映画『旅の終わりのたからもの』あなた一人一人の「たからもの」を

映画『旅の終わりのたからもの』あなた一人一人の「たからもの」を

ホロコーストが残した、父と娘の深い傷、高い心の壁。映画『旅の終わりのたからもの』

©2024 SEVEN ELEPHANTS, KINGS&QUEENS FILMPRODUKTION, HAÏKU FILMS

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HAÏKU FILMS

ルーツを辿り、自分を見つける家族という名の長い旅路の果てに。親子の旅は、生まれてから死ぬまで続く二人三脚のようなもの。時に障壁を共に乗り越え、困難を分かち合いながら、長い旅程を歩む。しかし、その道中は決して平坦ではない。激しい衝突や意見の相違、分かち合いたくても分かち合えないもどかしさが、永遠に続くかのように感じられる事もある。本来、子は親に感謝し、親は我が子に愛情を注ぐもの。しかし、その均衡が崩れた時、関係は一気に危うくなる。感謝すべき親に対して殺意に近い憎しみを抱き、あるいは愛すべき我が子に手をかけてしまう母親の心中(※1)。私たちは一体どこで、人間としての道を、選択を間違えてしまうのか?旅の終着点に待っているのは、果たして家族の絆なのか?映画は、そんな人生の旅を後押しするツールでもある。親の干渉を嫌い、見知らぬ地へ憧れたかつての子どもたちも、映画に影響を受けて旅に出る若者も、等しく自らの人生を歩んでいる。​『旅の終わりのたからもの』が問いかけるものを通して、親と共に旅をする事は同じ時間を共有し、互いの人生を重ね合わせるという事。老いていく親を支え、こちらも支えられる関係は、他人とのそれよりも遥かに濃密で複雑。映画『旅の終わりのたからもの』は、1990年代初頭のポーランドを舞台にしたロードムービー。ホロコーストを生き抜いた父。ニューヨークで生まれ育った娘。この二人が家族の歴史を辿る旅路が、ユーモアと温かい眼差しで描かれる。自分自身を見つける為の「家族史」。家族の歴史は、誰にとっても欠かせない大切な記録。自らのルーツを辿るという行為は、本当の自分を見つけ出す為の長い旅路に他ならない。家族という存在があるからこそ、今の自分が存在する。あなたにとって、家族とはどのような存在か?この映画をきっかけに、その原点に立ち返る時が来ているのかもしれない。

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映画の核心、それは「歴史の傷跡」と「時代の咆哮」が、静かに、しかし決定的に激突する親子の肖像にある。この物語の舞台は、1991年。それは世界が大きく息を吐き、そして新たな産声を上げた特異点。娘が呼吸するニューヨークは、勝利と楽観の香りに満ちていた。1月から2月に終結した湾岸戦争の勝利、そして12月に起きたソ連崩壊により「冷戦終結」を決定づけた時期。米国は唯一の超大国として君臨する始まりを象徴し、国際社会での主導権を確立。3月からの景気拡大局面に入り、IT投資を背景とした「ニュー・エコノミー」(※2)へ向けた楽観論が芽生え始めた転換点だ。ソ連崩壊を受け、米国中心の「一極集中」の秩序が確立したこの時代、湾岸戦争の勝利で世界的な影響力を誇示した軍事的・国際的役割は、そのまま父ブッシュ政権(※3)の安定した指導力へと帰結する。10年以上にわたる景気拡大の幕開けに立ち、エネルギッシュな未来へと突き進むアメリカ。そこには、過去の重力から解き放たれ、光輝く地平を信じて疑わない娘の世代の、ある種の「無邪気な残酷さ」が漂っていた。しかし、その両対極に立つ父親の瞳には、1991年はどう映っていたのだろうか?​ホロコーストという、人類史が刻んだ最深の闇を生き延びたポーランド人である彼にとって、1991年のポーランドは単なる「共産圏の崩壊」ではなかったはずだ。それは、かつて自らを抹殺しようとしたナチズム、その後に塗り潰されたスターリニズムという二重の抑圧から、祖国がようやく解放された瞬間。しかし、自由の光が強ければ強いほど、彼が背負う「生存者の罪悪感」と失われた同胞たちの沈黙は、より深い影となって足元に伸びていた。ヨーロッパの血と泥にまみれた記憶を抱える父と、アメリカの成功と自由を謳歌する娘。この二人の間にある溝は、単なるジェネレーション・ギャップではない。それは、20世紀という激動が残した「旧世界」と「新世界」の断絶そのものが親子の間に横たわる。1991年という、ヨーロッパとアメリカの力関係が顕著に入れ替わった劇的な時代設定。その主軸に置かれていたのは、歴史という暴力に晒された父親の「終わり」と、システム化された繁栄の中を歩む娘の「始まり」という残酷な交代劇だ。​埋まらない溝、交わらずに先を行く平行線。一体、どのタイミングで分かち合えばよいのだろうか?誰もが経験した事のある親子関係における積年の陰鬱さを、どうすれば消し去れるのか。父が見つめる「灰色の記憶」と、娘が踏み締める「黄金の未来」。その視点の解釈が重なり、1991年のポーランドという鏡に父の孤独が真実として映し出された時、私達はこの物語が意図する、魂の救済という一段階上の理解に到達し及ぶのかもしれない。

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生存者たちが直面した「記憶の墓場」と「空白」のジャーナリズムの影にあった凍土が解けゆく1991年のポーランド。​1991年、ポーランド。冷戦の鉄のカーテンが引きちぎられ、共産主義の灰の中から民主化という新たな光が差し込み始めたこの年、かつての故郷を再訪したホロコースト生存者達の目に映ったのは、希望ではなく、残酷なまでに静まり返った「記憶の墓場」だった。それは、民主化という激動の最中、未解決のトラウマと変わらぬ反ユダヤ主義の陰が交錯する、複雑で冷たい場所への帰還となった。かつてユダヤ文化が色鮮やかに息づいていた町や、悲劇の象徴であるゲットー跡地。そこを訪れた生存者が直面したのは、かつての面影を完全に失い、コミュニティが消滅した「ゴーストタウン」としての現実。自分達がかつて食事をし、笑い、眠った家には、いまや全く見知らぬポーランド人が住んでいる。その窓から漏れる生活の音は、帰郷者に強烈な疎外感と喪失感を突き付けた。1991年という断面において、残されたのはアウシュビッツのような死の収容所か、物理的に破壊された家屋の跡地のみ。かつての生活のレイヤー(層)は無慈悲にも剥ぎ取られ、再訪は深い喪失感を再確認するだけの、痛ましい儀式と化した。当時のポーランド社会は、自らもナチスの犠牲者であるという「犠牲者意識」を強く盾にしていた。しかし、その陰でポーランド人がユダヤ人殺害や通報に関わった凄惨な事実(Edwabne事件など)は、まだ公の歴史として認識されていなかった。戦後に起きたKielceポグロム(反ユダヤ暴力)などの真実は厚い沈黙のベールに包まれたままであり、生存者達はこの「歴史の改竄」に対して、激しい憤りと絶望を感じる事となった。ポーランド人の抱える「加害心」と「傍観罪」への複雑な感情は、民主化の熱狂の中でも置き去りにされていた。皮肉にも、当時の民主化は必ずしも寛容を意味しなかった。1991年前後、ポーランド社会には依然として根強い反ユダヤ主義が澱(おり)のように沈殿していた。故郷を訪れても、待っていたのは温かい歓迎ではなく、警戒心に満ちた冷淡な視線。ポーランドの民主化に伴い、過去の歴史認識を巡る議論が再燃し、ユダヤ人への偏見は解消されておらず、訪れた生存者は政治的な対立(※4)や、過去の歴史認識を巡る議論の再燃により、常に「招かれざる客」としての緊張感に晒された。自由を手にした事により、隠されていた偏見が再び表面化し、訪問者たちは「ユダヤ人のいない場所で語られるユダヤ人問題」という、奇妙で歪な現実に直面した。そうした逆風の中、一部の生存者達は沈黙を拒み、自らの体験を「本当のポーランド」として記録し、次世代を連れて再訪する道を選んだ。それは、歴史の風化と改竄に抗う、最後の戦いでもあった。1991年5月、レフ・ヴァウェンサ大統領はイスラエル議会で、歴史的な反ユダヤ主義について謝罪を行った。これは政府による歴史直視の第一歩に見えたが、現実はより残酷だった。この謝罪はポーランド国内の保守層からは猛烈な反発を受け、長年、沈黙という暴力を受けて来た生存者達にとって、救いではなく、逆に拭い去れない複雑な思いと、社会との決定的な断絶を浮き彫りにする結果となった。1991年のポーランドへの帰郷は、生存者達にとって「愛憎」と「深いトラウマ」、そして「過去の清算」を求めながらも、それが決して叶わない事を知る、極めて苦痛に満ちたプロセスの連続だっただろう。民主化という歩みの中、過去の対立をどう精算すべきか。その問いに対する答えは、1991年という時代においてはまだ、冷たい凍土の下に深く埋もれたままだったのかもしれない。

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1991年、ポーランドで起きた「記憶の核融合」に対して凍土が解ける時はいつだったか?​1991年、ポーランド。冷戦の鉄のカーテンが崩れ去り、東欧革命の余震が続くこの地は、歴史の巨大な転換点に立っていた。共産主義という厚い氷が溶け出し、剥き出しになった大地に、二つの異なる魂が降り立った。一方は、かつてこの地で地獄を見た「ホロコースト生存者(祖父母・父母世代)」。もう一方は、自由の国アメリカで育った、眩いばかりの未来を背負う「ユダヤ人の若者(孫・子ども世代)」だ。この両者が、激動のポーランドという「現場」で交錯した時、単なるルーツ探しを超えた、凄まじいエネルギーの「化学反応」が引き起こされた。それは、「凍りついた過去」(※5)と「自由な現在」の衝突であり、そして融合の先の物語だ。Site of Memoryが突きつける血の通った真実は、​神話から現実へ昇華される。​アメリカの若者にとって、ホロコーストは教科書のインクの跡であり、映画の中のモノクロームの悲劇でしかなかった。しかし、1991年のポーランドで、生存者がかつて息を潜めた隠れ家、そしてアウシュヴィッツやトレブリンカの土を踏んだ瞬間、その「神話」は露骨に崩壊の道を辿る。​目の前に広がる光景は、もはや遠い物語ではなく、生存者の震える手、かつての我が家を見つめる眼差し。それらが、抽象的な知識を、耐えがたいほどに生々しい「現実(The Reality Check)」へと変貌させた。若者達は、自分達のルーツが、この泥濘と静寂の中に確かに存在した事を悟る。それは、彼らが内面化すべき「生の記憶」(※6)として、魂に刻印された証である。​「沈黙」の決壊と「カタルシス」の連鎖のよって。​生存者達にとって、ポーランドは歴史の中のトラウマの象徴であり、「もう二度と戻るまい」と誓った憎き場所だった。長年、彼らは孤独と恐怖から「沈黙(Breaking the Silence)」を守り続けて来た。しかし、1991年の解放された空気の中で、熱心に歴史を渇望するアメリカの若者たちと対峙した時、その重い口や凍った心が開き溶け始める。それはまるで、中央ヨーロッパに位置するヨーロッパの凍土の溶解のようであもある。​生存者側が、自身が経験した凄惨な過去を語る事は、自らの傷口を広げ、そこに塩を塗る行為だ。しかし、自由な未来を象徴する若者へ体験を託す事は、人生を肯定する「癒やし(カタルシス)」のプロセス(※7)にもなり得た。一方で若者側は、歴史の証人から直接バトンを受け取った瞬間、彼らの中に強烈な「使命感」が芽生え始めた1991年の冬。​この時、個人的な悲劇は、世代を超えて共有される「歴史」へと初めて昇華された奇跡の瞬間だ。​歴史の再発見とは、廃墟に灯る明かり、人々が故郷に帰る事を指す。当時のポーランドにおいて、ホロコーストの記憶は複雑な立場に置かれていた。共産主義政権下では、ユダヤ人の悲劇は「反ファシズム」という大義の中に抽象化され、意図的に棚上げされて来た側面があった。​しかし、生存者と若者が対になって各地を訪れる事は、忘れ去られていたユダヤ人墓地や崩れかけたシナゴーグに再びスポットライトが当たる大きなきっかけでもあった。彼らの歩みが、物理的な「廃墟」を、生きた「追悼の場(Resurrecting Memory)」へと変えて行く大きな変化と化学反応を与えた。普遍的な「人権」への昇華を目指すには、アメリカ的価値観との化学反応が必要だった。この出会いには、アメリカ的な「自由と人権」の視点が色濃く反映されていた。アメリカで育った若者達は、ホロコーストを単なる「同胞の悲劇」として捉えただけでなく、人類普遍の問いとして再解釈した。「なぜ、こんな事が起きたのか?」「私たちは、次世代として何をすべきか?」若者達が自身に投げかける真っ直ぐな問いは、生存者に「自分の物語は死なない」という安心感を与える一方、時に「今の世代にどこまで理解できるのか」という一抹の葛藤も生んだ。しかし、この摩擦こそが、記憶を風化させない為の強力なエネルギーとなり、次世代の、そのまた次世代にまで語り継がれる事となる。1991年が遺したもの、それは記憶の「凍結解除」。1991年のポーランドは、依然として貧しく、共産主義の影が色濃く残る緊張感に満ちた場所だった。しかし、この場所で、生存者の「傷」と若者の「衝撃」が融合し、それまで家族や限られたコミュニティの中で静かに語られて来た物語は、この時期を境に、ドキュメンタリーや教育の場を通じて世界へと広く開かれていく。この「個人的なトラウマ(Trauma)」を「共有可能な歴史(Memory)」へと変える「継承」の過程は、後に数多くの映画や文学に人間的な深みを与えた。そして、「マーチ・オブ・ザ・リビング(March of the Living)」のような、次世代を現地へ送る国際的なプログラムへと結実して行った。「私はここで生き残った」という生存者の震える言葉が、アメリカの若者達の「私たちがこの場所を守り抜く」という決意に変わった。1991年、ポーランドの冷たい風の中で起きたこの化学反応は、ホロコーストの記憶を永遠の遺産へと変える、歴史的な分岐点として昇華された。映画『旅の終わりのたからもの』を制作したユリア・フォン・ハインツ監督は、あるインタビューにて、本作の制作経緯や自身と母との関係、アウシュヴィッツ訪問体験について、こう話している。

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ハインツ監督:「これは夫と共同執筆した5作目の作品です。登場人物たちと寝て、一緒に目を覚ます。そして、登場人物たちに恋をしてしまうので、時にはとても辛いこともあります。でも、それが私たちの関係を生き生きとさせてくれるんです。一緒に仕事をするプロセスが好きです。私たちは25年来の知り合いで、たくさんの出来事を一緒に乗り越えてきました。二人ともこの小説が大好きでした。母が90年代後半に私にくれたんです。(リリー・ブレットと同じく、フォン・ハインツの母もユダヤ人の生存者の娘で、リリーが声を与えた「第二世代」の一部です。)700ページに及ぶ小説で、映画では描かれない多くのサイドストーリーが展開されます。父と娘の物語の核心に迫るまでには長い時間がかかりました。(フォン・ハインツは、この二人の関係を、全く似ていない二人の「ラブストーリー」と表現しています。)リリーが私たちのそばにいてくれました。彼女はプロセスにとても興味を持っていて、最初の草稿から最後の草稿まで読んでくれました。彼女にとって、これはとてもパーソナルな物語なのです。初めて訪れたのは2016年で、衝撃的な体験でした。それ以来、何度も訪れています。フェンスの外と国境沿いの駐車場での撮影が許可されました。なぜなら、観光客がそこにいる間は邪魔ができず、撮影クルーは敷地内に入ることが禁止されていたからです。私たちのクルーは兵舎の近くで写真を撮ることを許可され、VFXチームはポストプロダクションで2人の俳優の背後に映像を挿入することができました。」(※8)と話す。2026年という「未来」に足を踏み入れて尚、私達はアウシュヴィッツの静寂と、ホロコーストの慟哭を語り続けているのはなぜか?歴史とは、往々にして権力の影に隠され、忘却という名の深淵に突き落とされる憂き目に遭うものだ。しかし、真実は数多の沈黙を破る人々の口によって、未来永劫、血の通った言葉として紡がれなければならない。そうでなければ、私達は再びあの地獄への片道切符を手にする事になるだろう。​迫害や拷問が「過去の遺物」として是正される、そんな光なき負の世界の終焉。それは近い将来、必ず訪れると信じたい。いや、私達はすでにその「分岐点」に立たされていると言っても過言ではないはずだ。​だが、現実はあまりに冷徹過ぎる。「過ちは繰り返される」という警句を嘲笑うかのように、今この瞬間も、世界のどこかで硝煙が上がり、無辜の民の悲鳴が空を引き裂いている。どれほど歴史を紐解き、痛みを分かち合おうと、人間の根源に巣食う支配への渇望は、容易には拭い去れない。​閉ざされた庭の向こう側には、一つの「物語」が私達の視界を塞ぐ。スクリーンに映し出されるのは、美しく手入れされた庭と、そのすぐ隣で煙を吐き出す収容所の壁だ。​物語が進むにつれ、カメラは執拗なまでに「親子の肖像」を捉え始める。父の背中に憧れる娘の無垢な瞳と、その娘に慈愛を注ぎながら、壁の向こうの悲劇に完璧な無関心を貫く父。その異常なまでの日常性こそが、今の私たちが直面している戦争の正体ではないだろうか?​静かなるクライマックスに向けて、どうすれば、私達はこの連鎖を断ち切れるのか?今の戦争を終わらせる鍵は、恐らく、この映画が描く「親子の関係」の切れ目に隠されている。父が娘に教えるべきだった事は、壁を高く築く方法ではなく、壁の向こう側で流れる涙を想像する力だったはずだ。劇的なBGMが消え、ただ風の音だけが響くシーンの連続。その時ふと、私達は気づかされる。この親子が交わす何気ない言葉の裏側に、世界を破滅させる「無関心」という名の猛毒が潜んでいる事実に。世界の​光がフェードアウトしていく中、最後に残るのは暗闇の中、観客である私達の胸の鼓動だけだ。この映画の親子が選ばなかった「対話」を、私たちは今、始める事ができるのか?その答えの中にしか、新しい夜明けは存在しない。

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最後に、映画『旅の終わりのたからもの』は、1990年代初頭のポーランドを舞台に、ホロコーストを生き抜いた父とニューヨークで生まれ育った娘が家族の歴史を辿る旅路を、ユーモラスかつ温かい眼差しで綴ったロードムービーだ。この物語は、単なる物理的なロードムービーでもなく、単なる心の軌跡を追うロードムービーでもない。それは、アメリカとポーランドという二つの国の血と文化が流れる、ある親子の「歴史」を辿る巡礼だ。長くつらい旅を乗り越え、彼らがもう一度降り立ったのは1990年代のポーランド。半世紀前の大戦時とは異なり、未来への幸福に向かおうとする人々の躍動する前夜だ。それでも、1989年の体制崩壊直後の荒廃し、殺伐とした荒野の上に佇む親子の行く末が、どんな未来なのかは誰にも想像できない。​映画『旅の終わりのたからもの』には、二つの原題が存在する。小説版の『Too Many Men』。これを直訳すれば「あまりにも多くのものを背負いすぎた男」。過去の惨劇を背負い生きて来た父が、娘との旅を通じて、その重すぎる荷物を一つずつ降ろしていく姿が、スクリーンの粒子越しに痛切に響き渡る。そして、映画版の原題『Treasure』。トラウマを払拭する決意の先に、父親がようやく見つけ出した「真の宝物」への気づき。1991年、アメリカへ渡ったホロコーストの生存者である父が、娘と共に記憶の断片を拾い集めるプロセスは、単なる再訪を超え、隠し続けて来た自身が体験した凄惨な出来事との対峙であり、語り始めるという「魂の救済」を描く。これは過去からの癒しであり、未来への出発を意味する聖なる儀式だ。猛スピードで​加速する世界、置き去りにされる2つの魂は、どこに向かう?1991年以降、ポーランドはショック療法的な経済改革を経て、NATOやEU加盟という華やかな未来へと猛スピードで駆け抜けて行った。対するアメリカは、冷戦終結後の黄金期を謳歌しながらも、9.11のテロ、格差、分断という、決して平坦ではない茨の道を今も歩んでいる。劇中、親子がタクシーの後部座席で繰り広げる和解の対話は、歩み寄ろうとする両国の政治的メタファーにも思えてならない。​だが、ここで私達は一度、立ち止まらなければならない。「なぜ、彼らはこれほどまでに早いスピードで未来に向かって走ったのだろうか?」​スクリーンの中で、タクシーは荒野を猛スピードで駆け抜けて行く。その車窓から流れ去る景色は、私達が置き去りにして来た「対話」や「記憶」そのものではないか。日本版タイトル『旅の終わりのたからもの』が指し示すのは、物理的な遺品などではない。父が旅の果てに再発見した、たった一人の愛娘という名の光だ。​しかし、これは一つの仮説に過ぎない。映画が終わり、場内が明るくなった時、あなたの手の中には何が残っているだろうか?猛スピードで加速する現代社会という車の中で、私たちは隣に座る人の囁かな声を聞けているだろうか?過去の悲劇を「終わったこと」として加速し続けるそのスピードが、また新たな壁を作ってはいないか?涙を流すだけでは、もの足りない。この親子の痛切な和解の裏にある、今なお続く戦争と分断の現実を直視して欲しい。どうか、あなた一人一人の「たからもの」をこの映画から見つけ出して欲しい。その宝物こそが、加速し続ける世界のブレーキになるはずだから。​あなたは、この猛スピードで走り去る車の窓から、何を発見しようとしているか?

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映画『旅の終わりのたからもの』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)【西東京4人母子死亡】「誰もいないはずの自宅」で妻と子供3人が倒れていて…現場の状況が示す無理心中を図った可能性 契約していた別マンションでは男性遺体も発見https://bunshun.jp/articles/-/85144?page=1(2026年2月13日)

(※2)冷戦後の世界を大きく変えた湾岸戦争の影響とはhttps://eleminist.com/article/3790(2026年2月13日)

(※3)【アメリカ進出前に再復習】アメリカ合衆国の歴史https://michiganjp.org/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E9%80%B2%E5%87%BA-%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD-%E6%AD%B4%E5%8F%B2/#:~:text=1990%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E5%88%9D%E9%A0%AD%E3%80%81%E5%86%B7%E6%88%A6%E3%81%8C,%E9%80%A3%E6%90%BA%E3%82%92%E6%B7%B1%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2026年2月13日)

(※4)1939 年秋のポーランド侵攻https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/invasion-of-poland-fall-1939#:~:text=1939%E5%B9%B410%E6%9C%88%E4%B8%8A%E6%97%AC,%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%92%E5%88%86%E5%89%B2%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2026年2月13日)

(※5)RETURN TO POLAND: THE JEWS IN LOWER SILESIA 1945-1950https://sydneyjewishmuseum.com.au/wp-content/uploads/2022/08/Nash_RETURN-TO-POLAND.pdf(2026年2月13日)

(※6)Poland’s young Jews pick up the threads of historyhttps://www.theguardian.com/world/2013/apr/20/generation-unexpected-poland-jews#:~:text=Her%20daughter%20Anna%20%E2%80%93%20Bikont’s%20mother,among%20the%20first%20%22intakes%22.(2026年2月13日)

(※7)米国 アウシュビッツの生還者 91歳で死去後もホログラムでホロコーストの経験を伝えるhttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d4b8734d14fa2c8de34691c8de7b008424f06469#:~:text=%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%BC-,%E7%B1%B3%E5%9B%BD%20%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E7%94%9F%E9%82%84%E8%80%85%2091%E6%AD%B3%E3%81%A7%E6%AD%BB%E5%8E%BB%E5%BE%8C,%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E7%B5%8C%E9%A8%93%E3%82%92%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%8B(2026年2月13日)

(※8)Interview with ‘Treasure’ Writer and Director Julia von Heinz at Tribeca Festivalhttps://scriptmag.com/filmmaking/interview-with-treasure-writer-and-director-julia-von-heinz-at-tribeca-festival(2026年2月13日)