ポピュラー音楽に計り知れない影響を与えたドキュメンタリー映画『チャック・ベリー ブラウン・アイド・ハンサム・マン』


あなたは、「動くチャック・ベリー」という、奇跡の目撃者になる。若くなればなるほど、レジェンド級の人物の生の姿を見ている若い世代は少ないだろう。洋楽を傾聴する上でチャック・ベリーの楽曲は耳にしていても、実際に動いている姿を目にする機会は極端に少ないだと言える。私自身、若い世代の中でも洋楽を好んで聴く傾向にはあったが、チャック・ベリー本人がインタビューを受け話している姿やステージ上でギターを弾く姿をお目にかかった事はほとんどなく、もしかしたら、今の時代において、この作品の映像集は非常に貴重な産物なのかもしれない。「動くチャック・ベリー」この一言に尽きる。私達は、伝説を映画で「体感」する。どれだけ世界的に有名なヒットソングを世に放っていたとしても、その姿を世間が目にしなくなったら、単なるレジェンド-国宝-に終始する。本当に素晴らしいのは、彼の功績が言葉で表現されるのではなく、生きた証や立ち姿を肉眼で見れる事だ。その点で言えば、この作品が最初で最後の輝きを放つ貴重映像集と言っても過言ではない。ロックンロールの父の最期と功績について、触れて行こう。幾多のトップバンドやトップアーティストが彼の楽曲をカバーし続けても、チャック・ベリー本人が表舞台に顔を出すことはもう二度と無くなった。2017年3月18日、ミズーリ州セントチャールズ郡の自宅にて心停止で発見された。「ロックンロールの父」は、享年90歳で他界(※1)した。彼は、ビートルズやローリング・ストーンズといった大物ロックバンドに多大な影響を与え、世界で最も偉大なギタリストの一人。最晩年まで淀みなくステージ活動を行って来たその功績は、計り知れないほど大きい。音楽ファンにとっては「ルーツ」の再確認であり、映画ファンにとっては「歴史的瞬間」のドキュメント。スクリーンの中で、あの独特なダックウォークが、そして鋭いギターリフが蘇る。文字だけの歴史を脱ぎ捨て、私達は今、本物のレジェンドの息遣いに触れることになる。ドキュメンタリー映画『チャック・ベリー ブラウン・アイド・ハンサム・マン』は、ロックンロール創始者の代表格で、「ロックの父」の異名を持つアーティスト、チャック・ベリーのドキュメンタリー。私達は今、語り継がれる伝説のその「序章」を目撃する。この映画に刻まれた姿は、チャック・ベリーという巨大な物語のほんの一部分であり、その偉大さに触れるための輝かしい入り口に過ぎない。彼が築いた広大な功績を、一本の作品で語り尽くすことは実に不可能だからだ。彼がこの世に刻んだ足跡は、決して色褪せることなく、今も世界のロック史において燦然たる光を放ち続けている。人種の壁を超えて、音楽で若者文化をひとつに繋いだ、真のパイオニアだ。彼の音楽は、宇宙にまで響く、唯一のロックンロール。1977年に打ち上げられた探査機ボイジャー。人類の文化的遺産として積み込まれた「ゴールデンレコード」に、ロック界から唯一選ばれたのが彼の名曲『Johnny B. Goode』だった。スクリーンに映る姿は、彼が築き上げた壮大な歴史の、ほんの数ページ。しかしそこには、宇宙まで届いた男の魂が凝縮されている。私達は今、この映像を通じて「生きた伝説」のロックの鼓動を、その目と耳で直接受け取ることになるだろう。

チャック・ベリーが産声を上げた「暗黒の1920年代」と灼熱の差別に抗うロックのリズム。チャック・ベリー(本名:チャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー)は、1926年10月18日、アメリカ・ミズーリ州セントルイスで生を受けた。1950年代にソロのロックンローラーとして頭角を現した彼は、独自のダックウォークや「ジョニー・B. グッド」などの名曲でロックの基礎を築き、今なおその功績を讃える者は後を絶たない。チャック・ベリーのプロフィール(※2)には、「1926年10月18日生まれ、米・ミズーリ州セントルイス出身のギタリスト/ミュージシャン。本名はチャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー。53年にジョニー・ジョンソンのバンドを経て、55年にシングル『メイベリーン』でデビュー。独自の“ダックウォーク”奏法で話題に。以降、『スクール・デイズ』『スウィート・リトル・シックスティーン』『ジョニー・B.グッド』などがヒット。その後、服役するが、釈放後もヒットを放つ。86年にロックの殿堂入り。“ロックンロールの創始者”と称えられ、ビートルズやストーンズほか以降のアーティストに絶大な影響を与えた。2017年3月18日にミズーリ州セントチャールズ郡の自宅で死去。90歳没。」とあり、歴代のロック・ミュージシャンの中でも異彩を放つ彼。今回は、彼が生まれた1920年代の歴史と、その時代における彼の存在について深く掘り下げて行きたい。1920年代におけるアメリカの隔離と迫害の重圧(※3)。チャック・ベリーが誕生した1920年代のアメリカは、黒人にとって深刻な人種差別と迫害が渦巻く時代であった。南部を中心にジム・クロウ法による分離政策が徹底され、公共施設や交通機関、教育の場で白人と別々の環境を強要されるなど、社会的政治的に過酷な差別に直面していた。さらに、白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)の復活(※4)は黒人社会に暗雲を立ち込めさせた。1919年の「赤い夏」以降、人種暴動と暴力は激化し、シカゴやオマハといった都市部でも大規模な暴動が発生して多くの黒人が殺傷された。1924年の移民法制定に代表される排外的なWASP社会の風潮は、「非アメリカ的」とみなされた黒人を含む人々への排斥運動をさらに煽り立てたのである。この時代は、黒人が差別を逃れ北部に移住する「大移動」によってハーレム・ルネサンスのような独自文化が開花する一方、根深い偏見の波に晒され続けた激動の時代でもあった。ミズーリ州の冷酷な現実と抑圧(※5)に耐えかねて。チャック・ベリーが育ったミズーリ州もまた、例外ではなかった。地理的には中西部に位置しながらも、法や社会規範においては南部の価値観が強く根付き、黒人は「第二級市民」として扱われた。教育の現場では州法により黒人の子どもは分離校への通学が義務付けられ、その予算や施設は白人校に比べ著しく低く抑えられていた。病院や刑務所といった公共施設の利用も厳格に隔離され、政治面では読み書きテストや投票税といった手段で投票権が事実上奪われていた。経済的にも、セントルイスなどの都市部では黒人は低賃金の肉体労働に従事することを強いられ、居住地までもが「ゲットー」と呼ばれる制限地域に縛り付けられていた。何より恐ろしいのは、白人暴徒によるリンチ(私刑)が頻発し、警察や司法がそれを黙認・無視するケースが頻繁に起きていた事だ。1917年の東セントルイス暴動の余波(※6)は、1920年代に入っても人々の心に冷めやらない脅威として残り続けていた。伝説の源流は、抑圧への拮抗へと成長する。こうした過酷な抑圧の中、黒人たちは「大移動」を通じてキングロックのような独立したコミュニティを形成し、NAACP(全米黒人地位向上協会)による法廷闘争など、後の公民権運動へと繋がる基盤を築き始めていた。ミズーリ州は、歴史的に奴隷州として連邦に加わった「ミズーリ協定」の背景があり、法的・社会的に極めて強い人種差別が根付いていた特異な場所である。チャック・ベリーが生まれた1920年代のミズーリ州は、教育、職業、政治のすべてにおいて黒人の権利が厳しく制限されていた時代であった(※7)。ただこれは、遠い時代のおとぎ話ではない。私達は今、目の前にある現実的な話として記憶に留めておきたい。差別や迫害に晒され続けたチャック・ベリーが、あえてロックシンガーとしてその道を歩み始めたきっかけ。それは、不条理な社会に対する激しい「拮抗」と、魂を解放しようとする「叫び」そのものだったに違いない。

旋律で「壁」を砕いた開拓者、チャック・ベリー、人種差別との誇り高き闘争の幕開け。チャック・ベリーが歩んだ道は、単なる成功への階段ではない。彼は「ロックンロールの父」と称される偉大なミュージシャンであると同時に、1950年代の激しい人種差別(ジム・クロウ法下のアメリカという冷酷な現実の中)で、音楽と行動を通じてその壁を打ち破ったパイオニアでもあった。彼の人種差別との長い戦い、そしてロック歌手としての軌跡は、歴史の順を追うごとに、一人の男の信念が世界を塗り替えていく壮大な人物絵巻へと姿を変える。ステージという名の戦場と「ハスピタボー」の現実に向かって。チャック・ベリーにとっての最初の差別との戦い(※8)は、まさにスポットライトを浴びるステージの上から始まった。彼は、ステージと行動で人種差別の壁を壊し続けた。ギタリストとして黒人差別が激しい時代にツアーを敢行し、数々の差別経験をしたと言われるが、その象徴が「観客席の分断を拒否した事件」(※9)である。1950年代、南部を中心に会場が黒人と白人でロープで仕切られる「隔離」が一般的であった時代。チャック・ベリーはこの対応に激怒し、観客が一緒に踊れない場所では演奏しないと抗議し、ロープを撤去させ、人種混合の観客席を実現させた。また、彼は自伝で、南部での歓迎(Hospitality)と禁止(Taboo)を組み合わせた造語「ハスピタボー(Hospitaboo)」を使い、レストランやホテルでサービスを受けられない差別的な扱いを表現した。映画のタイトルにもなっている【ブラウン・アイド・ハンサム・マン】(※10)とは、人種差別的な社会に対する皮肉や、黒人・ラテン系への賛歌とも解釈される楽曲であり、彼は音楽で黒人差別に対する社会的空気に抵抗し続けたのである。音楽的融合は、人種を超えた共鳴のアンセムの扉だった。若い頃からロック歌手への道を志したチャック・ベリーだが、彼がミュージシャンとして最初に取り掛かったのは、黒人音楽とカントリーの融合だ。彼はリズム&ブルース(R&B)にカントリー音楽を融合させ、誰もが楽しめる新しい音楽「ロックンロール」(※11)を確立した。1955年、新人歌手として処女作「メイベリーン」でチェス・レコードからデビューを飾ると、カントリー調のストーリーテリング的な歌詞とギター主導のビートで、白人のティーンエイジャーをも熱狂させた。彼は黒人のみならず、白人の若者達の文化をも代弁したのだ。車、恋愛、学校生活など、ティーンエイジャーの日常生活をテーマにした歌詞は、人種や地域を超えて共感を生んだ。特に、世界的ヒットソング「ジョニー・B・グッド」では、当初「colored boy(黒人の少年)」という表現を「country boy(田舎の少年)」に変更し、人種を問わず共感される普遍的なアンセムに昇華させた。孤高の魂が刻んだ「平等」という名のステップは、人々の心に届き始めた。それでも、チャック・ベリーには複雑な立ち位置と影響力が立ちはだかった。黒人でありながら白人の若者に支持された事で、一部の黒人からは黒人魂を売り飛ばした「売り渡した(ソールド・アウト)」と見なされる事もしばしばあった。しかし、彼は単に人種に制限されない普遍的な音楽を目指した音楽家であった。特にチャック・ベリーを象徴するダック・ウォークとステージ・パフォーマンス、その鮮烈なギターは、後のロック・スターたち(ビートルズやローリング・ストーンズなど)に多大な影響を与えた。彼は人種差別が根強い時代に、音楽が持つ平等な力を信じ、人種・世代の壁を破る「ロックンロール」という文化を自らの手で開拓した。吹き荒れる差別の嵐の中、ギター一本で自由を叫び、境界線を踏み越えて行った。チャック・ベリーという人物が刻んだのは、単なるヒットチャートの記録ではなく、人類が音楽の下に一つになれるという希望の証明だったのかもしれない。彼は紛れもなく、自らの手で時代をこじ開けた黒人ミュージシャン的パイオニアなのである。チャック・ベリーが遺した2017年の肖像は、伝説の終焉と消えぬ火種へと昇華される。「ロックンロールの父」として知られる伝説的ミュージシャンのチャック・ベリー(※12)は、2017年3月18日、ミズーリ州の自宅で死去。享年90歳。ビートルズやローリング・ストーンズに多大な影響を与えた偉大なギタリストであり、最晩年までステージ活動を続けた。

彼は生前、1986年に第1回のロックの殿堂入りを果たし、ロック・ミュージシャンとして評価された。また、亡くなる直前、38年ぶりとなる新作アルバムを出す計画が発表されていた。多くのミュージシャンから尊敬され、ロックの基盤を築いた偉人として、その死は世界中で惜しまれた。しかし、その死が投げかけた波紋は、単なる一人の音楽家の喪失に留まらない。2017年という年は、彼がかつて音楽で打ち破ろうとした「人種の壁」が、再びアメリカ社会を分断しようとしていた激動の時代だった。ジム・クロウ法から「見せしめ」の獄中へ闘争の譜面を追って。チャック・ベリーが逝去した2017年におけるアメリカ社会、特に社会に根強く残った黒人差別はどのような動きを見せていたのだろうか?2017年3月に死去したチャック・ベリーは、人種差別の色濃い1950年代のアメリカ(※13)において、黒人アーティストとして初めて白人の若者文化に深く浸透し、人種の壁を音楽で壊したパイオニアだった。彼の生涯は、常に差別との闘いの中にもあった。セントルイス生まれの彼にとって、差別が日常的であり、公共施設が白人・黒人に分かれていた時代(ジム・クロウ法下)に育っている。初期の演奏では、「白人向け」に見せるために黒人歌手である事を隠す時もあった。また、歌詞を「Colored boy(黒人の少年)」から「Country boy(田舎の少年)」に変えるなど、彼は狡猾なまでの知性と創造力で、保守的な白人社会の懐へ入り込み、ミュージシャンとしての地位を確立して行った。1959年、自身が経営するレストランで白人女性に関する不適切な疑いをかけられ、収監された経験を持つ。これは黒人アーティストの成功に対する白人社会の反発、あるいは「見せしめ」であったと言われ、彼は国家レベルの制度的差別の被害を受けた。それでも、彼は音楽を諦めなかった。白人・黒人を問わないティーンエイジャーの日常(車、恋、学校)を歌う事により、人種を超えて若者を熱狂させ、黒人音楽をメインストリームへと押し上げた功績は、もはや計り知れない。2017年現在の鏡:再燃する分断と「ロックの父」への追悼は、永遠なり。時を経て2017年、アメリカ社会は再び「人種」という巨大な課題に直面していた。2010年代半ばから急速に高まったBlack Lives Matter (BLM)運動が続き、黒人に対する警察の暴力や日常的な人種差別が米国社会で噴出。2010年代後半においてもBLM運動は継続され続けた。同年1月には、初の黒人大統領であるオバマ政権が終わり、ドナルド・トランプ政権が発足。この政権交代は社会的な分断と人種間の摩擦をさらに浮き彫りにする文脈で語られ、オバマ政権後におけるトランプ政権の誕生が、今でも顕著に続くアメリカ国民同士の分断の序章に過ぎなかった。2017年におけるチャック・ベリーの追悼では、彼の死後、彼が90年の人生で経験した「激しい人種差別」と、彼が創り出した「人種統合の音楽」の両面を想起させた。メディアは彼を「ロックの父」として称える一方、黒人アーティストが白人メインストリームで成功する上で直面した困難な歴史も合わせて回顧したのである。未来への架け橋は、私たちが鳴らし続けるべきロックのリズム。2017年の音楽シーンにおけるレガシー、チャック・ベリーの軌跡について。その死去(※15)は、ロックンロールが黒人文化(ブルース、R&B)から生まれたという本質を改めて世界に知らしめた。キース・リチャーズをはじめとする多くの白人アーティストが、彼からの直接的な影響を公言し、その死を悼み、ロックの水源がどこから来たのか、そのルーツの再確認が行われた。同年、ラッパーのケンドリック・ラマーがグラミー賞で現代アメリカにおける人種差別の残虐さを告発するパフォーマンスを行い、黒人アーティストが音楽で社会変革を訴える系譜が、現在の世でも継続している事を示した。抗議と芸術が一体化されていると言っても過言ではない光景に、私達は少しだけ明るい未来を期待したい。「進み続けろ、止まるな」と彼の魂が遺したこのメッセージは、今を生きる私達への問いかけだ。チャック・ベリーは、差別が公然と存在した時代から、その影響が未だ残る現代への「架け橋」となった。彼がギター一本で、分断された観客席を一つに繋ぎ合わせたように、私達は今、何ができるだろうか?制度や言葉が私達を分け隔てようとしても、魂の奥底で共鳴する「真実の音」に耳を傾ける事。違いを否定するのではなく、その違いが織りなす新しいグルーヴを愛する事。彼が「Country boy」という言葉に込めた不屈の精神を受け継ぎ、私達一人一人が隣にいる誰かと手を取り合い、調和(ハーモニー)を探し続ける事。それこそが、ロックンロールを愛し、自由を歌ったチャック・ベリーという偉大な魂に対する、最高の返答になるはずだ。音楽ドキュメンタリー映画『チャック・ベリー ブラウン・アイド・ハンサム・マン』を制作したのはロン・ワイズナー、チャック・サイモン、リチャード・フースの3監督が関係しているが、あるインタビューにて、ロン・ワイズナーが3人を代表して、本作の被写体となっているチャック・ベリーと自身の関係性について、こう話している。

ワイズナー監督:「チャックはワイルドな男だったけど、素晴らしい人だった。チャックとは長年一緒に仕事をしてきました。チャックはワイルドな男のようでしたが、素晴らしい人でした。才能あふれるミュージシャンで、素晴らしいソングライターで、私は彼のことが好きでした。私がマネジメントしたアーティストたちとツアーに出ていた時のことを覚えています。彼らは自分たちのキャリアや人生に影響を与えた人たちについて話すのですが、必ずチャックの名前が挙がりました。そこで私は、『なぜ彼という人物、彼の作品、そして彼が影響を与えた人々について、私がレガシーと呼ぶ作品がないのだろう?』と思ったのです。リストアップしたアーティスト達を指して、『この中の半分が集まれば万事オーケーだ』と言ったんだ。でも、どうやら皆が参加したがっているみたいだった。PBSの番組にビートルズ(『Roll Over Beethoven』)とストーンズ(『Around and Around』)が出演していた事は特に重要だった。1960年代には、彼らが彼の音楽を演奏し、録音し、彼について語り始めると、突然、チャックを動かす扉が開かれたんだ。」(※16)と、ワイズナー監督は話す。ロン・ワイズナー監督が手繰り寄せた、未完の「平等」という旋律は、魂の咆哮となる。チャック・ベリーという人物と最も親しく、その素顔を誰よりも近くで見つめて来たロン・ワイズナー。彼は、既に神格化されていたチャック・ベリーの存在そのものに対して、彼を真に讃える作品がない事に、言いようのない「やきもき」を感じていたのだろう。その燻っていた情熱が爆発し、ひとつの形として結実したのが本作である。ロン・ワイズナー自身が突き動かされるように、本作を完成させたその行動力こそ、何よりも今、賞賛に値する。なぜなら、今の時代がこの作品を、いや、チャック・ベリーという不屈の魂そのものを切実に欲しているからだ。監督の瞳に映っていたチャック・ベリーは、単なるスターではなかった。彼は音楽という言語を通じ、世界や社会の「平等性」を愚直なまでに信じ、歌い続けた男だ。しかし、彼の遺した願いをもう一度思い返した時、私達は立ち止まらざるを得ない。果たして、今の世界はチャック・ベリーが命を懸けて願った「本当の世界」と言えるだろうか?現実は、あまりにも皮肉だ。何百年と続く黒人差別の系譜は、形を変えて今も尚、アメリカの血脈に深く刻み込まれている。かつて彼がギターで打ち破ったはずの壁は、2017年のトランプ政権下において、国民の分断を後押しする政治の力によって再び強固なものへと作り替えられた。差別、偏見、迫害が人々の心を蝕み、不条理な戦争が起こり、罪のない人々が「何かしら」の巨大な力によって今この瞬間も苦しめられている。今の世を見たチャック・ベリーは、一体何を思うだろうか?音楽で社会の平等性を希求したにも関わらず、彼が実現したかった真実の社会は、本当に現実のものとなっているのか?世界は、悲しいほどに、まだ何も変わろうとしていないのではないか?だが、この作品が今、私達の前に提示された意味はそこにある。ロン・ワイズナーが映し出したのは、過去の栄光ではない。停滞し、歪み続ける現代社会に対する連続する「音の銃弾」だ。チャック・ベリーが奏でたあの軽快なリズムの裏には、決して屈しないという静かな怒りと、いつか人種を超えて皆が同じステップを踏める日が来るという強い祈りが込められていた。彼が残した願い、それは「境界線の消失」だったはず。私達はこの絶望に近い停滞の中、彼の魂が刻んだビートをただの追憶にしてはいけない。分断が深まる今だからこそ、彼が差別と戦いながら鳴らし続けた「共鳴」の価値を、自分達の手で未来へと繋ぎ止める必要がある。この物語は、過去を懐かしむ為の終止符ではない。今を生きる私達が、再び「平等」という名の新しい一歩を踏み出すための、激しくも美しい助走なのかもしれない。

最後に、ドキュメンタリー映画『チャック・ベリー ブラウン・アイド・ハンサム・マン』は、ロックンロール創始者の代表格で、「ロックの父」の異名を持つアーティスト、チャック・ベリーのドキュメンタリーだが、一本調子のドキュメントではない。1920年代から2026年現在、チャック・ベリーが夢見た「調和」の行方は、響き続ける未完の「ロックンロール」に託された。ここに描かれているのは、ロック・シンガー、チャック・ベリーの半生と生き様だ。ロックに生きた一人のミュージシャンが見つめたその世界は、差別と偏見、暴力と欺瞞に満ちた悲しき世界であった。彼が生まれた1920年代のミズーリ州と、彼が息を引き取った2017年のミズーリ州。その間に流れた90年という歳月の中で、アメリカが成し遂げた進歩は数多い。しかし、皮肉にも唯一変えられなかったもの。それこそが、「人種差別の壁」だった。チャック・ベリーがギターの弦を震わせ、ロックという新しい叫びを通して訴えたかったもの。それは、人種も境遇も超えて響き合う「世界の調和」に他ならなかったはずだ。しかし、2026年の現代、アメリカ社会はさらなる混沌の渦中にある。社会と人種の分断はより顕著となり、私達が目にする光景は、彼が戦った時代よりも鋭いエッジを持って迫って来る。2026年時点のアメリカ合衆国における白人至上主義は、もはや単なるfringe(極端な少数派)の活動ではない。それは、政治や社会構造の「主流(メインストリーム)」へと浸透しつつある。この深刻な脅威は、今や世界共通の危機として認識されている。2024年の米大統領選後の不安定な政治状況、急速な人口動態の変化、そしてオンラインでのラジカル化(過激化)が、この傾向に拍車をかけている。「ホワイト・パワー」の文化的拡大、建国250周年を目前に控えた緊張感、そして「リミグレーション」の言説。これら2026年現在の政治と社会における白人至上主義の浸透は、単なる暴力的なテロ活動に留まらない。人種的な不安感を背景に政治的・文化的な影響力を強める「ハイブリッドな脅威」として、社会の深部を侵食している。2026年の今のアメリカ社会(※17)を見たチャック・ベリーは、一体何を思うだろうか?かつて、ステージ上で白人と黒人の若者を同時に熱狂させ、音楽で平等を訴えかけた彼。その指先が紡いだ魔法のようなリズムが、今の世に「秩序ある美しい世界」を実現できていると、果たして胸を張って言えるだろうか。稀代のミュージシャン、チャック・ベリーが魂を削って願った世界は、残念ながら、まだ遠い未来の霧の中に隠れているようだ。しかし、絶望だけで終わらせてはならない。彼が1920年代の暗闇から立ち上がり、2017年までギターを離さなかったのは、いつかその霧が晴れる事を信じていたからだろう。2026年の私達が直面しているこの「分断」という重い課題に対し、彼の音楽は今もなお、激しいビートを刻みながら問いかけている。「お前たちの心にある壁を、叩き壊す準備はできているか?」と。チャック・ベリーが遺した願いを現実にするために。2026年からのこの先、私達が迎える未来を、ただの「差別の再生産」で終わらせてはならない。彼のステップのように力強く、そして彼のギターのように鮮烈に、彼が音楽で表現したように私達は不条理に対して声を上げ続けなければならないのだ。彼が夢見た「真実の調和」が、いつか歴史の教科書の1ページではなく、私達の日常の風景になるその日まで。チャック・ベリーの魂は、この混沌とした世界を厳しく、そして温かく見守りながら、永遠にそのリズムを刻み続けるだろう。

映画『チャック・ベリー ブラウン・アイド・ハンサム・マン』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※3)1920年代のアメリカで活発化した移民・黒人に対する排斥運動とそれに関わる政策の概要/東大世界史2020第2問・問3(a)https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2020-2-3-a/#:~:text=%E7%AD%94%E6%A1%88%E4%BD%9C%E6%88%90-,%E5%AD%97%E6%95%B0%E3%82%92%E6%B0%97%E3%81%AB%E3%81%9B%E3%81%9A%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B,%E3%82%92%E8%A7%A3%E7%AD%94%E4%BE%8B%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2026年2月19日)
(※4)5分でわかる!排外的なアメリカ社会の「裏」の顔https://www.try-it.jp/chapters-12085/lessons-12088/point-2/#:~:text=%E7%99%BD%E4%BA%BA%E5%84%AA%E4%BD%8D%E3%83%BB%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%AE,%E5%85%A8%E9%9D%A2%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2026年2月19日)
(※5)Prejudice and intolerance against African Americanshttps://www.bbc.co.uk/bitesize/guides/zdvfydm/revision/4#:~:text=Intimidation%20and%20violence,were%20usual%20in%20criminal%20cases.(2026年2月19日)
(※6)MISSOURI STATE ARCHIVES
Progress Amidst Prejudice:
Portraits of African Americans in Missouri, 1880-1920https://www.sos.mo.gov/archives/education/aapc/intro#:~:text=These%20developments%20ushered%20in%20an,more%20unsettling%20for%20black%20citizens.(2026年2月19日)
(※7)Red Summer and Early 20th-Century Race Massacreshttps://oxfordre.com/americanhistory/display/10.1093/acrefore/9780199329175.001.0001/acrefore-9780199329175-e-842(2026年2月19日)
(※8)“Free That Brown Eyed Man”: The United States v. Chuck Berryhttps://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/17533171.2012.715419#:~:text=The%20federal%20officials%20involved%20in,Law(2026年2月19日)
(※9)Race, Rock, and Breaking Barriershttps://daily.jstor.org/race-rock-and-breaking-barriers/(2026年2月19日)
(※10)The Politics of Being Chuck Berryhttps://www.politico.com/magazine/story/2017/03/the-politics-of-being-chuck-berry-214934/#:~:text=At%20the%20time%20he%20wrote,concept%20in%20much%20of%20America.(2026年2月19日)
(※11)In creating rock, Chuck Berry faced daunting racial barrierhttps://www.khmertimeskh.com/15275/in-creating-rock-chuck-berry-faced-daunting-racial-barrier/#:~:text=In%20a%201987%20interview%20with,States%20with%20the%20British%20invasion.(2026年2月19日)
(※12)ロックンロールに別名があるとすれば、それはチャック・ベリー!https://reminder.top/376074535/(2026年2月20日)
(※13)Chuck Berry and Teenage Culture in the 1950shttps://www.plosin.com/beatbegins/projects/gallant-gardner.html#:~:text=Chuck%20Berry’s%20role%20as%20an,by%20a%20%22colored%22%20dialect.(2026年2月20日)
(※14)From the Archives: Chuck Berry talks music, race and his ‘difficult’ reputationhttps://www.latimes.com/entertainment/la-et-chuck-berry-sets-the-record-straight-archive-2017-story.html#:~:text=After%20all%2C%20Berry%20spent%20time,less%2Dtalented%20white%20rock%20musicians.(2026年2月20日)
(※15)Chuck Berry: Rock & Roll and Race in the 1950s and 1960shttps://by-k.squarespace.com/historyblog/chuck-berry-rock-amp-roll-and-race-in-the-1950s-and-1960s#:~:text=In%20the%20segregated%20South,%20touring,white%20society%20during%20this%20time.(2026年2月20日)
(※16)Co-Producer Of PBS Chuck Berry Show Talks Star-Studded Guest Listhttps://www.udiscovermusic.com/news/chuck-berry-pbs-show-co-producer-interview/(2026年2月20日)
(※17)2026年、19世紀に回帰するアメリカによる戦後世界秩序の本格的な解体が始まったhttps://www.videonews.com/marugeki-talk/1293#:~:text=17%E6%97%A5%E5%85%AC%E9%96%8B-,2026%E5%B9%B4%E3%80%8119%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AB%E5%9B%9E%E5%B8%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%88%A6%E5%BE%8C,%E3%81%AA%E8%A7%A3%E4%BD%93%E3%81%8C%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F(2026年2月20日)