フランス映画『恐るべき子供たち 4Kレストア版』70年の時を越え、フランス映画の金字塔4Kレストアで蘇る。長い時間が過ぎても今尚、近親相姦の是非が、問われる

フランス映画『恐るべき子供たち 4Kレストア版』70年の時を越え、フランス映画の金字塔4Kレストアで蘇る。長い時間が過ぎても今尚、近親相姦の是非が、問われる

2021年10月2日
(c) 1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms

文・構成 スズキ トモヤ

作家ジャン・コクトー著によるフランス文学の金字塔『恐るべき子供たち』の映像化作品が、2021年10月、4Kレストア版でリバイバル上映される。

映画は、1950年に製作され、国内では76年に劇場公開された古典的作品。

45年ぶりにスクリーンで蘇る。

監督には、本作を製作した後に『サムライ』『リスボン特急』で名を馳せたフレンチ・フィルム・ノワールの鬼、ジャン・ピエール・メルヴィル。

脚本協力としてジャン・コクトー本人も参加している。

あらすじは、雪が降るある日の夕方。少年たちの白熱する雪合戦が行われていた。

そんな中、ポールは密かに想いを寄せている友人ダルジュロスが投げた雪玉が胸に当たり、気絶してしまう。

怪我をしたポールは、姉エリザベートや病で臥せる母と暮らす自宅で療養する羽目に。

姉弟は他人の介在を許さない秘密の子ども部屋で、愛と戯れに満ち溢れた二人だけの危険な世界を築き上げていく。

世間では、最もタブー視されいる問題でもある近親相姦は、果たして悪なのか?

腫れ物なのか?

誰もが口にはしたくない、触れたくないであろう家族間、親族間の禁断の性交。

本作は、そんな禁忌とでも言わざるを得ないナイーブな問題に挑んだ挑発的な作品だ。

稀代の名作。

この約半世紀以上の間に幾度となく語り継がれてきた本作『恐るべき子供たち』は、どこを切り取っても、既に多くの映画人が語り尽している映画だろう。

それほどまでに、この映画は昔から語られて来た傑作だ。

今回ここでは、改めて基礎に立ち返り、定番の話題になるが、原作者ジャン・コクトー。

映画監督ジャン・ピエール・メルヴィル。

そして「近親相姦とは何か?」について、言及していきたい。

ただ、この文章が「いま」も含め、20年先、30年先のまだ見ぬ映画ファンに響いてくれれば、幸いだ。

(c) 1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms

フランス文学界の作家、ジャン・コクトーを知っているだろうか?

仏の文壇を代表する詩人、小説家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家として活動していた。

まさに、戦前から戦後を代表する時代の寵児とでも言うべき芸術家だ。

日本で例えるなら、寺山修二ではないだろうか?ジャン・コクトーは、フランスの寺山修二なのだ。

いや違う、寺山修二こそがジャン・コクトーを真似たのだろう。

そんな話はどうでもいい。

彼は当時、ダダやシュルレアリスムから相互影響を受けていたというが、本人は至って中立の立場でいたという。

それが逆に、論争の的となり、対立も多かったという。

その反面、若い頃からフランスの芸術界にいる多くの著名人との交流も盛んだったともいう。

長編小説『失われた時を求めて』を書いた若かりし頃のマルセル・プルーストとも、親交があった。

また、日本人画家の藤田嗣治(日本の映画監督の小栗康平が『FOUJITA』として映画化もしている)と親交が深かったと言われている。

当時、フランスにいた多くの芸術家と信頼関係を築き、芸術に対する美的センスを養っていたに違いない。

そんなコクトーが、1926年に上梓した小説が、本作の『恐るべき子供たち』だ。

アヘン治療で療養中のおよそ2週間と少しの期間で書き上げたという逸話を持つほど、驚異の類い稀なる天性の才能が、あったことが推測できる。

文壇界では、中立の立場を貫き通した彼ではあったが、映画界では、監督として耽美的主義(羞美的主義)という立ち位置から作品を製作していることにも興味がそそられる。

如実に分かるのが、1946年に製作した名作『美女と野獣』が、耽美的だと言われている。

ディズニーの名作アニメ『美女と野獣』にも影響を与えた言われているらしく、ディズニー好きにも必見の一作だろう。

原作『恐るべき子供たち』もまた、とても羞美的な作品ではないだろうか?

文壇ではあくまで中立を一貫したコクトーが、本著においては幻想的で、情緒溢れる、エデンの園のような禁断の世界が、展開される。

小説の解説では、宗教的同性愛的な要素を描きつつ、登場人物のダンジュロスを死神に例えているという。

もしかしたら、アヘンで療養していたコクトーにとって、この執筆期間は自らの「死」を意識した数週間だったのかもしれない。

本編を観る前に、小説を読んでみたが、最初の印象はとても読みにくい書籍でもあった。

中編作品にも関わらず、数週間の時間を要してしまった。

その背景には、恐らくコクトー自身の文体にあると思う。

本書は、とても詩的なスタイルで書かれてある。

詩人と呼ばれるのを好む彼にとっては、当然の書き方だったのだろう。

詩文が表すのは、芳醇な耽美的一面だ。

彼の詩について、話が及んだので、ここで彼の名言も少し紹介したい。

「本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される。」

“Des larmes authentiques ne sont pas tirées d’une page triste, mais du miracle des mots placés brillamment.”

「生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである。」

“Le mode de vie standard n’est pas bon ou mauvais, mais s’il est beau ou non.”

「愛することは、愛されること。」

“Aimer, c’est être aimé.”

「真のリアリズムは、習慣が覆い隠し見えなくさせていた予期せぬ事どもを顕にするところに存する。」

“Le vrai réalisme consiste à révéler les choses inattendues qui ont obscurci l’habitude et les ont obscurcies.”

抒情的で美しい名句は、時代を越えて今も生き続けている。コクトーの文体が美しいのは「本物の涙は~」の言葉が、土台になっているからだろう。

(c) 1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms

本作『恐るべき子供たち』を製作したジャン・ピエール・メルヴィルは、フランス映画界を代表するフレンチ・フィルム・ノワールの鬼だ。

彼の代表作には周知の通り『いぬ(1963年)』『ギャング(1966年)』『サムライ(1967年)』『影の軍隊(1969年)』『仁義(1970年)』『リスボン特急(1972年)』の後期の6作品が入るだろう。

これらの作品でフィルム・ノワールの巨匠としての地位を確立させている。

そんな映画監督J・P・メルヴィルの生涯について、少しだけスポットを当ててみたい。

彼が初めてカメラを手にしたのは5歳、6歳の頃。

親に買い与えられたのが始まりと言われている。

専らメルヴィルは映画を撮るよりも、観ることに徹していた。

特に、当時から隆盛のあったハリウッド作品に傾倒していたという。

10代の頃は映画を作っていたと言われているが、そのまま戦争が勃発し、徴兵されることになる。

終戦後、彼は最初の短編映画を製作する。

1946年に製作した18分の短編『24 Heures de La Vie D’un Clown(ピエロの一日)』という彼には珍しい世相を反映させたコメディ作品だ。

次に、役者として端役ながらも出演した1948年の作品『Les Dames du Bois de Boulogne(ブローニュの森の貴婦人たち)』が、商業デビューでもある。

この作品には既に、本作の原作者ジャン・コクトーも脚本家として参加している。

少し余談だが、このお二方は、『恐るべき子供たち』で初めてタッグを組んだ訳でははく、J・P・メルヴィルが初めて商業の世界に入った前述の作品からの知り合いだ。

また、1950年の作品『Orphée(オルフェ)』では、コクトーが監督、メルヴィルが出演している作品もある。

当時から、彼らはビジネス上の親密な関係性にあったことが伺い知れる。

そんな二人だからこそ、映画『恐るべき子供たち』が誕生したのは、必然だったに違いない。

彼は「常にオープンで、常にトラウマを抱えている」という言葉を残している。

それは第二次世界大戦時における占領下のフランスの心の苦しみについてで、同テーマの作品を多く製作している。

例えば『海の沈黙』『モラン神父』『影の軍隊』が、それに当てはまる。

メルヴィルが得意とする撮影技法は、照明とモノクロームを巧みに使った光と影のコントラストだ。

それは、二項対立する生と死、天国と地獄、神と死神、善と悪、赦しと恨みと言った、相反する意味を持つ言葉同士が共鳴し合っている。

その技法が特徴的な作品は、初期の傑作『海の沈黙』だろう。

狭い空間で繰り広げられるのは、戦争で傷を負ったフランス人たちの心の葛藤を表現している。

今でこそひとつのジャンルとして明確化されているシチュエーション映画の趣は、この時代からでも嗅ぎ付けることができる。

人知れず禁断な遊戯を楽しむ子供たちを描いた本作もまた、同じ密室での出来事を描く。

誰にも知られない子供だけの空間は、まるでお伽噺のネバーランドのようでもある。

作中の閉じた場所において、フレームワークと同じモノトーンを表示し、オブジェクトが一定の間隔で置かれるセット内では、絶妙な変化が起きるのだ。

「近親相姦」という触れられないタブーを、ファンタジーの世界として表現した本作は、同じ題材の先駆的作品だろう。

ヌーヴェルヴァーグで名を馳せたトリュフォーは、この作品を十数回観たという伝説もあり、後の仏の若手監督にも影響を与えているとも言う。

イタリアのネオ・リアリスモやフランスの映画監督ジャック・ベッケルの『穴』などが、方向付けたとも言われいている。

なんにせよ、本作の映画監督J・P・メルヴィルは、フランス映画の第一次黄金期(ジャック・フェデー、マルセル・カルネ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ルネ・クレール、ジャン・ルノワールのBIG5)とヌーヴェルヴァーグの間を繋ぐフランス映画史では、とても重要な人物として考えてもいいだろう。

また、自身の野望を聞かれ「不滅になり、そして死ぬ」など数々の名言を残している。

あるインタビューで監督は「日常生活における過度の混乱は、創造性のすべての可能性を排除する」と発言している。

現実に彼は日常の生活では、女性と暮らしていても子供は一切作らず、ストイックなまでに映像制作に打ち込んでいた。

晩年、メルヴィルは猫3匹と暮らし、心臓発作が原因で55歳という若さで生涯の幕を閉じた。

(c) 1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms

そして、ここからが本題でもある「近親相姦」が、なぜタブー視されているについての話となる。

この問題は、あらゆる側面から考えることができる事案だ。

例えば、宗教学的、法律学的、歴史学的、犯罪学的、生物学的、社会学的、そして心理学的な一面を幅広く、そして深くも関係してくる。

繰り返し、そもそもなぜ「近親相姦」が世界的にもタブーとされいるのか。

まず宗教的側面で言えば、旧約聖書の中で既にインセスト(近親相姦)が、禁止されいるのだ。

ユダヤ人たちが土地を追われ、世界各地に移民した結果、各々の国でこの件に関する法律が生まれた。

国や州によって、考え方はバラバラで、欧米では州によって合法か、違法か異なる。

英国では、2002年に、血縁者だけでなく、養父母と彼らの子供、養子縁組の親子の場合も含むように、法律が拡張、整備された。

隣のアイルランドでは、全面的に違法。

豪州では、州によって異なる。

あらゆる国や地域で、合法なのか、違法なのか、大きな差がある。

ここで興味深いのが、本作が舞台のフランスでは、そのどちらなのかが気になるところだ。

遡ること、フランス革命時のナポレオンの意向で近親相姦罪が、撤廃されている。

それでも、本作が取り上げたこの題材に対して一大センセーショナルも起きている。

では、アジア諸国ではどうなのかと言うと、まず古代中国の唐では、唐律という名の10の戒律があり、そのうちのひとつ内乱という刑罰が、近親相姦を禁ずる規制だ。

その他のアジア諸国でもその国々によって、合法か、違法かがやはり別れる。

その反面、日本ではどうなのかと言うと、過去に唐律を真似た日本が作った律令制度では、元の十悪が八虐へと変更されたようで、その時に内乱が抹消されたようである。

唐律は儒教の教えが何らかの形で影響を与えているようで、国内には儒教の教えがないぶん、自然と消滅したようだ。

一方で、江戸幕府が発令した「公事方御定所」では、家庭内の者同士が密通した場合、両者は共にさらし首の刑に処するものがあった。

明治維新以降、改定律令の中に、インセストの規則があったが、当時来日していたフランスの法学者ボアソナードの反対により、日本でも廃止された。

その背景には、先ほど話したナポレオンの近親相姦撤廃の流れがあると言われている。

実は、日仏はこの事案に対して、深く関わりがあったのだ。

このような観点から作品を鑑賞しても、違った視点でこの世界を堪能できるのではないだろうか?

フランスと言えば、ここに興味深い事件がある。

今も述べたように、仏国では近親相姦に対する概念が少し緩いようにも感じるかもしれないが、近頃この考えに対して国民が大きく声を上げている。

Japan-In-DepthというWEB媒体が、今年の記事で取り上げている。

フランスでは、過去に起きた近親相姦事件に対しての告発本(1)が出版された。その内容はあまりにも耳を覆いたくなるような事件だ。

仏の元外相のベルナール・クシュネル氏の娘のカミーユ・クシュネルさんが、ある告白本を出版。

その内容には、30年ほど前に双子の弟が、義父オリビエ・デュハメル(当時人気のテレビ司会者)から性的虐待を受けていたという衝撃的な事実だ。

近親相姦を是とする、フランスが犯した失態なのだ。

このような事案が明るみになったことで、大統領夫妻を初め、多くの著名人が反対の声を挙げている。

まるで、数年前に米国から全世界に飛び火したMe Too運動が、まさしく今のフランスでも起きているのだ。

ここまでが、宗教学、法律学、歴史学、犯罪学の観点から話を進めてきた。

次は、生物学、社会学、心理学からの視点から近親相姦のタブーについてクローズアップしていきたい。

ます初めに「近親相姦は遺伝的リスクが高い」という考えが、日本にはあると思うが、遺伝子を両親から引き継ぐのは50%の半分ずつ。

遺伝子には、顕性(優性)遺伝子と潜性(劣勢)遺伝子が存在する。

ある遺伝子が子供に渡り、先天的疾患が生存するのに不利な形質を持っている場合、顕性遺伝子の場合、どこかのタイミングで途絶える可能性が高いと言える。

潜性遺伝子の場合、偶然同じ遺伝子を持っている人と巡り合わない限り、その形質が発生することはないため、劣勢遺伝を持ち続けることになる。

社会学の観点から言えば、フランスの社会人類学者のストロースが発表した「交換論」がある。

過去には、血縁同士での家族を保有する傾向があったが、外部からの社会構築がいかに大切かが、問われてきている。

近隣の女性との性交渉で満足してしまうと、どうしても女性同士の交換が行われなくなってします。

これが原因で、他の一族との交流が途絶え、社会へ大きく悪影響を及ぼす。

同じ家族の中で女性を「保有」し続けることに対する「近親相姦」をタブーとしているわけだ。

したがって、現在の「結婚」というシステムが生まれた。

また、心理学的観点からだと、一般的に家族間での、特別な感情を持つことはほぼないだろう。

1891年に人類学者のE・ウェスターマークは「幼少の頃から極めて親密に育った人々の間に、性交に対する生得的な嫌悪が存在するのか?」という仮説を提唱した。

これが今でいう「ウェスターマーク効果」と呼ばれるものだ。

次に、自分が近親者との性交に対して、生得的な嫌悪を感じることから、第三者がそうすることにも不快感を覚え、非難したくなる。

さらに、「非難が習慣化・規則化され禁忌が成立する」というものだ。

この仮説は、発表当時は根拠がないと非難の的にされた。

最も有名な精神学者フロイトは「近親相姦を避ける傾向が備わっているなら、なぜタブー視して抑制せねばならないのか」と発言し、否定している。

当時は、人類学や精神医学の世界から大論争を巻き起こした仮説は、20世紀になってから統計を取り、やっと立証された。

「近親相姦がタブー」という考えから、これほどまでの話題が広がることに興味が止まない。

簡単に言えば、親兄弟での性交渉はゾクッとするし、他人がそのような状態でも生理的に受け付けたくないという話だろう。

「近親相姦がタブー」かどうかは、誰にも決められない事実だ。

確かに、現実問題としてほとんどの割合でレイプ事案もあるのだろう。

「近親相姦」が、なぜタブー視されているのか?

それは、人類が生きていく上での永遠のテーマなのかもしれない。

映画が、ファンタジーとしてこの問題を美化している風にも捉えることができるが、自分たち第三者が当事者たちを非難する権利はない。

そこに、確固たる「愛」が存在してるのならば。

(c) 1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms

最後に、本作『恐るべき子供たち』は、70年前の作品だ。

もし、この映画を現代に生きる自分たちが、鑑賞した時にどう映るのだろうか?

密閉された空間で、幼い子供たちが大人が知らない世界で遊戯や愉楽を楽しむ姿は、もしかすると現在のSNSに繋がるのではないだろうか?

SNSというツールを悪という見方をしている訳でもないが、便利な一面を持っている反面、犯罪やいじめの温床になりつつあるのも事実だ。

本作を通して、現代のSNSの在り方について再考するのも一つだ。

映画恐るべき子供たち4Kレストア版』は、10月2日(土)から東京のシアター・イメージ・フォーラムにてロード・ショー。また、関西の劇場では、大阪府では11月5日(金)からテアトル梅田、京都府では11月5日(金)から京都シネマ、兵庫県では11月中旬からシネ・リーブル神戸にて、全国の劇場にて順次公開予定。


(1)仏で「近親相姦」告発本出版https://japan-indepth.jp/?p=56535(参照 2021/10/1)