログレバンドと呼称されている。ロジャー・ウォーターズやデヴィッド・ギルモアが率いたバンド、ピンク・フロイドの最盛期にあたる60年代後半から70年代中心に、数多くのヒット曲を生み出している。先に挙げた名曲「Another Brick In The Wall(PART 2)」を除けば、たとえば、「Astronomy Domine(1967)」「Have a Cigar(1975)」「Brain Damage(1973)」「Echoes(1971)」「Money(1973)」「Shine On You Crazy Diamond(1975)」「Time(1973)」「Wish You Were Here(1975)」「Comfortably Numb(1979)」等があるが、この中でも1973年発表の「Money」の冒頭に流れるレジスター音は、今でも非常に印象的に耳に残っている。ただ、ここまででピンク・フロイドを調べて行くうちに、私が感じたのは、どちらかと言えば、私個人はサイケデリック・ポップにしても、プログレッシブ・ロックにしても、同時期に活動した同国イギリス出身のハード・ロックバンドのディープ・パープルに傾倒していたと思い出した。ディープ・パープルサウンドは、70年代の英国ロックサウンドの流れを変えたと私は考える。さて、映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』は、このピンク・フロイドというロックバンドの活動初期からメンバーとして携わり、バンド結成のきっかけにもなった孤独のミュージシャン、シド・バレットという人物の過去に焦点を当てている。このシド・バレットとは、ピンク・フロイド結成時の中心人物でありながらも、5年あまりで表舞台から姿を消し、巨大化したピンク・フロイドのインスピレーションの源としてロック史の伝説となった脱俗的人物だ。映画は、関係者のインタビューや当時の幻想的な映像を交えながら、シド・バレットという人間の“狂気”と“天才”の真相に迫った作品に仕上がっている。バンドには、たったの5年しか在籍しなかった半幻の伝説的ミュージシャンかもしれないが、この短期間だけでも残りの未来に何かしらの業績を残したと言えるなら、誰も彼のこの人生を否定する事はできないだろう。

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時は、1960年代後半。世界の音楽シーンでは、世界的人気のザ・ビートルズのメンバー間の不仲や解散の噂が流れ、その一方で、レッド・ツェッペリンやザ・ローリング・ストーンズ、アメリカではザ・ビーチ・ボーイズと言ったロック、ポップバンドがザ・ビートルズの代わりに台頭し始め、音楽ジャンルも単なるロックからハード・ロックやブルースロック、サイケデリックロック、ガレージロックなど、様々なジャンルが混在し始め、アメリカン・プログレ・ハード、グラム・メタル、ストーナーロック、スラッシュ・メタル、デス・メタル、ヘヴィメタル、ブラック・メタル、北欧メタル等、様々な音楽ジャンルの派生系を生み出した。同ジャンル内にて活動した70年代英国のUKロックのバンドには、アイアン・メイデン、ウォー・ホース、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、オジー・オズボーン、ガール、ザ・カルト、ギラン、クリーム、グラハム・ボネット、クロウラー、サクソン、ジェフ・ベック・グループ、ジューダス・プリースト、スウィート、スレイド、デフ・レパード、バッド・カンパニー、ザ・フー、フォリナー、ブラック・サバス、ホワイトスネイク、レインボー、レッド・ツェッペリン等、数多くのロック・バンドが活躍していた。また、ピンク・フロイドのシド・バレットが主体にしていたサイケデリック・ロックのアルバム(※1)には、ザ・ビートルズの『Revolver』、クリームの『Disraeli Gears(邦題:カラフル・クリーム)』、ピンク・フロイド の『The Piper At The Gates Of Dawn(邦題:夜明けの口笛吹き)』、ジェファーソン・エアプレイン  の『Surrealistic Pillow』、ザ・ローリング・ストーンズの『Their Satanic Majesties(邦題:サタニック・マジェスティーズ)』、ドアーズの『The Doors(邦題:ハートに火をつけて)』、グレイトフル・デッド の『Anthem Of The Sun(邦題:太陽の賛歌)』等が挙げられるが、これらの作品群の中のサイケデリックの夜明けを生み出した一人に、初期のピンク・フロイドに所属し、本作の被写体にもなっているシド・バレットとも言われているほど、この時代の音楽性、音楽ジャンル、また後の音楽関係者に多大な影響を与えた伝説的な人物だ。彼は、60年代後半ののまったく新しい革新的な音楽ジャンルの創設者であり、立役者でもある音楽史、ロック史における重要な関係者だ。

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シド・バレット。彼の名を耳にする時、真っ先に思い浮かべるのは、やはり薬物中毒者ではないだろうか?この中毒症状の先に、サイケデリックという音楽ジャンルが誕生したが、世に言う麻薬中毒者はただただ悪いイメージしかない。薬物なので、非常に致し方ない話ではあるが、社会は薬物使用を根絶している訳で、この点を持ち上げたり、褒めたりするのは非常にお門違いだ。薬物使用の危険性(※2)を一言にまとめてしまえば、人間の人体にただただ悪影響でしかなく、最悪死に至る事は周知の事実だから、世間は薬物根絶に向けて、「ダメ。ゼッタイ。」(※3)と薬物乱用に対して声を高らかに啓蒙運動している。それでも、薬物使用のきっかけは、人それぞれ違う道を辿る。たとえば、「好奇心」や「不安」、「友達から誘われた」「仲間はずれが怖くて」などの気持ちの面が挙げられる(※4)。また、ミュージシャンや芸術家で言えば、創作意欲に行き詰まったり、次回作へのプレッシャーに押し潰されて、薬物使用に走る人(※5)は多くいる。ただ私から言わせれば、創作意欲に行き詰まり、プレッシャーに負けそうになって薬物に逃げるのであれば、初めからミュージシャンなんて辞めてしまえばいい。大半の人間は、薬物に頼らず、プレッシャーに打ち勝とうと耐えている。そんな自身と向き合いながら、創作している人間に対して非常に失礼だ。と、世に言うド正論や一般論をぶつけてみる。では、本作の被写体となっているシド・バレットは、どのような経緯で薬物に染まって行ったのか?海外の音楽専門サイトの記事“Syd Barrett: How LSD Created and Destroyed His Career With Pink Floyd”内の一節に拠れば、サイケデリック音楽の制作の為にLSDに手を染めたと、それに近い事が書かれている。以下、引用文。

In 1965, as the foursome that became Pink Floyd were finding their musical footing between classes at London’s Regent Street Polytechnic and Camberwell College of Arts, Barrett had discovered the mind-altering effects of LSD. And the highly intelligent Barrett, already known for marching to his own peculiar beat, began heavily ingesting LSD and producing song lyrics that were seemingly pulled from unknown realms of the cosmos.(※6)

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「1965年、ピンク・フロイドとなった4人組がロンドンのリージェント・ストリート・ポリテクニックとキャンバーウェル芸術大学の授業の合間に音楽の足場を固めていた頃、バレットはLSDの精神を変える効果を発見した。そして、独特のリズムで行進することですでに知られていた非常に知的なバレットは、LSD を大量に摂取し、宇宙の未知の領域から引き出されたかのような歌詞を作り始めた。」と、されている。自身を音楽家として成長させた薬物が、最終的にシド・バレットの音楽家としての人生も功績も、何もかもを潰した大きな原因でもあると考えたら、これは非常に皮肉な事でもある。海外では、シド・バレットのように薬物に走りながら、音楽活動をしているミュージシャンが多くいる(それは、日本でも同じ現象が起きていると言えるが、今回は海外に絞る)。その中でも薬物が原因で早世したミュージシャン(※7)が存在する事も事実だ。早世では無いにしても、薬物乱用が原因でミュージシャン人生の堕落を経験したシド・バレットは、まさにこの種のパイオニアなのかもしれない(良い意味でも、悪い意味でも…)。ドキュメンタリー映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』を制作したロディ・ボガワ監督はあるインタビューにて、ピンク・フロイドに所属していたシド・バレットの存在について聞かれて、こう答えている。

Roddy:“I think, yeah, in terms of the idea that they might have just been an R&B band and just disappeared. Maybe they would have had one hit song or something like that. But the fact that he was writing such weird music, unusual music, made them different right from the very beginning, you know? … I think Roger, in some way, he’s being very generous and sincere about that because they might have just been a regular band.”

ボガワ監督:「シド・バレットがいなければ、彼らはただのR&Bバンドで、そのまま消えて行っていた可能性もあります。彼らは、ヒット曲を1曲くらい出していたかもしれません。しかし、シドがとても奇妙な、普通ではない音楽を書いていたという事実が、ピンク・フロイドを最初から違ったものにしていたのです。… ロジャーはある意味で、そのことについてとても寛大で誠実だと思います。なぜなら、彼らはただの普通のバンドだったかもしれないからです。」と話す。バンドにとって、シド・バレットという存在が如何に大きいか、映画関係者や同バンドのメンバーでもあるロジャー・ウォーターズの口から語られるすべてが、真実なのだ。

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最後に、ドキュメンタリー映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』は、ロック史の影に押し潰された一人のロッカーの生きた証と生き様を描いた作品だ。ただ、一部の往年のピンク・フロイドのファンや洋楽ファン、ロックファンは皆口を揃えて、「シド・バレットは、薬物乱用が原因で衰退した人間。」と罵る人も見られるが、私はシド・バレットや他のアーティストに対して、リスペクトもしているからこそ、そんな事は思えない。ただ薬物乱用に関して、擁護も賛成もしたくないが、シド・バレット等が薬物使用を通して生み出したサイケデリックの世界は、唯一無二の音楽ジャンルだ。確かに、薬物が原因でたった5年という在籍期間でしかピンク・フロイドのメンバーとして活動できなかったのは彼自身の自業自得ではあるが、その反面、この5年間に掛けた音楽への知的探究心は後のロックシーン、洋楽シーンに多大なる影響を残している。この点を思えば、彼が残した偉業は何ものにも変え難い。それは、薬物乱用に溺れながらも、シド・バレット自身がこの時代の一瞬一瞬の刹那的な人生を、命を掛けて生きた事実に他ならない。一瞬を大事に生きる事を、シド・バレット自身が教えてくれているようだ。

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ヒューマントラストシネマ有楽町 | 大人の休日が過ごせる心地の良い映画館 (ttcg.jp)ドキュメンタリー映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』は現在、5月17日(金)より東京では渋谷シネクイントヒューマントラストシネマ有楽町。関西では、大阪府のテアトル梅田、京都府のアップリンク京都、兵庫県のシネ・リーブル神戸にて上映中。全国の劇場にて公開中。

(※1)史上最高のサイケデリック・アルバム25選https://www.udiscovermusic.jp/stories/the-25-greatest-psychedelic-albums?amp=1(2024年5月28日)

(※2)薬物乱用防止 「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用の影響https://dapc.or.jp/kiso/04_effect.html(2024年5月30日)

(※3)普及啓発活動 「ダメ。ゼッタイ。」普及運動https://www.dapc.or.jp/torikumi/01_spreading.html(2024年5月30日)

(※4)薬物乱用のきっかけhttps://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/22-8-1-2-0-0-0-0-0-0.html(2024年5月30日)

(※5)逮捕された歌手/ミュージシャン30選!大麻・覚醒剤など薬物が多い/衝撃順にランキング【最新決定版】https://arty-matome.com/I0000661#google_vignette(2024年5月30日)

(※6)Syd Barrett: How LSD Created and Destroyed His Career With Pink Floydhttps://www.biography.com/musicians/syd-barrett-pink-floyd(2024年5月30日)

(※7)早逝した5人の才能溢れるミュージシャン〜背景にあった社会的問題とは?https://www.earpeace.jp/blogs/earpeace-japan-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/%E6%83%9C%E3%81%97%E3%81%8F%E3%82%82%E6%97%A9%E9%80%9D%E3%81%97%E3%81%9F%E6%89%8D%E8%83%BD%E3%81%82%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%82%8B5%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3(2024年5月30日)